刻の流狼第一部 紫翠大陸編
宝玉を売り払えば、一生分を何度も暮らせる程の大金となるだろう。それなのに、その価値を識りながらソルティーは本気で迷惑だと言いそうになり、二人はその姿に安堵の笑みを浮かべた。
「でも、もし宜しければ、覇睦大陸に渡り私達の様に、人々の救済をしている場所が在るなら、そこに寄付して下さい。私達のしてきた事が無駄だと思わなければ、お願いです、最後に私達の救済の手を向こうで苦しんで居られる方に……」
「覇睦大陸の戦は此処よりも酷いと聞き及んでいます。勝手なお願いですが、頼まれては貰えないでしょうか?」
二人には疑いの心はなかった。
世の中の醜さの大半が、金に纏わった話だ。その醜さから逃れて信仰に走っても、そこでさえも金に大きく左右される。
しかしそれは金が原因ではなく、人の心の弱さが抑もの原因である。
戦で傷付いた者や、飢える者達だけが弱者ではない。人の、いや、生きとし生けるもの全てが弱い心を持っている。強さは己の弱さを知り、それに立ち向かう心なのだと、端雅梛はやっと気付けたと思う。
だからこそ彼は、こう言った。
「私は貴方を信じていますから」
信じているから敬う事も尊ぶ事もでき、その心が人を動かす。
「判った、引き受けよう。これは必ず二人の代わりに人々の救済に役立てる」
「ありがとう御座います」
二人揃って笑顔で頭を下げる。
死の影さえ感じさせず、希望だけを胸にする二人は、本当に何かをするのかも知れない。そんな予感さえソルティーには感じられた。
「では私達はこれで。今まで色々とご迷惑をお掛けしました」
「いや、それ程とは思ってない。鈴薺の悪ふざけには参ったが……」
そんな軽口を二人は笑いながら部屋の外へ向かった。
「明日にでも式を挙げてはどうだ?」
廊下へ送り、二人の背にそう問いかけたが、
「いえ、もう済ませました。端雅梛と言う司祭様の言葉で」
幸せ一杯の苑爲の言葉に、ソルティーは笑みを送るだけだった。
二人が宿から出るまで見送り、部屋に戻ると肩の力を抜く。
『宜しいのか、彼等を行かせて』
『仕方ない、人の運命はその人自身が決める事だ。彼等は彼等なりの信念があって帰ることを希望した。私には何も出来ない』
ソルティーはベッドに腰掛けると、自分自身に言い聞かせる様に言った。
『それに彼等が死ぬとは決まっていない。人の犠牲を踏み台にした幸福を、彼等は許せなかったんだ。そんな彼等が、そう簡単には死にはしない。いや、生きなければならない。そうでなければ、何の為の神だ。幸せになろうとする者の命を奪うだけが許されてなるものか。彼等は生きる、生き延び幸せにならなければならないんだっ!』
『主よ……』
『そうでなければ、私が何の為に此処に居るのか判らないではないか……』
拳を握り締め、堅く奥歯を噛み締め、ソルティーは自分に言い聞かせる。
端雅梛と苑爲が戦の中生き延びる事を、そして次の世代へと続く子を育む事を。
回帰間は四日間で終わりを迎える。
そして襄還宗は、藩茄螺を頂に聖聚理教への開戦を高らかに宣言した。
戦は数ヶ月にも及んだが、奔霞の傭兵団を味方に付けた襄還宗は、烈火の勢いの如く聖聚理教を壊滅に導いた。
しかし、戦が始まると同時に鈴薺がこの世を去り、藩茄螺の妄執は形を得る事無く終わりを迎える事になる。
夥しい数の神官達が死に、国の端端では小競り合いが続いたが、幕巌が予想した通り、戦自体は鈴薺の死で藩茄螺の戦の意義が消失した所為から、国を巻き込むものにはならなかった。
一年もすれば地方の小競り合いも、鎮静へと向かうだろう。但しその後は、奔霞と敦孔伐の戦へと変化していくのだ。
大義も信義もない、民が死んでいくだけの戦が始まるのか、それとも最後まで幕巌の思惑が通じるかは誰も知らない。
ただ、この聖聚理教と襄還宗の戦のあとで、端雅梛と苑爲の姿を見る者は居なかった。
多数の死人と共に葬られたのか、それとも姿を隠し生き延びたのか……。
episode.7 fin
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい