哀恋草 第八章 父との再会
一蔵は勝秀への文を約束した。
勝秀は再び飴売りの姿に戻って後白河の屋敷を見張っていた。この辺りは人通りも少なく歩く人数もまばらだ。夕刻になってあたりが薄暗くなってきたとき、一人の女が足早に坂を上って近づいてきた。見ると手荷物を持ちなにやら奉公に出るような出で立ちに思えた。やがて顔が分かる距離になった。一蔵から聞かされていた志乃という女になんとそっくりではないか!
通りすがりに女は勝秀の方をチラッと見た。その目線に答えるように声をかけた。
「そこのお人!しばらくお待ちくだされ」
ハッとして、志乃は立ち止まり、懐の懐剣に手をかけた。これでも少しは手習いの心得があり、大抵の男子でも刀を持たない限り負けることはなかった。飴売りは素手であったので少し油断したのか、後から羽交い締めにされてしまった。
「あれ!何となされます!声を上げまするぞ!」
すぐに腹にこぶしを入れ、女をぐったりとさせた。抱きかかえて勝秀は薄暗くなった三十三間堂の境内に連れて行き、住職に気分が悪くなったゆえ、休ませて欲しいと厨に担ぎ込んだ。女を横にして、その顔をまじまじと眺めると、やはり志乃という女に間違いないことを、確信した。懐から時政の書付を引っ張り出し読んだ。そこには、はっきりと吉野のことが書かれてあった。そして義経のことも、光の幽閉のことも、久やみよが居ることも、それにもまして、景時を欺く手はずまで認められていた。
「なんという事じゃ!時政は何を考えとるのか・・・鎌倉の政敵義経を匿うとは・・・これは大変なことを知ってしまった」
勝秀は住職に願い出て一夜を乞うた。離れの一部屋を貰い、そこで一蔵を待つことを決めた。口に猿轡をかまし、手足を紐で縛り志乃の意識が戻るまで傍にいた。
住職は心配をして様子を見に来てくれたが、手足を縛っている所を見られたくないので、「今は眠っておるのでしばらくはそっとしておきたく、ご心配なされませぬように」と中へ入れずに出迎えて話した。何かあったら知らせてくだされ、と返答してそのまま本堂へと帰っていった。しばらくして夕方の勤行が聞こえてきた。修行僧達の若く張りのある響きに混じって、しわがれた住職の太い喉が荘厳に境内に響き渡る。
やがて志乃は気を取り戻した。喋れない状態を知り、目と体で強く勝秀に訴えた。勤行の声に目を瞑り姿勢を正していたが、がさがさする様子に気付き、話しかけた。
「気がついたようじゃのう。何故このように縛られておるのかご存知よのう?大声を出さぬと約束するなら、猿轡は外そう、どうじゃな?」
志乃は顔を縦に振った。
勝秀は口に巻きつけた手ぬぐいを外した。
「どなたかは知らぬが、突然の無礼許しがたい。訳を聞かせていただかねば、答えられませぬ」
「そちの胸に聞けば何か心苦しいことがあろうぞ。私は勝秀と申す飴売り。そなたは志乃と言われるのじゃろう?」
「何故京の飴売りが私の名を知っておるのじゃ!それに心苦しいことなど今の仕打ちのほかにはないぞえ」
「強情な奴よな・・・ここには誰も来ぬし、助けも呼べぬぞ!食べるものもない。手足も縛られ、そのような態度でいると・・・」
「思い残す事はない!死ぬことなどいとわぬ。何も話さぬゆえ」
相当な女子だと勝秀は思った。明日の朝一蔵に会わせて、何を聞き出せるのか不安がよぎる。しばらくして志乃は思い出したように言った。
「勝秀・・・聞いたことがる名じゃ・・・そうそう光どのが話しておった父上の名じゃ!そなた、ひょっとして・・・光どののお父上なのか?」
時政の屋敷では、一蔵が久から聞いた光の居場所に伺う手はずを考えていた。子の刻(午前0時ごろ)近くになって周りが寝静まった頃、そっと起き出し、足を忍ばせて離れに近づいた。この時間見張りは居なかった。障子をゆっくりと開け、中に入った一蔵はしばらく光の寝姿を見ていた。畳を擦る音を立てて光が気づくことを願った。一蔵は元は武士、落ち着いた振る舞いが周りに気配を悟らせる事もなく、忍び込めた。
「一蔵殿!ここで何をしておられる?」
小声で光は話しかけてきた。
「気付かれたか!手短に話す。そなたの父上と会った。久殿に聞いてここに参った。こんな時間に無礼とは考えたが、急を要すので許されよ」
「なんと申されました!父上とお会いになったと!まことでござりまするか?」
「まことじゃ。そなたの無事を伝えておこうぞ。して、志乃と申す女子はご存知か?」
「はい、確か弥生様のお仲間だと聞きましたが・・・所在は知りませぬ」
「弥生殿と同じ・・・では、時政殿が家臣という事か?うむ・・・何ゆえ吉野まで遣わしたのか。藤江は志乃に殺されおった。それを景時殿が見つけて知らせてくれた。力添えを頂き志乃を探しておるのじゃが・・・」
「藤江さまが?母上、いや久どのが親しゅうされておった・・・何という事、そのようなお方には見えませなんだが、志乃さまは・・・きっとご事情がおありのこと、光には信じられませぬ」
「そなたは何も知らぬようじゃなあ・・・明日の朝父上に久殿の手紙を渡すが、そなたからは伝えたいことがあるじゃろうて、朝久殿に手渡されるが良い。邪魔したな、この様子では複雑な事情があるようじゃが、身体を慈しむようになされよ」
一蔵は何もなかったように自分の寝所に戻り朝を迎えた。約束の時間が近づき久に二通の手紙を渡され、屋敷を後にした。勝秀が志乃を捕らえていようなどとは、夢にも考えずに、歩いていた。目の前に細長い本堂が見えてきた。そこの境内がいつもの待ち合わせ場所になっていた。
「なんと言った!光・・・娘を知りおるのか?」
「これも天の引き合わせ・・・このように囚われて初めて逢うた心優しい光殿のお父上様が、ここに居られようとは。このようなことをなされているあなた様を知って、きっと光どのは悲しみますぞ!」
「・・・わしはそなたを知らぬが、親しい一蔵が無念の恃み。光とのことを知っておれば、違ったやも知れぬが、今は遅い。義経殿やそなたを操っている誰かは知らぬが不穏な動きに乗じて、我らの積年の恨みを晴らすだけ。未練はないが、光のことを聞いた今、ひと目会ってから旅立ちたいと願っては居るが・・・そなたに叶うことが出来ようか?」
勝秀は一蔵が無念を晴らすのを諌める代わりに、光との引き合わせを条件に出した。志乃はしばらく考えた後、光を連れてきたら自分を自由にする事が約束されれば、必ずお連れする、と答えた。
一蔵が藤江の無念をどのようにして晴らすのか判らないが、命をとることだけはしないだろうと予測はしていた。しかし、吉野まで連れてゆく、ぐらいの事は言いかねないであろう。自分の望みと彼の望みが志乃の立場を微妙にしていた。志乃は光を助け出すことに反対ではない。むしろ解放してやりたいと思っている。弥生と話して二人で連れ出そうと、思いをめぐらせていたが、一蔵は許すであろうか・・・目の前の勝秀の望みはまた自分を解放する望みでもあった。
作品名:哀恋草 第八章 父との再会 作家名:てっしゅう