音楽レビュー
Psysalia Psysalis Psyche『Matin Brun』
Psysalia Psysalis Psyche(以下PPPとする)は、アルバム『Matin Brun』において、個体的だがその蓄積によって全体にまで波及していく、恐ろしく計画的で精巧な終末観を提示している。
「世界が一つ終わってゆく、僕に虚しさを残して」(「Eternal Youth」より)。ここに端的にあらわされているように、PPPは世界を有機的な小世界のネットワークとしてとらえていて、それらの小世界は互いに組み合わされ融合していて、一つが壊れると連鎖的に別の小世界も壊れていくのである。何かの小世界が終る。するとそれに結合していた「僕」の世界も終わり始める。
「あぁ 僕は、何者でもない。」(「Narrow」より)「何者かであるという個人」の終末がここでは語られている。そして、この終末観は、重厚でノイジーなギターサウンドによる強圧的な破壊力、ねじれて奇妙な旋律による狡知的な破壊力、その二種類の破壊力により、大規模かつ精巧に支えられている。
あるものの終末というものは、そのものの価値を以後一切無価値にする。PPPが終末を迎えれば、それ以降PPPは一切の価値を失うのだ。だが、価値を失う一歩手前の、まさに終末するという刹那、そのものの価値は最大限に高まる。PPPの行っているのは、それぞれの緻密につながれた小世界が、まさに終末の瞬間に最大限の価値を発揮する、その瞬間を音楽の相に固定する作業だ。