音楽レビュー
THURSDAY『NO DEVOLUCION』
THURSDAYの曲を聴いていると、「この音楽はフィクションだ」と強く感じる。歌詞がフィクションであるのは読めばわかる。歌詞の主体が何か差し迫ったメッセージを発信しているというよりも、そこに細部を伴ったひとつの虚構世界を成立させているのだ。だが、音の方もまたフィクションなのではないか、と強く思わされる。音もまた、彼らの生々しい鼓動を伝えるというよりは、どこか幻想的で巧みに作り上げられた虚構のように感じられるのだ。
細部を丹念に描くということ。そして自分たちの実存から一度音楽を切り離すということ。迂遠に自分たちを隠し通すということ。必然性に駆り立てられた叫びをそのまま発するのではなく、それを何か虚構的なものに仮託するということ。そこでしか得られない曲の複雑さと破綻の無さがある。彼らは音楽をフィクションとして作り上げることによって、その完成度を飛躍的に高めたのではないだろうか。
フィクションとしての音楽、だがその背後にはより豊かに真実が描かれているのが分かるだろう。虚構の背後には彼らの実存があるのであり、虚構を豊かで完全なものにすることにより、その背後の実存もまた深みを増す。あるいは、自らの実存を細かく深くとらえたとき、それを最もよく表現しうるのは虚構なのかもしれない。虚構としての完成度を高めることで、その背後にある真実もまた深みを増す、そういう音楽制作をしているバンドだと思う。