音楽レビュー
SOUNDGARDEN『SUPERUNKNOWN』
SOUNDGARDENの音楽の基底にあるのは残酷さだ。相手から奪う残酷さだけでなく、相手に与えるときにも残酷さは伴う。自らが害をこうむるときの残酷さだけでなく、自らが恩恵を浴するときも残酷さは伴うのだ。自己と他者と出来事、それらは良くも悪くも連関していくが、その連関は良い時も悪い時も残酷であることに変わりはないのだ。つまり、自己も他者も社会も、すべては暴かれており、晒されている。何物にも保護されず、何物にも隠されない。そんな中で人々は残酷に生の連関を作り出していく。
ところがこの残酷さには強い意志が伴わない。この残酷さは極めて観念的なのである。音楽のひずみ具合、停滞具合、閉塞具合からして、彼らの世界観は気怠さで飽和していることが分かる。そこを支配するのは意志の原理ではなく観念の原理なのだ。意志とは反対の原理で全ては進行していく。つまり、やりたいからやるのではなく、やむを得ずしてやる。やりたくないけど仕方なくやる。そういう残酷な目に見えない強制によって彼らは日々を生きていく。
主体性や自由といったものは、考えてみればとても優れた浄化装置なのだ。人間の情念をあらかた吸い上げてくれる。ところが、彼らの音楽に表れているのは主体性なき人生、自由なき人生であり、それゆえ彼らの情念は低い所にわだかまり渦を巻く。彼らの楽曲がここまで停滞したところで牙をむかなければならないのは、主体性や自由というところへと情念を発散させることに失敗しているからだろう。そんな雰囲気が当時は確かにあったのかもしれない。