音楽レビュー
Sex Pistols『NEVER MIND』
SEX PISTOLSの歌っている内容はことごとくポップミュージックの逆である。ポップミュージックが平和を願い、恋人へ愛を歌い、真実を歌い、生命を歌い、問題や困難などないことを歌い、充実感を歌うのに対して、彼らは戦争を歌い、自己愛を歌い、虚偽を歌い、死を歌い、トラブルを歌い、空虚を歌う。ポップスが社会を均質化し、社会を慰撫し、社会をよりよく向上していこうとするのに対して、パンクは社会を撹乱し、社会の不均質を暴き、社会を様々な問題の壁にぶつけようとする。面白いのは、ポップスもパンクも、ともに伝わりやすいメロディーを持っているということだ。伝わりやすいメロディーは、ポップスにおいては社会の浄化をスピーディーに行うという機能を果たし、逆にパンクでは、抑圧された少数者がそれでも自分たちの主張を困難を越えてでも何とか伝えていくための機能を果たす。
ポップスは人間存在の円満な充実をもたらす。ポップスは人間を阻害しない。それに対してパンクはまず社会から疎外される。社会が認めたくない価値観をおおっぴらに表明するからである。次に自己から疎外される。トラブルに囲まれっぱなしで一時も安住できない自己は常に分裂している。だから、ポップスのやっていることは、人間の肯定的確認であるのに対して、パンクのやっていることは、人間の否定的証明なのである。ポップスは確認する。そこには既に整合的な知識・思想・価値の体系があり、それに対して疑義をはさむ必要がないので、ただ同じことを繰り返すだけなのである。だが、パンクは証明しなければならない。なぜなら、パンクが歌おうとしていることは、決して整合的でもなく承認されてもなく堅固に形成されていもいない思想・価値観だからである。
社会から疎外された自己、自己からも疎外された自己、しかしながら、その疎外された自己を歌うことこそが真実の自己の証明であり、その疎外の紛糾から動的に発出される思想・価値観こそが伝達に値するのだ、それがパンクの思想であろう。ここにあるのは否定・分裂・疎外から否応なく発生する運動それ自体であり、その止むにやまれぬ切迫した運動こそが、彼らのスピード感あふれる楽曲に反映されているのである。この自己の否定的証明の運動、この混沌は一度人を巻き込んだら容易に放そうとはしない。