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鐘が鳴る前に

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何がいけなかったのだろう。翔は考える。
 転校して早々の自己紹介がいけなかったのか、緊張しなさすぎたのがいけなかったのか。
 水に濡れた教科書を学校指定のリュックから取り出す。
 ため息をつく。こんなことしても誰にも届かないことは知っているし、誰かに届けたいわけでもない。ただ、前の生活に戻りたいと、そう願っていた。
 父親の転勤で、この町に引っ越してきた。この地区の中学校は「外見は多少荒れているが、中身は優しい」生徒が多いと聞いていたから大丈夫かと思って普通に暮らしていたらこのざまだ。
 特に誰かの恨みを買ったわけでもなく、ただ標的にされた、と。引き算していくとその事実しか残らない。
 言葉のナイフの避け方も学んだ。物理的な攻撃には心を閉ざせばいい。幸い、相手も見えるところに暴力は振るってこなかった。
 前の町ではどんな風に笑っていたっけ、そんなことを考え出そうものなら学校に行きたくないし前の町に戻りたいしで頭が狂いそうになった。
「はぁ、前の学校に戻りてー」
日に日にその思いは増していった。この頃その自分を嘲笑うかのように、前の町の夢を見る。昔の同級生と一緒に授業を受ける夢。野球をする夢。学校から帰る夢。
 制服のままベッドに寝転がると汗のにおいがした。そういえば今日は体育倉庫に閉じ込められたんだっけ。出るのに苦労したな。
 思っている以上に疲労を溜め込んでいる翔の体はずっしりと重みを増し、その重みに身を委ね、翔は眠りにつこうとした。もう日付も変わる。
「ねぇ」
 薄く目を開け、声のした方向に顔を向ける。そこには、色素の薄い、翔と年の近いように思える少年が立っていた。
 夢だと思った。
「……誰だお前?」
「僕は、……天使。このチケット、買わない?」
 少年が差し出したのは白い紙切れ。やっぱり夢だ、と翔が口に出す。
「夢じゃないよ。これ、過去に戻れるチケット。 君、昔の町に戻りたいって言ってたろ?」
 ゆっくりと頭を上げる翔に、少年がじれったそうに言った。
「ほら、自分の顔をつねってみなよ! これは夢じゃない」
 月の光に照らされた少年の髪が金色に見える。
 翔は自分の頬を引っ張った。痛みは感じる、しかし今目の前で起きている出来事が現実だとは信じられなかった。あまりにも、現実離れしている。
「ていうかさ、何で俺んちに入ってんの?」
 翔がいかにも不快だという目を少年に向ける。
「だから、僕は天使だって言っただろう?それくらい、できるさ」
 翔の目が今度は見開かれる。
「なあ、お前さっき『過去にいけるチケット』って言ったよな。何だよそれ」
 少年は待っていましたとばかりにニヤリと笑う。
「その名の通り、これを使えが過去に行くことができる。君の望む時代の過去に」
「そ……それ、俺にくれるっていったよな た、タダなのかよ?」
「それが無料って意味なら。ただ――」
 少年がうつむく。
「ただ、なんだよ」
「ただ、代償がある」
 翔は怪訝そうな顔を浮かべた。
「代償? 何なんだよ、それ」
 ただ「代償」と一口に言われても分からない。代償は、「代」わりに「償」うもの。償うこともないのにいじめられている自分は誰かの「代わり」なのではないかとふと思った。
 少年はそのまま斜め下を向く。
「それは、……僕にも分からないんだ。ごめん」
 翔が立ち上がる。少年は自分より一回り背が低く、線も細かった。
 少年が心持ち見上げるようにして言う。
「どうする、買う?」
 翔は少年を見据える。少年は笑みを浮かべていた。月明かりのコントラストが少年の影を濃く染めている。なぜだろう、翔をいじめる奴らの顔と重なった。
「今すぐでなくてもいいよ、期限は七日。よーく考えて」
 少年は翔に背を向けると、消えていった。
 残ったのは少年と同じ色をした月明かりと翔だけ。

  ***

 夢だ。
 昨日の夜のことは忘れようもないくらい覚えているが、それが現実だという証拠にはならない。あれが現実なら、この何の変哲もない朝が来るはずがない。
 食卓には三人、父洋介とその妻紀子、そして翔が座っている。いつもと何も変わりはない。
「ねえ翔、この頃学校のこと何も話さないじゃない。まだ新しい学校に慣れてないの? それとも何かあったの?」
「え、何もないよ。特別母さんに言わなきゃいけないこともないし。この頃あったことといえば……、鈴本がガラス割ったくらいかな」
「そう?」
 納得のいかない顔を浮かべる紀子に洋介が大きな口をあけて言う。
「まあまあ母さん、俺が子供の頃も親に反抗ばっかしとったから、翔もそういう時期なんやろ、な?」
 よかった、バレてない。翔は心の中で安堵した。いじめられているということがバレたら、と思うと恐ろしい。
 二人がどんな行動をとるのか分からないという点でもそうだが、何故か自尊心が心を抉るのだ。「なんで自殺なんかするんだ。さっさと親にでも言えばいいのに」。自分がいじめられて初めて分かった。
 どんなにいじめられても、人間は自尊心を優先するんだ。鬱になって、死にたいと思うまで、いや死ぬまで、独りで自尊心を守る戦い。それがいじめ。
「そんんなこと本人の前でいうなよ」
 少し笑う。今日も完璧だ。明るい子供を演じ続ける。
「もうこんな時間だ、母さん、俺もう学校行くから」
 バタバタとリュックを背負い、靴を履く。
「はいはい、いってらっしゃい」
「いってきまーす」
 重い足取りなんか見せるな、自尊心が囁く。
「毎日学校がそんなに楽しみなのかしらね、いつも元気そうで」
 母の言葉を背中で聞き、安堵と絶望、両方を抱えている自分に気が付いた。

作品名:鐘が鳴る前に 作家名:さと