桜の下の秘か
一
家の裏手には、祖父の所有する土地のひとつである小さな山があった。
そこは春になれば桜色に染まると言われるほど多くの桜の木があり、地元の住人達は桜山と呼んでいたらしい。
だが金満家で傲慢な祖父は、この辺りの人間は皆自分より下賎で卑しい人間だと考えていた節があり、自分の所有する土地に他人を入れることを嫌い、自宅の庭の一部とも考えていた山には許可なく他人は足を踏み入れることはできなかった。
老いて足腰の弱った祖父はやがて山に立ち入ることはなくなり、奉公人達にも必要がなければ勝手に山に入ることは許していなかったため、やがて山に入るのは僕一人になっていた。
祖父はこの辺り一帯に多くの土地を所有する大地主だった。住居である家は母屋の他にかつて妾を多数住ませたという離れが複数。更に広大な庭がある。それらの管理、身の周りの世話をしてくれる奉公人はいたが、血の繋がった家族はその祖父一人だった。
両親はいない。生きてはいるが、祖父との折り合いが悪く僕が幼いうちに婿養子だった父を離縁させ、祖父の一人娘だった母は父と共に出て行ってしまった。その代償に家の跡取りとして僕を祖父に差し出し、二人は今遠く東京で暮らしているという。
母のように僕が家を出ていくことを懸念し、村の子供たちと気安く遊ぶことも厭った祖父の命令で僕は幼いころから殆ど家から出ることがなかった。そのようだから学校へ通うようになっても友人らしい友人はない。
だがあまり縛りすぎて反発し、母のように出奔するように出ていかれても困ると考えたのか、目の届く家の裏手の山にのみ遊びに行くことを許された。もちろん連れだって山に遊びにいくような相手はいなかったが、息苦しい家と孤独な教室以外の唯一の場所に、僕は喜んで出かけていくようになった。山が自室よりも落ち着くようになるのにそう時間はかからなかった。
うるさい祖父も奉公人達もいない、僕だけの場所。
春になれば一面に桜が咲き、桜色に覆われた空の下、本を読み、見たこともない世界へ思いを巡らせることが一番の楽しみだった。
だが十五の春。
僕は独りでなくなり、それ故喪失の痛みを知る。