Reborn
12
三月になった。友人は四月から移転で県南へ行く。私と友人との関係は「人間関係」ではないみたいだった。人間関係のやりとりにおける、相手を無理に気遣ったり、相手を無理に理解しようとしたり、相手と無理に距離を取ろうとしたり、そういう無理が一切なかった。川と川とが自然に合流して自然に混ざり合ってまた自然に分かれていく。そういう風にして私たちは別れようとしていた。
私はいつも友人より先に歩く。これは別に主従関係というわけではなく、単に私が生き急いでいるからだ。余裕をもって行動するということを滅多にしない。動けるときは動く。赤信号でも車が来なければ必ず渡る。歩行者信号の点滅では必ずダッシュする。
「なんかよく分からない感じで会ってるね。いや、移転は特にめでたいわけでもないし。送別会というのが正しいのかな。葬式もそうだよね。悪い出来事があっても人は集まったりする。」
私たちは上田屋のテーブル席で、二人ともラーメンを食べ終えた後だった。私はいつものようにしょうゆチャーシュー麺。友人はネギみそチャーシュー麺中盛。
「そもそも俺たちが会うのに意味なんかなかったんじゃない?」
友人は軽く笑いながら、私に視線を向けそう言った。
「いや、意味はいろいろあったんだよ。でもそれを毎回隠してた。考えないようにしていた。意味、などと大げさに言うとなんか恥ずかしいし、逆に会いづらい。言葉にしないしちゃんと考えもしない、でも本当はわかってることってたくさんある。」
「それは雄太らしくないなあ。なんか前は、世の中には筋の通ってることと筋の通ってないことがあって、筋の通ってないことに筋を通すのが自分の仕事だって言ってなかった?」
「筋を通すことは、その物事を破壊することにもなりかねない。自分も破壊されるかもしれない。ただね、聡君と意味もなく会って話してたことを、そっとしておきたいんだ。自分が感じてるままにぼんやりと感じ続ける。分析しない。説明しない。」
「まあこれから今までの日々は失っちゃうわけだしなあ。失うものをさらに破壊する必要はないわけだね。失う時点で打撃なのに。さらに破壊したら二重の打撃だ。」
「なんか俺は今までたくさんのものを失った気がするね。でもさ、これを失った、あれを失ったって感じで、失ったことが分かるものはいいよ。でもね、失ったことが分からないまま失ったことがたくさんあるんじゃないかと思ってね。それを考えると怖い。失ったことが分かってない。でも失ってる。」
「うん、そういうのはあると思うよ。自分で壊したものなのに、自分で壊したことすら忘れてることってあるから。」
「少し発掘作業をしようか。例えば何だろう。純粋さ。エネルギー。いや、それよりも、こんな風にめんどくさいことを考えなくても生きていれたっていうことじゃないかな。子供のころ、自分の代わりに物事は大人が考えてくれていたんだ。自分では考える必要がなくて、大人の言うとおりにしていればよかった。そして大人は外敵から自分を守ってくれた。楽園にいたんだよ。知恵の実を食べる前の。おとなが自分を守ってくれなくて、自分で自分のことを考えなければいけなくなったとき、俺たちは知恵の実を食わざるをえなかったんだ。知恵の実は、決して誘惑されて食べたんじゃない。俺たちは無理やり食わされたんだ。生きるために。そして自ら楽園を去っていった。楽園から決して追放されたわけじゃない。自分の足で自分の意思で楽園を去って行ったんだ。」
「おお、失った神話を取り戻したんじゃない?」
「ああ、確かに神話だね。神話は比喩だからね。そして神話は過去の闇を物語で充填するもの。失ってほとんど忘れてしまったものを救い出すには神話を作るしかない。」
「まあこの一年間もいつかは神話になるんだろうね。」
「そのときは、筋を通すことでこの日々を救済するんだね。今現在では筋を通すことが逆に破壊になるというのに。」
「ありがとね。」
「いや、こちらこそ。」
私たちは店を出た。前の日は季節外れの雪が降ったが、その日は晴れて道路も乾き上がった。私はトレンチコートを整えると友人の車に乗り込んだ。いつもの道を通って私の家の前にとまる。
「少しだけ破壊してもいいかな?」
「え、何?」
「Syrup16gの「Reborn」って曲があるでしょ。あれが俺にとってはこの一年間を語るべき神話だね。」
「汚れて傷付いて生まれ変わるってことかい?」
「それだけじゃないけどね。よくわかったね。じゃあね。」
私は車を降りた。ドアを閉めると、友人はクラクションを鳴らしながら去っていった。私は光によって浮き立たされた風景の中で、大きく息を吸い込んだ。