Reborn
10
友人の母方の祖父がなくなった。だから友人は法事で、私と食事に行くことはできない。空は一面重苦しい灰色がかった白だった。日光は苦しんでいるように見えた。苦しみゆえの悪意、苦しみゆえの鋭さが、風景を沈鬱に浮き立たせていた。ちろちろ、と鳥の声がする。姿は見えなくても、いつも鳥はどこかで鳴いている。その中に青い鳥もいるだろうか。「ごめんね、僕はいくら君が青い鳥でも、もう青くは見えないんだ」
私はそう思った。
私は勉強を休んでいたが、いったい自分の空虚さがどの辺から生じたのか、どんな経緯をたどったのか確かめたくなった。それで自分のブログの過去ログを調べてみようと思った。私は台所の端の水切りかごからマグカップを取り出した。皿や茶碗の下にあったので、取り出すときに陶器の触れ合う痛々しい音が響いた。フードケースの透明な蓋をあけて、中からインスタントコーヒーの瓶と粉状のクリームの瓶、砂糖の入った小さな蓋つきの容器を取り出して、コーヒー、クリーム、砂糖の順でマグカップに適量落とした。玄関のサッシから入ってくる光がまぶしい。ここでは光は弱弱しく、手元はポットの影になっていて少し暗い。ポットのボタンを押して、適量の湯を注ぐ。そしてパソコンのある部屋へと、マグカップのバランスを保ちながら向かった。
私のブログは「nikki」というタイトルである。つけたときにはその意味はわからなかったが、あるとき、たぶん一年くらいたってから、その意味がわかった。
「このブログはそんな大それたものではありません。かっこいい名前を付けるほどの中身はない、ただの日記です。でも日記と言っても高級なものから低級なものまであります。私の日記は、「日記」と漢字で書かれるほどクールでも有意義でもありません。かといって「にっき」と平仮名で書かれるほど優しいわけでもユーモアがあるわけでもありません。かといって「ニッキ」と片仮名で書かれるほどしっかりして着実なわけでもありません。私の日記はただの「nikki」です。何の属性もなく、何の特長もなく、何の価値もなく、ただ吐き捨てられていく無色透明な言葉達です。」
私が浪人生活を始めたころの日記。「対話」という表題。
***
18の頃の自分と対話してみたくなった。
18「こんにちは。あなたはまだ職にも就けていないの? 文学賞をとっているわけでもないし、助教授になっているわけでもない。これまでの時間一体何をしてきたの?」
27「そうだ、君には君がいま思っているほどの才能はなかったんだよ。私はその場その場で最善を尽くしてきたつもりだ。今はしほうしけんに向けて勉強をしている。」
18「物理学によって世界のすべてが説明できるはず。そう信じてたよね? その夢はどうなったの?」
27「君にはこれから気付かなければならないことが山ほどある。そして、安心したまえ、君にはそれらのことに気づくだけの素質がある。物理学はすべてを説明できるわけではない。ただ高校ではそのことには気付かせてくれないだけだ。」
18「気付かなければならないことってほかにはどんなこと?」
27「それを今言っても、君はそのことに本当に気づくことはできないだろう。実感のないものに価値はない、君はそう思っていたはずだよね? 気づくべきことは実感として気づかれなければならない。」
18「僕は学校での成績はいいけど、少しも物事を理解した気にならないんだ。だから、周りの人に頭がいいといわれても少しも実感できない。この悩みは解決するの?」
27「ああ、解決するとも。そのうち君は自然と理解を実感するようになる。だがそれは、同時に無理解を自覚することでもあるんだ。理解した分だけ理解していないことの存在が分かってくる。君はいずれ無知の知にさらされ、そのことに絶望するようになるんだ。」
18「そうなんだ。あの、僕は今小説を書いてるけど、少しも完成しないんだ。何でなんだろう。」
27「それは君がまだ自分の殻の中に閉じこもっているからだよ。他人に興味を持ち、人生に興味を持つ。それが欠けている君には詩しか書けない。いずれ君は詩を書くようになるが、それはそういう理由によるんだ。」
18「あなたは今小説を書いているの?」
27「ひそかに書いてはいるが、満足できるものは書けていない。そして、重要なことだが、文学に絶対的な価値はない。価値はほかにいくらでもある。」
18「例えばどんな価値?」
27「学問的な追究、人間関係の良好、苦しむこと、愛すること、いくらでもある。」
18「ふーん、今はよくわからないことだらけだけど、いつかわかる日が来るんだよね。」
27「ああ、いつかね。最後に言っておくが、君はこれからいくつかの試練にさらされる。それによって君は耐えがたいほどの苦痛を感じるかもしれない。君の人生は大きく狂っていく。だが、どんな時でも必ず君を支えてくれる人がいる。残念だが君の今の幸せもそのうち消える。だがそのことによってより深く人生に触れていくことができるようになる。」
18「それは嫌なことを聞いたなー。まあたぶん何とかなるよね。」
27「その楽天主義自体もいずれ消える。何とかなるというより、何とかしなければならないのだ。今気付いたが、君が私と話すことにはあまり意義がない。君は知らないことだらけで私は知りすぎている。建設的なものを生み出す共通の基盤がないのだ。この辺でこの対話は終わりにしよう。」
***
この時点で、私は自分の才能のなさに気づいてしまっていた。なんの賞も取っていなければ、大学の職についているわけでもない。そういう客観的な事実は、運命が私に差し出した不可抗力だ。岩のように動かない。絶望は不動なものから生まれるのかもしれない。不動なものは不動であることの誇りを持ちつつも不動であるだけでは耐えられない。だから、周りの人間を絶望させて、周りの人間を何かしら動かして、周りの人間が動けることに嫉妬しながら、うっぷんを晴らすのだ。私ーはコーヒーを啜って、今回は少し濃かったな、と思う。
次に、その3ヶ月後くらいの日記。「晩年」という表題。
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晩年が始まった。私には人生に二つの時代しかなかった。少年時代と晩年である。この二つを区切る幅のない線分が私の青春である。青春ははじめ一定の幅を持っていたが、そして「自分は今そこにいる」と思っていたが、今となってはここまで圧縮されてしまった。だがこの晩年というものも、実は仮面をかぶった少年時代に他ならない。
少年時代には永遠の反抗があった。私は教師に反抗し、絶対的真理に反抗し、社会や道徳に反抗し、自分の信じる生産・成長という価値に反抗し、自己正当化に反抗した。そして、すべてを失った虚無にすら反抗した。すべての価値を失い希望を失ったとき、晩年が始まった。それは永遠の相に固定化された少年時代に他ならない。
晩年において、私はいかに仮定的な価値を信じていくかを考えるようになった。いかに仮定的な希望を持ち続けることができるかを考えるようになった。あらゆるものが仮定的になった時代、それが晩年である。