金木犀
金木犀
私は、企業PR誌の編集をしているKさんの所に原稿受取りに行った。Kさんの指定した通りに組版をするためである。Kさんは私より少し年上じゃないかと思われるのだが、女性ゆえに私はKさんに年齢は聞いてはいなかった。私が50前だから、ちょうど50歳ぐらいだろうか。電話で話す落ち着いたやや低い声を、いつも好ましく感じていた。
Kさんの家の表札には、Kさんの名前の他に別姓の男の名前があったが、何度訪れても姿を見ることは無かった。そして雑談している時にも表札の男のことが話題に出ることも無かった。それはいつも昼から夕方の間に訪問しているせいかもしれない。
原稿を受け取って、庭の花を眺める。古い平屋建ての家のまわりには沢山の草木があった。玄関の側にあった黄色い花の名前を尋ねると
「あれっ、何だっけなぁ、確か金色が関係してたなあ」とKさんは少し考えている。
「キンセンカ?」と、私はとっさに頭に浮かんだ花の名を言った。
「ううん、違う。似てるけどね。ゴールド、あ、マリーゴールドよ」と言って微笑んだ。それから庭で咲いている花の名を教えてくれたのだけど、私は全部は憶えきれなかった。でも酔芙蓉だけは頭に残った。
「この花ね、朝は白い花なのに夕方になるとうっすらピンク色になるのよ、お酒を飲んだようにね、だから酔うという字に芙蓉で酔芙蓉、面白いでしょ、あら、少しピンクになってきたようよ」
優しい声と眼差しで酔芙蓉の花を見ているKさんと、まわりの花々に取り込まれたように、私は異次元に入り込んだような気分になった。咲き乱れる花々の中、Kさんと二人だけ。時間の感覚もなくなって、気のせいかKさんの声が艶っぽく聞こえてくる。かすかな風が吹いて金木犀の花の香りが運ばれてきて、近くの花々の匂いとまじりあっている。