「深淵」 最上の愛 第三章
「危ないから暴走はやめてよ。私も直ぐに向かうから」
「大丈夫ですよ。心配なさらないで下さい」
サイレンを鳴らして国道を元町に向かって森岡は飛ばしていた。
「今、元町まで来ましたわ。どこに行けばいいんですか?」
伊藤は運転しながら籾山に電話をしていた。
「ガードくぐったら直ぐを右に入って、ちょっと行った左側や。表に居るから解るやろ」
「あとニ三分ですわ」
深夜の国道は少ないとはいえタクシー以外にも車は走っていた。伊藤は籾山の店に行くことに神経を使っていたから、警察の覆面パトが着けていた事に気付かなかった。森岡は神戸市内に入るとサイレンを停めて信号に従って元町まで進んだ。絵美と合流して、尾行している覆面パトからの連絡で反対方向から向かうように回り道をした。気付かれて逃げられたときに、どちらかの車が直ぐに追えるようにするためだ。
「近いわね。車停めて。歩くから」
「一人でですか?」
「大丈夫。車は気付かれるわ。あなたもここで降りて私とは反対方向から向かってくれない」
「了解しました」
「兵庫県警の車は停車させるように言ってくれる」
「いま、言います」
半径50メートル以内に伊藤の車が向かっている場所を絞り込んだ。
伊藤の車は籾山の立っているすぐ横に停車した。
「すんません、迷惑かけてしもうて」頭を深く下げて伊藤は力なく籾山を見上げた。
「ええねん、しゃあない・・・中に入り」
「おおきに。へえ、ええ店ですね。流行ってるんでっしゃろ?」
「まあな、週末はえらい混みようや。まあ、一杯飲み。何がええ?」
「酎ハイでもええですか?」
「作ったるわ。待っとり」
籾山は二杯作って一つに戸村から渡された粉を入れて混ぜた。ちょっと手が震えた。大きく深呼吸して気付かれないように、ゆっくりと伊藤に手渡した。
「乾杯しょうか・・・久しぶりの再会にや」
「兄貴、ほんまに助かりましたわ。乾杯!」
森岡は道端に停車している黒のステップワゴンを発見した。京都ナンバーで7689、最後が9だから間違いなかった。
「警視正!発見しました。南側の道筋です。店の前に停まってますわ」
「解った。無線で連絡する。こちら大阪府警の早川警視正です。容疑者伊藤政則の車を発見しました。場所は兵庫県警に確認してください。森岡警部補と現場に踏み込みます。周辺の配備お願いします」
本部長から、「連絡はしておくから、慎重にやれ」と返事が来た。
兵庫県警の巡査を車の前と裏側の通用門の前に立たせて、絵美は森岡と入り口に立っていた。
「森岡くん、イチ、ニイ、サンで踏み込むわよ。銃を上に向けて構えて」
「準備完了しました」
「いいわね?」
「はい」
「イチ、ニイ、サン!」扉をけって中に入った。
「警察よ!手を上げなさい!」
びっくりした表情で籾山は手を上げた。
「籾山伸次ね。伊藤政則はどこ?」
床に血痕を見つけた森岡が、「血がついてるやんけ!籾山!どないしたんや!言わんか」
表に居た兵庫県警の巡査たちが一斉に入ってきた。
「伊藤を探して、必ず居るはずだから」
厨房に入った巡査から、「発見しました」と声がした。
「森岡くん、確認して」
「はい、・・・警視正、死んでます。口からたくさん血吐いてますわ」
「籾山、何をしたのか言いなさい」
「知らんわ。ここに来たら、死んどったんや」
「うそ言いなさい!調べたら解るからね。口封じに殺したのね」
「誰かがそうしたんでしょうけど、俺は知らんから」
「私たちは大阪から伊藤の車を尾行してきたのよ。死亡推定時刻にアリバイが無かったらあなたしか犯人は居ないのよ」
「今来たとこやから、刑事さんが入ってきてびっくりしたんですわ」
「伊藤の車が停車する時刻には私たちは周辺で見張っていたのよ。そんなうそは通らないわよ。あなたは確実に伊藤よりも早くここに着いていたか、中に居たんだから。観念しなさい」
「ちっ!このくそガキが・・・着けられやがって」
籾山は現行犯逮捕された。収監先の元町署に絵美と森岡は向かった。
「やりましたね、警視正。しかし、残酷なもんですね。手下でも容赦なく殺しよるから」
「そうね、そんな社会は必要ないのよ。徹底的に洗いましょう。きっと主犯はもっと上の奴だから何とか突き止めて組の解散に持ってゆきたいわ」
「大丈夫でしょうか?籾山が捕まったことできっと一樹会も神戸の山中組も警戒してると思いますから」
「今回の事件は暴力団だけの殺し合いじゃなくなったのよ。一般人も含まれているの。真相を明らかにするまでは手を緩めないから、頑張ってね」
「はい、そのつもりです。いつの世も子供とか女性とか言う弱いもんが犠牲になるんですよね・・・震災でみんなが一つになった神戸の町やのに、なんでこんな悲しいことが起こるんや・・・」
震災で一つになった町。その言葉は忘れかけていた絵美の心を揺さぶった。
籾山の逮捕はテレビで報道されたので、一樹会も山中組も知ることとなった。報道陣への記者会見は翌日籾山を大阪府警に搬送して午後から絵美が担当した。
「警視正!起きてくださいよ。時間に遅れますから」
そう声をかけられて、一課のソファーで眠っていた絵美は起こされた。
「いけない・・・何時?」
「8時ですよ」
「顔洗って化粧品をし直さないと・・・直ぐ行くから待ってて、森岡くん」
慌てて、洗面所に絵美は飛び込んだ。
作品名:「深淵」 最上の愛 第三章 作家名:てっしゅう