卑怯者
彼が洋服を身に着け、私も部屋着を着ながら、あの夜の事を思い出していた。
あの後、しばらく泣き止まなかった私を、彼はずっと、何も言わずに抱いていてくれた。
こんな事をしたら罰が当たる、今なら引き返せる、ダメだって言わないと。
頭ではわかっているのに声にならなくて、その声の代わりにただ涙だけが溢れ続けた。
私は自分の我が儘を選んだ。
想いを遂げた代償は、あまりにも重い十字架だった。
私達はぐるになって、彼の奥さんを騙しているのだ。
彼女と同じ女性として、私は自分が彼女に対して犯している罪の重さを感じていた。
「間に合うかな」
彼のその声で現実に戻った。
「走ってでも間に合わせて」
目だけで笑って混ぜ返す。
「はいはい、帰った帰った」
「冷たいなぁ」
笑いながら彼は玄関を開けた。
「じゃあね」
キスをしようとする彼を、気付かなかったふりをしてかわし、
「じゃあね。また明日」
私はひらひらと手を振った。
玄関ががちゃん、と閉まる。足音が遠ざかる。小走りの足音。
結局そうやって彼は帰っていくのだ。
彼女の待つ家に。
また、あの劇場での公演が近付いている。
今度は私が彼を公園に呼び出して、別れを告げようと思っている。