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卑怯者

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ずっと好きだった事に、まさか気付いていないとしたらどれだけ鈍い人なんだろうと思っていた。
いくら好きでいても、何ともならない事はわかっていた。
私が彼を好きだと気付いた時には、もう彼女との結婚を意識していたんだろう。
あの日、「おめでとうございます」と笑顔で言えた私を、全力で褒めてやりたい、と思っていた。

全て、自分の中できちんとケリをつけようとしていた。

あの日、舞台袖の暗がりで、私は彼がハケてくるのを待っていた。
彼は次のシーンまでに衣装を替えなくてはならない。そのサポートをしなくてはならないのだった。
ハンガーラックの横で私は待ち構えていた。
ステージから彼が飛び込んでくる。私めがけて駆けてくる。
いつものように今着ている衣装を全て脱がせ、次の衣装を着せていく。
今日も無事間に合った。
あと1分弱余裕がある。
足元に脱ぎ捨てた(脱がせ捨てた、か)衣装をまとめていると、背後から小声で名前を呼ばれた。
振り返ると、突然唇を重ねられた。
息が止まるほど驚いているうちに、彼は軽やかに舞台に出て行った。


それから1年と少しが経つ。
「もう電車なくなるよ」
彼の腕の中で私は言った。
「冷たいなぁ」
「奥さん待ってるよ」
「待たせてるのは誰だよ」
「私じゃないわ」
「離れたくない」
冗談っぽく言って、彼の腕が私を更にきつく縛る。
「だぁめ。帰りなさい。早くしないと服を着ているうちに終電出るよ」
笑いながら両腕で彼の胸を押し、離れた。
『本当は私だって離れたくない』
けれどそれは言ってはいけない事だった。絶対に言わないと決めた。

作品名:卑怯者 作家名:すのう