ハニィレモン・フレーバー
職業柄、変装は得意だった。
茶髪のウィッグをつけて眼鏡をかけて化粧で幼さを演出する。
「うーん、ギリギリ大学生?」
元々童顔なので子供っぽい部分を強調すればなんとかなるのだが、四半世紀くらいの歳はいっているので、あんまり子供っぽく見られてもうれしくない。しかし変装がばれると面倒なので、出来上がりは完璧に仕上げた。
黒のカーディガンに赤のチェックが入ったスボンを履いたカイナはかつて訪れた安アパートに向かった。大学の授業スケジュールも調べ上げているので、相手が夕方頃にはいつも帰宅しているのは確認済みだ。
あまり目立たないように遠い場所から目的地を見てみると、居た。
アパートの傍にある水道から水を汲んでいる最中らしく、その傍に小さな子供が足元にしがみついていた。捜査結果からそれはあのアパート管理人の息子だということが分かっている。どうやら面識があってかなりなつかれているようだ。
銀色のブリキバケツいっぱいに水を汲んだ透は、アパートの傍にあるプランターに水をやり始めた。傍に小さな子供がまとわりつき、時折興味が傍の道路に走る車に向くらしく、透は子供の手を握っていた。
双眼鏡を覗いていたカイナはじっとその様子を眺めていたが、陣取っていた廃屋の屋上から下り始めた。足は自然とアパートの方へと向かう。
会って話をするつもりはない。そのための変装だ。カイナはその場所に向かった自分が何をしようとしているのか、分からなかった。ただ自然と足が向き、少し傍で見てみたくなった。何気ない顔で通りすがればいい。そう考えた。
カイナがアパート近くを通りかかる時には水やりは済んでおり、咲き頃を迎えているハイビスカスの鉢の前で小さな子供が花を摘んでいた。
隣に腰を下ろした透は二輪花を持った子供に話しかけながら、一緒に微笑んでいた。
ああ、あんな風に笑うのか。
足を止めることなくカイナは思う。
優しい微笑だった。みているこちらが恥ずかしくなるような、愛しいものを見つめる瞳。
花を抱えた子供はじっと透を見つめた。小さい手で花を持ったまま、子供は更にもう一輪、花を摘んだ。その花を透の短い髪に差し込んだ。透は目を瞬いて話しかける。
「くれるのかい」
声が聞こえるほど、近くまできていた。
どうやら寡黙な方らしい子供はこっくりと頷いた。手に持った花は大事そうに持ち続けている。そう、と呟いた透は笑ったまま、小さな顔の頬に唇を寄せた。そうされることに慣れているらしい子供は嬉しそうに目を閉じる。
「ありがとう、暁太」
眼鏡のレンズ越しに見ていたカイナは踵を返した。
足早にその場を離れながら、完全に姿が見えなくなるのが確認できると、走り出した。アスファルトの道路を蹴り、大型トラックが横を通り過ぎるのも気に留めず、カイナは走り続けた。
恥ずかしい!
顔に血が集まるのを感じる。無茶苦茶な全速疾走に身体が悲鳴を上げて息が乱れた。それでもカイナは止まらない。
なんて恥ずかしい男だ。彼にとって口づけは挨拶なのだ。外人かあの男は。
あんな小さい子供に彼はキスをし、そして喧嘩したばかりの相手に慰めとばかりにキスをする。カイナは軋むほどに歯を噛みしめる。
「節操なしが、邪道が、甘ちゃんが、お人よしが!」
思いつくばかりの罵詈雑言を並べて、荒い息を吐く。赤くなった頬を擦り上げて、意味のない言葉を叫ぶ。
キスをして欲しいと思った。
そんな子供にはなく自分に。
頬ではなく唇に。唇にだけではなく胸に、腕に、足に、太腿に、更にもっと奥まで。
キスされたなら、自分はどうなってしまうだろう。
真っ赤になった顔を押さえて、息を切らしたまま人通りが少ないあぜ道に迷い込んでいたが気に留めていられなかった。
コンクリートの上に蹲ったカイナは己を抱きしめる。
言葉の意味は知っている。しかし感じたことがない恋に落ちていた。
作品名:ハニィレモン・フレーバー 作家名:ヨル