日課
高校に入学してからというもの、私には日課があった。
‘毎日放課後に、図書室に行く事’。
別にカッコいい先輩が待っているとか、イケメンが本を読んでるとか、そんなんじゃない。
ただ単に、私が図書委員で、本が大好きっていう理由。
しかも、私の通っている学校は、結構古い本がたくさん置いてある。
本屋さんには並んでいない絶版まであるから、たまにビックリするけど。
委員会の仕事はほとんどないし、まだ読んだこと無い本たちと過ごす放課後。
そんな私の日課は、至福の時でもある。
ある日、珍しく男子生徒が図書室にやってきた。
『銀河鉄道の夜』を読んでいた私は、つい彼を目で追ってしまった。
彼は、馴れたように本棚の周りを歩くと、手に数冊のハードカバーを抱えてカウンターに来た。
「すいません、これ借りたいんですけど…」
窓から差し込む夕日が、彼の顔に当たる。
綺麗な瞳と、少し高めの鼻。薄い唇から放たれる、低すぎない声。
かけているこげ茶縁の眼鏡が、知的さを醸し出していた。
「あのー…?」
うっかり見とれてしまい、彼が私の顔を覗き込む。
「あっ、はい、すみません!え…っと、クラスと名前をどうぞ」
カウンターの引き出しを開けながら言う。
何だか気恥ずかしくって、引き出しの中を見つめた。
「一年三組の竹本和弥です」
「ちょっと待ってくださいね」
そう言って、カウンターに置かれた本を手元に持ってくる。
あ、『チボー家の人々』だ。なんて思いながら、背表紙をめくった。
背表紙にある貸し出しカードを抜き取って、そこに返済期限に合わされた判子を押す。
隣のページに貼られたカードにも、同じように押した。
それをあと三冊済ませて、抜き取った貸し出しカードは引き出しの中にしまった。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
彼、竹本くんはそう言って笑った。
どこかで会った気がするのは、気のせいかな?
次の日、私は上機嫌で図書室に向かう廊下を歩いていた。
委員会としての仕事は、週に一回。
私の当番は水曜日で、今日は木曜日。
つまり、今日は本を読む時間が当番で削られないってこと!
思わず鼻歌がもれそうになる。
えっ?友達は居ないのかって?
い、いますよそのくらい!
私の本好きを理解してくれる、紗代って子が!
「あっ、風香ー」
後ろから聞こえる紗代の声に、私は振り向いた。
「紗代?どしたの?」
ぱっつん前髪の姫カットを後ろで簡単にまとめた、体操着姿の紗代。
少し汗をかいていて、頬は上気していた。
「あのね、ちょっと頼みたい事があるんだけど、いいかな?」
「うん、どうかした?」
私がそう尋ねると、紗代は申し訳なさそうに笑った。
「職員室から、部室の鍵を由梨に渡してほしいんだ。あたし、ちょっと用事ができちゃって…」
そう言って、紗代は後方をちらりと見た。
そこには、ピリピリした表情でこちらを見ている宮川先生(女)が立っていた。
「あー…、なるほど。わかった、バスケ部だよね?」
「うん。ごめんね、ありがと!」
そう言うと、紗代は先生の所に走って行った。
「大変だなぁ」
紗代と先生を見送って、手のひらに落とされた鍵を握りしめる。
どうせ紗代は補習だな、なんて考えつつ、踵を返して部室棟へ向かった。
バスケ部の部室に鍵を渡して、図書室に行くと、竹本くんがいた。
カウンターに座って、昨日借りていた『チボー家の人々』の一巻を読んでいた。
なんだ、同じ委員会だったんだ……。
暫く見ていたけど、入り口で突っ立っているのも邪魔なので、とりあえず奥に進む。
そして、私のお気に入りの席が空いている事を確かめてから、本棚に向かった。
近くにあった『舞姫』を手に取り、お気に入りの席、カウンターに近い窓辺に座る。
…中二の時、最終下校時刻を過ぎているのに気付かなくて、先生に怒られた事があった。
もちろんお母さんにも怒られた。「その集中力、勉強に活かせたらねぇ…」って。
それから、自然とカウンターの近くに座るようになった。
その日は、私が座っている席の窓が開いていた。
心地よい風が窓から吹いてきて、肩までの短い髪が、少しだけ揺れる。
そろそろ春も終わりだなぁ、なんて考えながら窓の外に目をやると、夕日がきれいに見えた。
「返却お願いします」
次の週の水曜日。
『伊豆の踊り子』を読んでいた私に、声がかけられた。
もちろんそれは、竹本くんだった。
「あっ、はい」
本を置いて、カウンターの引き出しを開けた。
その時、『チボー家の人々』をちらりと見る。
「これ、面白かったですか?」
他の本で名前を知っただけで、まだ読んだ事はない。
だから、返却作業をしながら聞いてみた。
「え?ああ。まだ途中だけど、面白いよ」
竹本くんは、いきなりした質問に驚きながらも、にこやかに答えてくれた。
「そうなんだ。…はい、終わりました」
作業を終えてそう言うと、竹本くんは笑った。
「それ、読んでみれば?」
「えっ?」
今度は私がびっくりした。
「読んだことないんでしょ?俺のおススメ、って事でどう?」
「あ、うん…。読んで、みようかな」
ずっと気になってたし、そう返事をした。
「よし、そうこなくっちゃ!」
そうしたらまた、竹本くんが笑った。
「すいません。これ、借りたいんですけど」
次の日、私は『チボー家の人々』を持って、カウンターに向かって言った。
「え…?」
カウンターでびっくりする竹本くんに、私は笑いかける。
「お願いします」
「あ…、あぁ、はい。ちょっと待ってください」
暫くしてから、竹本くんは動き出した。
そんな竹本くんが可愛くて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
「…な、なに?」
頬をほんのり赤らめて、竹本くんは眼鏡の奥から私を見た。
「ううん、可愛いなぁって思って」
「か、可愛いって…」
動揺して、竹本くんの作業はなかなか終わらない。
そんな姿を、少しだけニヤけてみていると、
「はい、終わりましたっ」
と、少し乱暴な声で、本を渡された。
「ありがとう」
笑顔で受け取ると、竹本くんはまた照れた。
委員会があったのは、月曜日の事。
「今日の担当は、一年の…三組と六組だね。図書整理、終わったら報告してね」
やっと帰れる、そう思った時に告げられた図書整理。
なんて、なんて楽しいだろう。
六組の私は、本日の図書整理に胸を弾ませていた。
図書室の古い本たちを準備室に運んで、新刊を並べる作業。
この学校の生徒の中で、新刊を一番最初に拝む事が出来る仕事。
だけど、この仕事には欠点があった。
クラスに図書委員は一人しかいないため、たった二人での作業になる事。
周りの委員の生徒は、先生の号令と共に教室を後にする。
「それじゃ、頑張ってね」
先生はそう言って、私の手のひらに鍵を落とす。
「頑張ってね、って…」
手のひらの鍵を見つめてから、一人の男の子に目を向ける。
一年三組の図書委員、竹本和弥。
茶色の縁の眼鏡をかけていて、ちょっぴり知的な印象。
お、男の子と二人っきりにして放置ですか…。
何にも起こるはずがなくても、やっぱ少しだけ意識してしまう。
鍵と竹本くんを交互に見ていたら、彼と目があった。
「じゃ、やろうか?」
そう言って、にっこり笑う竹本くん。
「あ、うん!」
生ぬるい風が、室内を駆け抜けた。
‘毎日放課後に、図書室に行く事’。
別にカッコいい先輩が待っているとか、イケメンが本を読んでるとか、そんなんじゃない。
ただ単に、私が図書委員で、本が大好きっていう理由。
しかも、私の通っている学校は、結構古い本がたくさん置いてある。
本屋さんには並んでいない絶版まであるから、たまにビックリするけど。
委員会の仕事はほとんどないし、まだ読んだこと無い本たちと過ごす放課後。
そんな私の日課は、至福の時でもある。
ある日、珍しく男子生徒が図書室にやってきた。
『銀河鉄道の夜』を読んでいた私は、つい彼を目で追ってしまった。
彼は、馴れたように本棚の周りを歩くと、手に数冊のハードカバーを抱えてカウンターに来た。
「すいません、これ借りたいんですけど…」
窓から差し込む夕日が、彼の顔に当たる。
綺麗な瞳と、少し高めの鼻。薄い唇から放たれる、低すぎない声。
かけているこげ茶縁の眼鏡が、知的さを醸し出していた。
「あのー…?」
うっかり見とれてしまい、彼が私の顔を覗き込む。
「あっ、はい、すみません!え…っと、クラスと名前をどうぞ」
カウンターの引き出しを開けながら言う。
何だか気恥ずかしくって、引き出しの中を見つめた。
「一年三組の竹本和弥です」
「ちょっと待ってくださいね」
そう言って、カウンターに置かれた本を手元に持ってくる。
あ、『チボー家の人々』だ。なんて思いながら、背表紙をめくった。
背表紙にある貸し出しカードを抜き取って、そこに返済期限に合わされた判子を押す。
隣のページに貼られたカードにも、同じように押した。
それをあと三冊済ませて、抜き取った貸し出しカードは引き出しの中にしまった。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
彼、竹本くんはそう言って笑った。
どこかで会った気がするのは、気のせいかな?
次の日、私は上機嫌で図書室に向かう廊下を歩いていた。
委員会としての仕事は、週に一回。
私の当番は水曜日で、今日は木曜日。
つまり、今日は本を読む時間が当番で削られないってこと!
思わず鼻歌がもれそうになる。
えっ?友達は居ないのかって?
い、いますよそのくらい!
私の本好きを理解してくれる、紗代って子が!
「あっ、風香ー」
後ろから聞こえる紗代の声に、私は振り向いた。
「紗代?どしたの?」
ぱっつん前髪の姫カットを後ろで簡単にまとめた、体操着姿の紗代。
少し汗をかいていて、頬は上気していた。
「あのね、ちょっと頼みたい事があるんだけど、いいかな?」
「うん、どうかした?」
私がそう尋ねると、紗代は申し訳なさそうに笑った。
「職員室から、部室の鍵を由梨に渡してほしいんだ。あたし、ちょっと用事ができちゃって…」
そう言って、紗代は後方をちらりと見た。
そこには、ピリピリした表情でこちらを見ている宮川先生(女)が立っていた。
「あー…、なるほど。わかった、バスケ部だよね?」
「うん。ごめんね、ありがと!」
そう言うと、紗代は先生の所に走って行った。
「大変だなぁ」
紗代と先生を見送って、手のひらに落とされた鍵を握りしめる。
どうせ紗代は補習だな、なんて考えつつ、踵を返して部室棟へ向かった。
バスケ部の部室に鍵を渡して、図書室に行くと、竹本くんがいた。
カウンターに座って、昨日借りていた『チボー家の人々』の一巻を読んでいた。
なんだ、同じ委員会だったんだ……。
暫く見ていたけど、入り口で突っ立っているのも邪魔なので、とりあえず奥に進む。
そして、私のお気に入りの席が空いている事を確かめてから、本棚に向かった。
近くにあった『舞姫』を手に取り、お気に入りの席、カウンターに近い窓辺に座る。
…中二の時、最終下校時刻を過ぎているのに気付かなくて、先生に怒られた事があった。
もちろんお母さんにも怒られた。「その集中力、勉強に活かせたらねぇ…」って。
それから、自然とカウンターの近くに座るようになった。
その日は、私が座っている席の窓が開いていた。
心地よい風が窓から吹いてきて、肩までの短い髪が、少しだけ揺れる。
そろそろ春も終わりだなぁ、なんて考えながら窓の外に目をやると、夕日がきれいに見えた。
「返却お願いします」
次の週の水曜日。
『伊豆の踊り子』を読んでいた私に、声がかけられた。
もちろんそれは、竹本くんだった。
「あっ、はい」
本を置いて、カウンターの引き出しを開けた。
その時、『チボー家の人々』をちらりと見る。
「これ、面白かったですか?」
他の本で名前を知っただけで、まだ読んだ事はない。
だから、返却作業をしながら聞いてみた。
「え?ああ。まだ途中だけど、面白いよ」
竹本くんは、いきなりした質問に驚きながらも、にこやかに答えてくれた。
「そうなんだ。…はい、終わりました」
作業を終えてそう言うと、竹本くんは笑った。
「それ、読んでみれば?」
「えっ?」
今度は私がびっくりした。
「読んだことないんでしょ?俺のおススメ、って事でどう?」
「あ、うん…。読んで、みようかな」
ずっと気になってたし、そう返事をした。
「よし、そうこなくっちゃ!」
そうしたらまた、竹本くんが笑った。
「すいません。これ、借りたいんですけど」
次の日、私は『チボー家の人々』を持って、カウンターに向かって言った。
「え…?」
カウンターでびっくりする竹本くんに、私は笑いかける。
「お願いします」
「あ…、あぁ、はい。ちょっと待ってください」
暫くしてから、竹本くんは動き出した。
そんな竹本くんが可愛くて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
「…な、なに?」
頬をほんのり赤らめて、竹本くんは眼鏡の奥から私を見た。
「ううん、可愛いなぁって思って」
「か、可愛いって…」
動揺して、竹本くんの作業はなかなか終わらない。
そんな姿を、少しだけニヤけてみていると、
「はい、終わりましたっ」
と、少し乱暴な声で、本を渡された。
「ありがとう」
笑顔で受け取ると、竹本くんはまた照れた。
委員会があったのは、月曜日の事。
「今日の担当は、一年の…三組と六組だね。図書整理、終わったら報告してね」
やっと帰れる、そう思った時に告げられた図書整理。
なんて、なんて楽しいだろう。
六組の私は、本日の図書整理に胸を弾ませていた。
図書室の古い本たちを準備室に運んで、新刊を並べる作業。
この学校の生徒の中で、新刊を一番最初に拝む事が出来る仕事。
だけど、この仕事には欠点があった。
クラスに図書委員は一人しかいないため、たった二人での作業になる事。
周りの委員の生徒は、先生の号令と共に教室を後にする。
「それじゃ、頑張ってね」
先生はそう言って、私の手のひらに鍵を落とす。
「頑張ってね、って…」
手のひらの鍵を見つめてから、一人の男の子に目を向ける。
一年三組の図書委員、竹本和弥。
茶色の縁の眼鏡をかけていて、ちょっぴり知的な印象。
お、男の子と二人っきりにして放置ですか…。
何にも起こるはずがなくても、やっぱ少しだけ意識してしまう。
鍵と竹本くんを交互に見ていたら、彼と目があった。
「じゃ、やろうか?」
そう言って、にっこり笑う竹本くん。
「あ、うん!」
生ぬるい風が、室内を駆け抜けた。