夏の欠片
電車の中でふと慎太は考えた。
あの木はあるのだろうか―――
駅のホームで買ったお茶を喉に流し込んだ。
窓越しに見る風景がビル街から見たことある景色に田舎景色に変わり始めた。
都市部と田舎部の境目はとても曖昧で、しかし気づいたころには景色は変わり果てていた。
そろそろか――
――次は、那珂町、那珂町です。ご降車の際はお忘れ物にお気をつけください。
心地のいい低い声が耳を駆ける。
この駅だ。
慎太は胸を弾ませ電車を降りた。
駅にある古ぼけた壁時計を見ると時間は午前9時53分。
暑中見舞いによるとこの駅で10時の待ち合わせだ。
駅から見る景色は引っ越すときに見たあの景色と変わらない。
この駅の柱のシミ、木のベンチの落書き。どれも見覚えのないものだった。
10年ほどの年月があれからたったが幾分短いように感じられる。
ふと駅とホームを繋ぐ改札口を見ると短髪黒髪長身の程よく焼けた小麦色の肌の青年がこちらへ向かってきているようだった。
その青年は慎太に声をかけた。
「シンタ?」
「うん、そうだよ」
「俺、俺ケータだよ!」
なんとか無事親友との再会を果たしたらしかった。
ケータはあのころと比べるととても変わっていた。
なにより話し方や雰囲気が昔のぶっきらぼうなケータではなかった。
風貌は、慎太の中の海の男という偶像を当てはめたような青年であった。
「久しぶりだな!ここは変わらないだろ?」
「全然変わらないね。」
「十何年経つのかな?そっちはどう?」
「1人ぐらしで寂しくやってるよ。」
などと他愛ない会話を交わしていた。
ふと後ろを見ると黄色のTシャツにハーフデニムの女性がこちらを見ていた。
今時と思ったが麦わら帽子が印象的だった。
しかし、こちらはあまり肌は焼けていない。
誰かはすぐに分かった。
「なあ、あの子」
「おーい!ちとせー!こっちこーい!」
慎太が言い終える前にケータが呼んだ。
その子は呼びかけに応じこちらへ駆け足で来た。
コツコツと小気味いい音が聞こえる。
「久しぶり、慎太君」
「ちさとだよね?」
「そうだよ」
見違えていた。
話し方もあのボケた感じではなくしっかり者の話し方になっていた。
あのおかっぱの可愛らしい少女の面影はなく艶やかな大人の女性になっていた。
黒髪ロングが良く似合い、スラッと体のラインがとても美しい女性がいた。
可愛いではなく美人という言葉が似合うと思った。
涼しい目元、長い睫、とても整った顔だった。
しばらく見惚れているとケータが
「早速行こうぜ」
というので早速夕日山の頂上を目指すことにした。
その途中ケータが耳元で
「いい女になっただろ?彼氏いないらしいよ。」
などと耳打ちしてきた。
表面上は流して聞いていたが慎太はしっかり内容は記憶して何度も脳内再生していた。
途中、懐かしい道や匂い、木々がそのままの状態で残っていて思わず昔のことがフラッシュバックした。
景色は本当に何一つ変わっていなかった。何一つ。
慎太は心底嬉しかった。
あの頃のままがそこにあるのだ。
ここには自分が住んでいた、そんな誇らしさを感じる。
話は逸れるが
魯迅の故郷という物語を知っているだろうか。
簡単に言えば作者の魯迅は故郷に帰ることになり
その故郷を見て変わりように落胆する。
旧友との再会も彼はすっかり変貌してしまって
また落胆する。というものだ。
慎太は魯迅の故郷と今自分の置かれている状況を照らし合わせた。
いつかは廃れるか、都市化するんだよなと思うといいようのない寂しさが胸を襲った。
しばらく互いの近況など他愛ない話をしながら歩いていると夕日山のふもとまで来た。
あの頃高いと思った山は今では小さく感じる。
「いよいよだな・・」
ケータがいった。
口で言わずとも皆分かっている。
頭は次第にタイムカプセルのことでいっぱいになっていく。
心拍数が上がるのが分かる。
ゴクリと唾を呑むような音が聞こえた気がした。
蝉の声がする。
道なき道を一歩一歩。
皆、終始無言であった。
草の上を歩く音、小枝を踏む音しか聞こえない。
確実に頂上へと近づいていく。
やがて景色が開けてきた。
頂上の樹はまだあった。あれから10年近く――
タイムカプセルはどうなっているだろうか――
淡い期待を胸に。
頂上はすぐそこだ――!
――着いた!
そこは絶景だった。
標高はそんなにないものの育った町を見渡すには十分だった。
生まれ育った大きな町が小さく見える。
あの時は大きく感じていた町が今では小さな宝石のようだった。
大きな背伸びをした。
深呼吸をした。
懐かしい景色、懐かしい匂い、懐かしい顔。
しばらく3人とも頂上から町を見渡していた。
その顔はみんな違っていた。
しかしどの顔にも憂いはなく、清々しさを感じた。
「早速掘ってみようぜ!」
止まっていた時間を動かし始めるための号令。
号令をとともに慎太たちは一斉に掘り進めた。
――地面を掘ること数時間。
「ぜんっぜんみつかんねえ!」
「あ―疲れた」
ケータが音を上げる。
慎太にも疲労の色が見えた。
腕が痛い。
握ることが辛くなってきた。
「まだまだ頑張ろうぜ。ここに埋めたはずに違いねえんだから」
そう言い聞かせた。
「そうだね頑張ろうよケータ」
「しゃーないなー」
そうしてうだるような暑さの中、また黙々と穴を掘り続けるのだった。
――夕日が顔を覗かせる頃
吉報だ。
「あった!あったよ!」
ちとせが言った。
心なしかその声は弾んで聞こえる。
ケータと慎太はスコップを投げ捨て急いでそこへ向かった。
そこにはあの時埋めた夏の欠片が土まみれで埋まっていた。
止まっていた時間の欠片が動き出す。
中をあけるとビー玉やビックリマンシールチョコなど当時埋めたものが沢山あった。
それらの宝物は夕日に照らされさらに輝いて見えた。
ケータはすぐそばで興奮していた。
その顔にはさきほどまであった疲れというような文字はなかった。
慎太は嬉しいが疲労困憊だ。
昔と変わらないなと慎太はケータを見る。
ふと、思い出した。ケータが埋めたものを。
あのとき勿体ぶったあの紙を
「ケータ、あの紙あったか?あの時もったいぶったやつなんだったんだよ?」
「まあまあ焦んなって。ほらよ!」
そういったケータはあの時のように自慢げだった。
そして自慢げに紙を広げた。
絵であった――
小学校低学年描くような目の位置しかわからぬような絵だった。
恐らく、ちとせ、慎太、ケータ3人を描いた絵だろう。
みんな同じ顔をしているのが微笑ましい。
すごくでたらめでへたくその絵だった。
だが、すごく暖かい絵だった。
「あの引越しの時渡そうと思ってたんだがよ、タイムカプセルに入れようと思ったんだ。今渡すぜ!俺の宝物だ!」
照れくさそうにケータは端がビリビリになったそれをぶしつけに渡してくる。
錯覚だろうか。
子供のころのケータがダブって見えた。
――涙が止まらなかった。