「ツアコンは見た!」
『 J.O 』
なぜ人は旅をするのか。
日常から離れ、異国の空気を肌で感じる。
現地に暮らす人々と触れ合う。おいしい料理を食べる。
私はそんな「旅」に魅せられ、大学時代には長い休みごとに海外へ飛び出した。
旅を仕事にしたくて、今の職に就いた。
そのはずなのに……。
2009年7月1日、成田空港の出発ロビーで私は溜息をついた。
パンツスーツの背中にリュックサックを担ぎ、傷んだスーツケースを片手で転がす。
海外添乗員の標準装備だ。
思い出したように、外しそびれていた荷物タグをちぎってゴミ箱に捨てる。
先月のエーゲ海クルーズは散々だった。
「雑誌に載っていたチョコレートをおみやげに買いたい」
寄港先のアテネにて、お客様の要望に応えるべく、午前中のフリータイムを使って地元のチョコレート屋に立ち寄った。
ところが、大型船の到着日と重なって店は大混雑。スケジュールが押した結果、午後に予定していた博物館での自由時間が減った。
苦情殺到。そして、観光から戻った時、チョコレートはバスの座席で溶けていた。
一部の意見に流されて旅程管理が疎かになるようでは、この仕事に向いていない。
今回のツアーから帰ったら、真剣に身の振り方を考えよう。
浮かない顔を無理やり仕事モードに切り替え、私は受付看板を設置した。
『氷河特急と4ヶ国のアルプスを巡る旅』
ドイツ・オーストリア・イタリア・スイスの山々を11日間かけて周遊する、駆け足ながらハイライト満載の旅である。
入社2年目。氷河特急に乗るのは勿論、ヨーロッパアルプス自体が初めてだった。
…………気が重い。
そんな私のもとへ最初のお客様がやってきた。
真夏に赤いコートを羽織った、小柄な年配女性だった。簡単な挨拶の後、パスポートを拝借して手元の名簿と照らし合わせる。
作品名:「ツアコンは見た!」 作家名:樹樹