新世界
全てのことをやりきった――どちらかといえば充実感を覚えている。もしかしたら私は気が触れたのか。
もう二度と宮殿に足を踏み入れることは無いだろう。
だが、今、私に何一つの後悔は無かった。
憲兵達に誘導されるまま護送車に乗り、帝都の北隣の町、テルニにあるアクィナス刑務所まで連れて来られた。
テルニは閑散とした町だった。その町の北端にアクィナス刑務所がある。此処には初めて来たが、建物は著しく老朽化していた。窓が壊れている部屋がいくつかある。刑務所や収容所でも非人道的な扱いをしないようにと、安全面や衛生面の対策を取ってきたのに、行き届いていなかったということか。
刑務所の周りには高い塀が築かれていた。建物よりもその塀の方が余程真新しい。
アクィナス刑務所に足を踏み入れて、まず取調室というところに連れて行かれた。其処で罪状を聞かされ、懲役五十年という刑を告げられる。武器や薬物を所持していないか身体検査が行われた後、刑吏官を名乗る中年の男が、囚人服を私の前に置いて言った。
「元宰相閣下であれ、旧領主層であれ、服役中は他の囚人と同じ扱いだということを忘れずに、刑に服しなさい」
懲役五十年――、ヴァロワ卿がすぐに異議を唱えたように、それは私への死を意味する。皇帝は死罪を言い渡したのと同じ気分で居るのだろう。今、33歳の私が此処で五十年を過ごすと出所時には83歳となる。
虚弱体質の私が其処までは生きられまいと考えてのことだろう。
「フェルディナント・ルディ・ロートリンゲン。今後は囚人番号5163番と呼ぶ。自分の番号を確りと憶えておきなさい」
囚人番号5163番――。
官吏の男は手書きでプレートにその番号を書き付けて、囚人服の左胸につけるよう促した。
与えられた囚人服に着替え終わると、刑吏官によって手錠をかけられる。そして、いよいよ牢へと連れて行かれる。
死の宣告を受けたことと同じ状況だというのに、私は落ち着いていた。まるで他人事のように物事を観察している。
全てをやりきった――、そのことへの充足感が強くて、絶望を忘れているのだろう。もしかしたら私は意外に神経が太いのかもしれない。
取調室は一階で、其処から階段を下りていく。連れて行かれた牢は薄暗く、廊下にひとつしか灯りが無かった。廊下の片側にずらりと鉄格子が並ぶ。向かい側は壁となっていて、囚人達は壁と向かい合う形で一角を与えられているようだった。
「新参か?」
ずらりと並ぶ牢を歩いていると、なかの囚人達が此方を見る。彼等は興味津々の態で私を見、ざわめきあっていた。
それぞれに与えられた一角は、両側が鉄格子で区切られているだけだった。壁はなく、隣が何をしているのか一目で解る。
「入れ」
私が入るよう促されたのは、一番奥の一角であって、右隣は壁だった。鉄格子のなかに入ると漸く手錠から解放される。
刑吏の男は食事と作業の時間を告げた。朝はベルの音と共に起床、それから昼まで作業に取り組み、昼食を摂った後はまた作業に戻って夕刻にそれを終えるのだという。
「作業を早く終えれば、今此処に居る囚人達のように自由時間を得ることが出来る。終わるまでは夕食も与えないから、心して励むように」
「作業の内容は……?」
「それはその時により様々だ」
刑吏は牢を出ると、がちゃりと鍵をかける。これで私は自由に外に出られなくなった。
牢の奥には一角だけ周囲から遮蔽されたスペースがある。きっと手洗いなのだろう。その向かい側にブランケットが一枚だけ畳んで置かれてある。此処にはベッドも椅子も無かった。その証拠にどの囚人達も床にぺたりと座っていた。
少し背を凭れさせて休みたくて、ブランケットの上に腰を下ろす。壁は打ちっ放しのコンクリートで、背からじわりと冷たさが染み込んでくる。
傷口がずきりと痛んだ。
此処で五十年か――。
私の身体では五十年も持たないだろう。十年、否、数年も持たないかもしれない。
だが、後悔は無い。
私は今、何も後悔していない――。
急に疲労が押し寄せてきた。色々とあった一日だった。疲労を覚えない方がおかしいぐらいだ。
少し眠っても良いだろうか――。
ふと隣からの視線を感じて顔を向けると、隣の男がまじまじと此方を見てから口を開いた。
「……あんた、宰相だろう」
驚いて咄嗟に答えられなかった。何故、私のことが解ったのか。先程、此処に連れてきた刑吏は私のことを名前では呼んでいなかった。それに、私の顔はそれほど知られていない筈だ。
「やっぱり間違いない。写真で見たことがある」
写真――?
何故、私の写真を手に入れることが出来るのか。高官の映像は公開されていないのに――。
「……君は……?」
「え? ああ、俺はアラン・ヴィーコ。去年、この刑務所にやって来た。なあ、あんた、宰相なんだろう? ロートリンゲンの……」
「ってことは旧領主層かい。旧領主様がこんな場所に入れられるとは世も末だ」
三つ離れた牢から男が口を差し挟む。
隣の男――アラン・ヴィーコと名乗っていた。聞き覚えのある名前だが、知り合いでも無いような。
アラン・ヴィーコは顎に手を添えて、考え込むような表情をした。数十秒そうしていただろうか。
「思い出した。フェルディナント・ロイ・ロートリンゲンだ。あんた、そうだろう?」
どうやらロイのことも知っているらしい。一体何者なのだろう。
「私の名はフェルディナント・ルディ・ロートリンゲンだ。君は一体……」
「憶えていないか? 去年のことなんだが」
「去年……」
去年、アラン・ヴィーコという男と何か接点があっただろうか。アラン・ヴィーコ、この名は何処で耳にした?
あ――。
去年、私が倒れる前のことだ。皇帝の前でハイゼンベルク卿と意見を対立させた一件があった。
ああ、そうだ。思い出した。アラン・ヴィーコ、彼は国家転覆を企てて――。
「専制君主制の廃止を訴えて、改革のために地下で武器製造を行った……」
「まあ、罪状はそうなってたよな。そのアラン・ヴィーコだ。弁護士からあんたが口添えしてくれたと聞いた。じゃないと死罪だったという話もな」
恩に着るよ――、アラン・ヴィーコはそう言って、格子越しに此方に近付く。
「アラン。本当にそいつは宰相なのかよ」
「ああ。間違いない。名門中の名門と言われているグリューン高校を卒業した後、帝国大学へ進学、さらに其処でも優秀な成績を修めたと聞いている。その後、難関といわれる外交官試験もパスして外交官となり、若干25歳で宰相となった。まさしくエリート中のエリートだ」
「だが旧領主層だろう? 金で経歴を買ったんじゃないか?」
「知らないのか? 官吏試験はそうはいかん。それに俺の知り合いに聞いたことだが、高校・大学共に首席で卒業だとか」
格子越しに私の話が飛び交う。壁に凭れていた背を起こそうと少し身体を動かした途端、鋭い痛みが肩から全身に走った。
「宰相?」
肩を押さえた私を、アラン・ヴィーコが不思議そうに見つめる。何でも無い――そう答えると、彼は言った。
「それで……、あんたは何でこんなところに?」
「……私はもう宰相ではない」