新世界
もしこの言葉を、ロイを失うことになったあの事件の時に聞いていたら、私は頷いたかもしれない。だが、今は――。
「陛下。宰相として申し上げます。共和国領に駐屯している帝国軍兵士を撤退させ、至急、共和国と終戦協議をお進め下さい。この戦争に勝利したとしても、支配下においた共和国は内乱を起こし、また各国も帝国不支持を訴えて立ち上がるでしょう。次は自分の国を攻められるかもしれない――、そう考えた各国は結束を強めます。そこでまた大戦となれば、共和国の資源を考慮したとしても経済が持ちません。国内にも騒乱が起きましょう。……何よりも私は、このたびの戦争に帝国が勝てるとは思っておりません」
「黙りおれ! フェルディナント、口が過ぎるぞ」
「お聞き下さい。陛下は新トルコ共和国やアジア連邦、北アメリカ合衆国の力を見くびっておいでです。三ヶ国の経済力を合わせれば、帝国をゆうに上回ります。そしてアジア連邦の軍事力は陸軍、海軍共に帝国に匹敵します。帝国は全兵力を動員させたとしても……」
「黙れ! 私の命令に反する気か! 逃げずに宮殿に戻ってきたことを考慮してやったのだぞ」
「陛下。私は宰相として、陛下に進言するために戻って参りました」
「分を弁えよ、フェルディナント!」
「戦争の終結を。陛下のたった一言で宜しいのです。陛下、国土を拡大せずとも、帝国を存続させる術はあります。どうか、帝国の繁栄のため、そして国民のために、御英断下さいませ」
黙れ――とは言われなかった。私ももう全てのことを言い切った。
皇帝の不興を買えばどうなるか、よく知っている。だが、恐怖は何も無かった。
これがきっと私の最後の仕事だ。この結果がどうなるかは、皇帝の一言で決まる。私は全てを覚悟していた。
私がもっと賢明な宰相であったなら、こうなる前に皇帝に思いとどまって貰うことが出来たのかもしれない。皇帝の一存で全てが決まるとはいえ、間違った判断を正すことが出来なかった私にも責任があることだ。
「お前には失望した」
皇帝は玉座から立ち上がる。右手をすっと挙げた。長官達がざわめき合う。
一度は離れた憲兵達が再び私の許にやって来る。左右と背後を囲まれたようだった。足音から察して五人か。
「現時点をもって、宰相の任を解く。および、皇太子の地位も取り上げる」
皇帝の声が朗々と部屋に響く。私は淡々とそれを聞いていた。
「そして、身勝手にも捕虜を取り逃がしたこと、この場での私に対する数々の不敬に対して罪を償ってもらう。お前の思想はこの帝国を転覆させかねない危険なものだ。共和国の毒気に当てられたのだろう」
「陛下。世界を御覧下さい。刻々と変化する情勢に対応しなければ、帝国の発展も望めません」
「黙れ! フェルディナント、お前に最早更正の余地は無いようだ。死罪を言い渡す」
死罪か――。
私にやれるだけのことはやった。私は自分の選択が間違っているとは思わない。その結果が死罪だというのなら、甘んじて身に受けよう。残念だが、仕方が無い。
「お待ち下さい、陛下!」
ヴァロワ卿の声が響き渡る。足音が此方に寄ってきて、憲兵達に数歩下がるよう告げる。
ヴァロワ卿が私のすぐ後ろで跪いたのが解った。
「此度のことに陛下が胸を痛められたことは、充分に存じております。宰相閣下もこの帝国を案じるあまり、陛下への行き過ぎた発言もあったことでしょう。しかし、宰相閣下はこれまで陛下の為に御尽力なされた御方です。陛下、何卒お怒りを沈め、宰相閣下を御寛恕頂けますようお願い申し上げます」
「ヴァロワ大将、無礼であろう。控えよ!」
フォン・シェリング大将の声がヴァロワ卿に放たれる。そっと背後を見遣って、ヴァロワ卿に下がるよう告げた。しかしヴァロワ卿は私を見ず、皇帝を見上げて言った。
「陛下! 宰相閣下の御功績を御考慮下さい。それでも陛下のお怒りが収まらないのであれば、この戦争の功績として下賜くださった私の上級大将の階級を取り下げ、その功績分を宰相閣下の助命にお当て下さい」
「ヴァロワ卿……!」
「何卒、お聞き届け下さい」
皇帝は黙ったまま、ヴァロワ卿を見据えていた。このままではヴァロワ卿まで不敬罪に問われてしまう。私のために――。
「陛下。僭越ながら、私もヴァロワ大将の意見に賛同致します」
左側の列から声が聞こえて来て驚いた。
司法省長官、エルンスト・ハイゼンベルク卿が歩み出て、ヴァロワ卿と同じように跪き、皇帝に向かって言った。
「ヴァロワ大将の言う通り、宰相閣下の帝国への御尽力は眼を見張るものがありました。陛下に対して不敬な行為があったにせよ、そんな方を死罪にしては陛下の御名に傷がつきます」
「陛下。私もヴァロワ大将やハイゼンベルク長官と同意見です」
今度は財務省長官のヨーゼフ・マイヤー卿が進み出る。彼等ばかりでなく、外務省長官のヴェンツェル・ウェーバー卿まで、私の助命を訴えた。
ハイゼンベルク卿やウェーバー卿は守旧派で、しばしば意見を対立させてきたのに――。
「……お前達までも私に逆らうというのか」
「陛下」
怒りに震える皇帝に声をかけたのは、皇妃だった。政治については全く口を差し挟まない皇妃が、珍しくも皇帝に発言の許可を求めた。
「長官がたの言う通り、これまでの宰相の功績は輝かしいもの――。たった一度の間違いで命を絶たせてしまうのは、惨いなさりようです。どうか、寛容なお裁きを」
「カトリーヌ……」
皇帝はひとつ息を吐いて玉座に腰を下ろした。沈黙が続いた。
「助命を訴える各長官の意を尊重し、罪を減じて、フェルディナントに懲役50年を科す」
「陛下……! 今少しお考え直し下さい!」
「黙れ、ジャン! お前達の願いを聞き届けたのだ。お前からは上級大将の階級ならびに、正式に長官を解任する」
何と言うことだ――。
私を庇ったばかりに、ヴァロワ卿が解任させられた。一時解任なら、まだ復帰できる可能性があったのに――。
「アクィナス刑務所に送致しろ。これは命令だ!」
「お待ち下さい、陛下! アクィナス刑務所とはあまりに……」
「エルンスト、お前まで私に口答えするか!」
ハイゼンベルク卿は皇帝の厳しい一声に黙り込む。
アクィナス刑務所――聞いたことがある。過激派や社会運動で捕まった者達が収監されている所だった。
「陛下。宰相閣下に御慈悲を。私の降格処分に変えて、どうか……!」
「ヴァロワ卿」
振り返り、首を横に振る。ヴァロワ卿には軍に留まってもらわなければならない。そうでなければ、軍の暴走を止めることが出来ないのだから――。
「陛下。御命令に従い、懲役刑を受けます。ですが、このたびのことはヴァロワ大将はじめハイゼンベルク長官、マイヤー長官、ウェーバー長官には何ら関わりの無いこと。どうか、処分は私だけに」
「……良かろう。憲兵達よ、フェルディナントを連れて行け」
再び側にやって来た憲兵が私に立つよう促す。立ち上がり、皇帝に一礼する。
「牢のなかで、自分の為したことを省みよ」
「……御意」
そして私は憲兵達に前後左右を囲まれて、謁見の間を出た。
意外にも私は何も感じていなかった。口惜しいとも、腹立たしいとも――。