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新世界

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「しかし……」
「休んだ方が良い。あの山を越えるのだろう? 結構険しそうだ」
 レオンは視界の端にある山を見遣って言った。この三日間、私は彼の厚意に甘えて休んでばかりだった。心苦しいのと情けないのとで、返す言葉が無かった。
「ほら、座席を替わろう」
「……済まない」
 車から一旦降りて、レオンと席を替わる。レオンは降りる際に、座席を後ろに倒してくれていた。その座席を上げようとすると、レオンはそれを制す。横になっているよう告げる。
「あまり体調が良くないんだろう? 三日間も車のなかで過ごすということもこれまで無かっただろうし……」
「……自分の身体が情けない。いつも大事なときにこうして動けなくなる」
「そんなことは無いさ。此処まで案内してくれた。ルディが居なければ、俺は道に迷っていたよ。この三日間、何度も地図を確認して行く先々で経路を変えていただろう?」
「なるべく憲兵達に気付かれないような経路を取った。……こういうことは得意なんだ。子供の頃から、地図が好きで眺めていたから……」
 身体が弱くて遠出が出来ないから、部屋のなかで地図を眺めて楽しんでいた。変わった趣味だとミクラス夫人は言っていたが、そのおかげで帝国の地名の殆どを憶えた。目的地までの最短の経路も辿ることが出来る。
 まさかそうしたことが、役に立つ日が来るとは思わなかったが――。
「そのおかげでこうして誰にも見つからず、此処まで来ることが出来た。ありがとう、ルディ」
「まだこれからが難関だ。山を越えなくてはならないし、それにおそらく憲兵達が見張っているだろう」
 明日からはこれまでのように、すんなりと先に進めないような気がする。レオンの戦闘能力は高く評価しているが、それでも取り囲まれたら手に余るだろう。それに国境を接している山は岩が多く、足場の確保も難しいに違いない。


 動物園の閉園が近付くと、車が一台また一台とこの駐車場を去っていく。座席を倒して休めていた身体を起こし、再び移動を始めることにした。レオンは車のエンジンをかけて、ゆっくりと発進する。
 怪しまれない程度に道を行き来しながら陽が暮れるのを待ち、薄暗くなってから、シャクラーの町を出てリヤドに入った。先程とは別の道を進むことにした。町は街灯も少なく、人通りも無い。もう少し人家の無いところまで進んで、其処で停車することにしよう――そう考えていた時、傍とレオンが何かに気付いた様子で、ゆっくりブレーキをかけた。
「レオン? どうかしたか?」
「あそこに宿屋がある。雰囲気から察して個人営業のようだ。この辺りに車を停めて休むよりも、あそこに宿泊した方が良いかもしれない」
「予約もいれずに宿泊出来るだろうか?」
「それは交渉次第だな。俺が頼んでみるよ。ルディは車の中で待っていてくれ」
 レオンはそう言うなり、車を降りる。通りの向こう側に、確かにホテルという文字が見えた。しかし、一見すると普通の一軒家のように見える。あんなに小さな宿泊施設は初めて見た。レオンはその家の扉を開けて、中に入っていく。
 此処に宿泊するのなら、車は少し離れた場所に置いておいたほうが良いだろう。何処が良いだろうか――。
 地図を眺めながら、周辺の地理を確認していたところへ、レオンが車に戻って来た。此方を見て微笑する。
「ツインルームが空いていたから、行こう」
「身許は聞かれなかったか?」
「大丈夫だよ。あの手のエコノミーホテルはそう五月蠅くないから……。それにお婆さんが一人で経営しているみたいだ。この御時世で共和国の通貨での支払いも大丈夫らしいから……」
「聞いたのか?」
「いや、フロントの台に手書きでそう書いてあった」
「支払いは私が持つ。……そもそもレオンの私物は没収されているのではないか?」
 レオンは苦笑しながら首を横に振った。
「おそらくヴァロワ大将が気を回してくれたのだろう。チェックを受けた後は、全て返してもらえたよ」
 ハンドルを片手で操りながら、レオンはポケットから財布を取り出す。普通は解放に至るまでは没収される筈だから、レオンの言う通り、ヴァロワ卿が上手く根回ししてくれたのだろう。
「レオン。もう少し車を進めてくれ。其処に空き地がある」
「解った」
 地図にあった空き地まで行き、其処に車を停める。車のトランクを開けて、細長いケースを取り出す。そのなかに剣を収めた。レオンが軍服を丸めて持っていたので、あわせてそれも中にいれておいた。いつも万一のことを考えて、剣をケースごと、車のトランクに詰め込んでおいたのは正解だった。

 車を停めた場所からホテルまでは徒歩で40分かかった。此処から山に入るまで、1時間はかかるだろうから、明日の朝は早く出立した方が良さそうだ。
 レオンと二人でホテルの入口を潜ると、中から人の良さそうな老女が出て来た。
「はいはい。先刻の人ね。奥へどうぞ」
 老女が案内してくれた部屋は狭かったが掃除は行き届いていた。ベッドがふたつ並んであり、ソファもひとつある。奥に浴室もあるらしい。
「暖かい珈琲をどうぞ」
 ソファに腰を下ろして一息吐くと、老女は珈琲を持ってきてくれた。何か用があれば呼ぶように言い置いて、彼女は去っていく。暖かな珈琲はとても美味だった。
「ホテルというよりは個人宅という感じだな」
「個人営業のホテルだと、一軒家を改造してホテルを営んでいるところがあるんだ。そういうところだと格安で宿泊出来る。弟と旅行をすると、よくこういう所に泊まったよ」
「仲が良いのだな」
「七歳離れていると喧嘩の対象にもならないよ。いつも俺の後を付いて歩いてた。……ルディの弟はひとつ下だったか」
「ああ。ごく偶に喧嘩はしたが、私達も仲は良かったな……」
 私のこの状況を見たら、ロイは何と言うだろうか。ふとそんなことを考えてしまう。もう二度と会いたくない――ロイはそう言っていたが――。
「きっとまた再会出来るさ」
「……そうだと良いな。その時には、きちんと謝りたい。ロイには本当に済まないことをしたから……」
 せめてもう一度会いたい。
 会って、謝りたい。私が悪かったのだと、あの時、権力を選ばずロイを選んでいれば良かったとどれだけ後悔したことか――。
「君の弟は確か、共和国に行こうとしていたんだよな?」
「ああ。だが途中で捕らえられた。そして帝国北部から国を追い出されたから、ビザンツ王国に居るのかもしれんが、足取りが掴めない」
「ならば共和国に居るかもしれないぞ。ビザンツ王国からは貨物船が多く出港する。それに紛れ込めば、他国経由にはなるが、陸路よりも簡単に共和国に入国出来るから……」
「そうだな……」
 きっと会える――レオンはそう言って、私の肩を叩き、それから窓辺に移動した。カーテンを少し開けて、外の様子を確認する。
「……此処から山が見える」
 レオンがカーテンを半分開けると、山が少し見えた。明日はあの山を越えなくてはならない。こうして見ても、険峻な山だと解る。明日からは、今迄と比較にならない過酷な道を進むことになるだろう。
「国に戻ったら戻ったで、忙しくなるだろうな」
作品名:新世界 作家名:常磐