新世界
食事を摂り、レオンに少し休んでもらって、私はその間に経路の確認をした。車内モニターに地図を映し出しながら、入念に経路を辿る。憲兵達が追って来るのは時間の問題だ。出来るだけ彼等の眼の届かない経路を取りたい。それでも憲兵達と出くわした時には、どの道に逃れれば良いか――。
考えつくだけの経路を頭に叩き込んでおかなければ――。
「ルディ。この辺はあまり人気が無いようだから、車を停めて少し休もう」
昼を過ぎ、閑散とした町を抜けたところで、レオンは提案した。確かに、座ったままの体勢ばかりだったから身体を伸ばしたかった。
大きな木の脇に車を停めて、少し外を歩いた。大きく伸びをして空気を吸い込む。単純なそれだけのことが、とても気持良かった。
「……こんな風にのんびり外を散策するのは久々だ」
「俺も本部に詰め切りだったからなあ……」
「共和国には風光明媚な場所が多いと本で読んだことがある。惑星衝突の崩壊を免れた遺跡もあるとか……」
「ああ。子供の頃はよく連れて行ってもらったよ」
新トルコ共和国は国土はそれほど大きくないが、自然が豊かな国だと聞いている。海は無いが大きな川が二本、国土を縦断していて、川の周辺の地域は川の恩恵を受けているという。
「ルディ。共和国に到着したら、すぐに君の亡命申請をしよう。経緯から考えても受理される筈だ」
「レオン……」
「亡命が受理されれば、堂々と表を歩ける。そうすれば、これまでルディが見たことのない場所にも行けるだろう」
レオンの言葉はありがたかった。
レオンなら――、こんな責任感の強い人間なら、私のことを上手く取りはからってくれるだろう。それはよく解っている。
一方、帝国は私を許さないだろう。皇帝は怒りに震えていることだろう。その姿が手に取るようによく解る。
このまま帝国に留まれば、私は死刑に処せられるに違いない。刑を減じたとしても国外追放か無期懲役か……。
だが幸いなことに、ロートリンゲン家にまで影響はしない。ロートリンゲン家が倒れれば、帝国の経済が傾く。皇帝も財務省もそれを知っているから、ロートリンゲン家が潰されることは無い。このことだけは不幸中の幸いと見るべきだろう。
だから私は今回のことに踏み切れた。
そして覚悟も出来ている――。
「そろそろ車に戻って移動しよう」
レオンを促して車へと戻る。
私の心は決まっていた。
私は何が待ち受けていようと、この帝国を離れない――と。
私は私の務めを果たす――。
帝都を出て三日目を迎えたこの日、頭痛と軽い眩暈に見舞われた。精神的な解放感とは裏腹に、身体が疲労しているのだろう。レオンが休んでいる間に、持ち合わせの薬を服用した。今のところ、症状はそれほど酷くない。薬で治まる筈だ。
あと少し――。
今日一日車を走らせればリヤドに到着出来る。リヤドからは車を降りて、徒歩で移動するしかない。険峻な山を越える経路が一番、見つかりにくい。
レオンをマスカットに送り届けるまでは――、体調を崩したくない。倒れたくない――。
「……ルディ。交替しよう」
レオンは倒していた座席を起こして言った。三時間ずつ交替で休むことにしていたが、まだ少し早いような気がした。時計を見るとやはりまだ一時間しか経っていない。
「あと二時間はゆっくりしてくれ。リヤドからは徒歩で山を越えなければならないのだから……」
「だからこそ、ルディが休んでおけ。俺は軍で随分鍛えられている。一週間ぐらいの徹夜は何とも無い」
「……羨ましいな」
「そうでもないよ。一週間の徹夜が出来るならと、人の倍以上の仕事を押しつけられる。佐官級だった頃は結構ハードな毎日だったよ」
レオンはシートを倒して休むよう促す。何だか気が引けて迷ったが、今の体調を思うと少しでも休んでおいた方が良いようだった。
眼を閉じて暫くは頭の痛みが脈打つのを感じていてが、やがて意識が遠退いていった。
車が大きく揺れて眼を覚ました。
薬を飲んで休んだ甲斐があったのだろう。時計を見ると一時間しか経っていなかったが、頭痛は治まっていた。
「大丈夫か? まだ休んでいても……」
「大丈夫だ。状況は?」
「今のところ憲兵の姿は見えないな」
「そうか……。このまま順調に進むことが出来れば、今日の午後四時にはリヤドに到着出来る。其処からは車を降りて山道を歩くことになるが……」
「ルディは大丈夫か?」
「ああ。だが出来れば、山に入る前に少し休憩を取りたい。今日一晩は、人目につかない所に車を停めて休みたい。そして明日の朝、山に向かおうと思うが構わないか?」
「勿論。そうしよう」
無理は出来ないことは、自分が一番良く解っている。今は体調も回復したとはいえ、険峻な山を登ったり下りたりするのは流石に身体が堪える。途中で倒れても、レオンはその場に置いていってくれないだろう。背負ってでも共に行こうとするに違いない。だから、私が倒れないためにも、山に入る前に少し休んでおく必要があった。
リヤドは帝国の西側にあり、新トルコ共和国と国境を接する町の一つだった。国境付近は山が連なっている。険しい山のため、リヤドの住民は町の東端にある平野部で暮らしている。
午後三時にそのリヤドに到着出来た。町はさほど活況を呈している訳でもなかった。車とすれ違うことも無い。新環境法により車の所有には多額の税金がかかることから、田舎町ではこうして車を走らせているだけで目立ってしまう。
先程から、行き交う人がちらちらと此方を見ているのはそのせいだろう。これまで通過してきた町はそれなりに人口も多かったから、車の通行もあった。だが、此処はこの車以外の通行が無い。このままでは却って目立ってしまう。何処かで乗り捨てなければ。それもすぐには解らないような場所へ――。
「ルディ。これは主要道かな?」
「え? ああ。此処は国道だ」
「リヤドの隣町まではどれぐらいの距離が?」
「此処から五キロ……いや、四キロか」
「このまま其処まで行こう。此処では目立ちすぎる」
「そうだな」
いつ憲兵達に見つかっても逃げ切ることが出来るように、車を自動運転から切り替えてハンドルを握る。人々の視線を浴びながら、この町を抜け、隣町へと向かった。幸いにして隣町のシャクラーでは車の姿が確認できた。
暫く車を進めたところで、レオンはモニターに映る地図の一点を指して言った。
「此処に大きな動物園がある。駐車場もあるから、閉園するまでは此処に車を停めよう」
「……駐車場に停めたらすぐに気付かれないか?」
「却ってこういうところに停めた方が気付かれにくい。まさか動物園に立ち寄るとは思わないだろう?」
言われてみれば尤もなことだった。既に国境付近の山には厳重な警備が敷かれているだろうし、駅も見張られているだろう。動物園の駐車場に車を停め、一息吐いた。車は二十一台停まっている。私の車と同色の車も何台か居た。確かにこれならば紛れて気付かれ難い。
「此処に停めてある車が出たら、俺達も出よう。それから暫く国道を走って、陽が呉れたところで人気の無い場所に停車して休もう」
「解った」
「運転、俺が変わるからルディは休んでいてくれ。何かあれば起こすから」