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新世界

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 開戦を避けられなかった、とヴァロワ卿は低い声で呟いた。その時、ミクラス夫人が入室して、暖かな珈琲を置いていった。ミクラス夫人はヴァロワ卿に労いの言葉をかける。二言三言の短い会話が交わされた。ごゆっくりなさってください――と言い残してミクラス夫人が退室する。それからヴァロワ卿はひとつ息を吐いた。
「これから具体的な策を練らなければならない。……が、私はどう考えても帝国が勝利するとは思えない」
「……長期戦となれば新トルコ共和国の勝利です。しかし、新トルコ共和国側は長期戦に持ち込めるかどうかを案じているところでしょう」
 ミクラス夫人が持って来てくれた珈琲に口をつけると、ほんのりと甘かった。きっと少し砂糖をいれてくれたのだろう。疲れを癒すために。
「開戦後の新トルコ共和国の布陣次第ですが、本陣を一気に攻めて停戦に持ち込むことが最善かと思います」
「本陣を一気に攻める……か……。確かに有効な方法だが、可能なことだろうか」
「新トルコ共和国との戦争は陸上での白兵戦となります。そうなると、兵士の数が物を言うことになる。勿論、布陣を考慮しなくてはなりませんが、数の上では帝国軍が勝ります。開戦当初から全兵力を本陣に向け、頭を叩く――、帝国軍の勝機はその時にしかありません」
 ヴァロワ卿は顎に手をやり、少し考えてからそうだな、と頷いた。
「ただ、新トルコ共和国の部隊は精鋭揃いだと聞いたことがある。上層部が滅法強いとな」
「ええ。ですが、開戦当初から上層部を一挙集中させることはないでしょう。おそらくは各領域に人員配置を行う筈……。そうでなくては、本陣以外を攻められた時に共和国側は持ちませんから」
「数では負ける分、力を分散させるか」
「人員にのみ注目すれば、アジア連邦と北アメリカ合衆国の軍事力が彼等を援護して漸く互角といったところでしょう。この場合、本陣に二ヶ国からの援軍が全て投入されたとしたら、長期戦に持ち込むこととなります。ですから、此方は兵力を集中させていないかのように見せかけなければならない」
 その辺の駆け引きには外務省にも協力してもらわなければならない。新トルコ共和国側が兵力を分散すれば、此方の勝利は見える。ただしそれも初戦のみのことで、初戦が終了したら直ちに停戦条約を結ぶ手筈を整えなければならない。
「私はもう一点、案じていることがある。宰相はアジア連邦の特殊部隊について聞いたことはあるか?」
「……戦略室直属の部隊のことですか? 噂程度には聞いていますが……」
「ああ。少数で多勢を無力化することで有名だ。彼等が出て来たら、数の上で勝っていたとしても勝ち目が無いかもしれんぞ」
 精鋭といわれる部隊については、まだ詳細な情報を得ていない。今後はそれらの部隊について詳しく調べ、手筈を整える必要があるだろう。
「特殊部隊についてはもう少し調査を進めておきます。勝利に確証を持てないようでしたら、別の策を考えましょう」
 ヴァロワ卿は頷いて、珈琲をひと口飲んだ。カップをことりとソーサの上に置いて、もうひとつ尋ねたいことがある、と告げる。
「何でしょう?」
「会議の後、陛下が宰相に今回の戦争の総指揮を命じたと聞いた。そしてそれを宰相は承諾したと」
「ええ。戦争に勝利して私の力を示した後に、皇位継承者としての正式な式を行うとのことでした」
「今回の戦争は勝算の見えない戦争だ。総指揮を降りた方が良い。そうでなければ、負けた時にフォン・シェリング大将一派から非難を浴びることになる」
「限りなく勝算が無いと解っていながら、戦争を止められなかった責任は私にあります」
「宰相……」
「陛下から総指揮を命じられずとも、私は申し出ていました。その方が、フォン・シェリング一派の暴走も抑えられます」
 ミサイルの使用だけは何としても避けなければならない。そのためには、フォン・シェリング一派の行き過ぎた行動を常に監視し、彼等よりも上の立場にある私が、彼等を抑えていなければならない。
「……戦争を止められなかったのは、陛下が宰相の意見を退けたからだろう。決して宰相の責任ではない」
「あの会議の後、陛下にもう一度話をしたのです。戦争を回避したい――と。陛下が前言を撤回なさって下さるなら、どのような手段を使ってでもフォン・シェリング大将を退けるつもりでした。ですが陛下は私の意見を聞き入れて下さらなかった。それどころか、私のための戦争なのだということまで仰った」
「宰相……」
「私は選ぶべき道を間違えたのです。その間違えた道から全てが狂ってしまった。……マリ様との結婚の話が出た時に、私は身を引いて宰相を辞すべきだったのです。そうすればロイを失わずに済んだでしょう。マリ様も行方を眩ませることはなかった。陛下も戦争を画策する必要は無かった」
「それは違うぞ……。全てがお前一人の責任という訳ではない。省内の主戦論を抑えることが出来なかった私にも、そして最終決定を下した陛下にも責任のあることだ」
 ヴァロワ卿は静かにそう言った。部屋の中に沈黙の空気が流れる。時計の針の進む音だけが聞こえていた。
 その沈黙が不意に破られた。ヴァロワ卿は徐に胸の内から封筒を取り出した。そして、それを破った。
「ヴァロワ卿……?何を……」
「辞職願だ」
 ヴァロワ卿はもう一度封筒を破ってから、それを手の中で握りつぶした。
「宰相室に辞職願を提出に行ったら、宰相はもう帰宅したとオスヴァルトから聞いて此処に来たんだ。このままの軍務省で戦争に突入しても、省内の対立で陣が乱れるだけだ。陛下が開戦に踏み切るというのなら、反戦派の私は辞職すべきだと思っていた。だが宰相室で、宰相が今回の戦争の総指揮を執ることを聞いた。どうするべきか、悩みながら此方にお邪魔させてもらった」
「ヴァロワ卿……」
「宰相が開戦の覚悟を決めているなら、私が今の立場から逃げる訳にはいかない。だが宰相、私は皇帝のために戦うのではない。この帝国に暮らす民のために戦う。それと、この帝国を守ろうとする宰相のために、な」


 私は道を間違えた。
 ずっと自分の欲していたものが眼の前に突然現れて、それに手を伸ばした。結果、確かにそれは私の手に入ろうとしている。それも私が考えていた以上のものとなって。
 私は次期皇位継承者となった。

 だが、この現状は私の望んでいたことだろうか?
 欲しいものを手に入れるために、私はたった一人の弟を切り捨てた。そして今、自分の主義を曲げようとしている。
 宰相となった時、私は心に決めていた。せめて私の在職期間中は戦争を起こさない――と。

 もし――あの時、別の道を求めていれば。
 皇女マリとの結婚を辞退し、宰相を辞していれば、少なくとも私は自分の信念を曲げることはなかった。少なくとも私は後悔せずに済んだ。
 私は酷く後悔している。たった一度の選択の過ちを。
 後悔しても今となっては、もう何もかもが遅すぎる。遅すぎた。このことに気付くのが――。

作品名:新世界 作家名:常磐