新世界
帝国の体制を変えることにこそ、ルディの目的がある。それがどれだけ難しいことか知りながら、成し遂げようとしている。
どんな犠牲を払ってでも――。
ルディが優秀だということは俺も認めている。だがそれにしても、帝国をその手で変えようとするのは無理なことだ。帝国を変えられると本気で思っているのか。300年続く、あの巨大な国を。皇帝になればそれが成し遂げられると思っているのか。
あまりに大きな力を手に入れようとすれば、必ずその代償がある。失うものが大きいことを気付かないのか――。
それとも――、皇帝に操られているのか。
過ぎった考えを頭から追い払うように、酒を飲む。もし今戦争となれば、俺はルディと敵対することになる。戦争となれば――。
ルディが戦争は起こさないという主義さえもねじ曲げて、権力を手に入れようとするならば、俺はルディと敵対しても構わない。帝国と戦争になるということは、そういうことだ――。
細長い銚子を傾けると、既にそれは空になっていた。
「どう見積もったとしても、我が国の損害が大きすぎる。人的損害と経済的損害、この二つが帝国の地盤を揺らがせることとなる。たとえ勝利を得たとしても、戦後経営のことを考えれば、決して利益性が高いとは言えない」
「宰相は新トルコ共和国の資源を過小評価しているのではないか。新トルコ共和国には潤沢な地下資源がある。一説によれば、我が国の数十倍という。我が国で不足している資源を確保したうえ、地下資源と鉱物を輸出に回せば充分な利益を得られる」
「我が国が侵略し、その後征服した地を統括することの難しさはフォン・シェリング大将もよく御存知の筈。帝国は既に世界一の領土を有している。それがために、帝都から離れた地方では内紛も多い。それらに対処する費用が軍事費の三割に当たることも御存知だろう。それに支配地の多くは政府に対して否定的な考えを持っている。これ以上、侵略によって領土を拡げようものなら、帝国は内側から崩壊してしまう」
「慎重なのは結構だが、それは弱腰というものですぞ、宰相。時期には好機というものがあります。今はその好機。新トルコ共和国は体制移行して内部はまだ落ち着いていません。今、新トルコ共和国を手に入れれば、初めは痛みを伴ったとしても後に帝国の重要な利益となりましょう」
「卿の言う痛みが、今の帝国には耐えられない。我が国は資源が潤沢ではない。平常時の今でさえ、資源を輸入している状態だ。侵略したら、国際法に反したとして、輸入が途絶えてしまう。たとえ今備蓄している資源があっても、戦争が長期化すれば、我が国は圧倒的に不利となる。そしてもう一点、新トルコ共和国と戦っている間、支配地の民達が反乱を起こす可能性も充分に考えられる」
「勿論、戦争の長期化は私も避けたいところです。短期に全てを決してしまえば良い」
その用意は極秘裏に進めている――と、フォン・シェリング大将は言った。彼が何を画策しているのか、ヴァロワ卿と共に話し合って来たことだった。やはり彼は最低最悪のことを考えているのだろう。
大型ミサイルを使うつもりだ――。
それも、新トルコ共和国の首都に狙いを定めるつもりだ。新トルコ共和国を敗戦に追い込むにはそれしかない。
「卿の策は国際法と条約に反する行為だ。それは断じて許されない」
「宰相。私は以前から考えていた。国際法に従っていては帝国の繁栄はありえない。今の国際体系を脱してこそ、帝国の繁栄があるのです」
「……卿は全世界を支配するつもりか」
「帝国の繁栄のために、今の国際体系を抜けるという選択があっても良いと私は考えている」
「各国と協調を取らなければ、現在の帝国も維持出来ないことを弁えてのことか」
「個別に条約を締結すれば良い」
「そのような世迷い言が通ると思っているのか。どの国も法を遵守しない国と国交を結ぼうとはしない。卿の言い分では世界中の国々を相手に戦争をして、勝利したうえ独裁を貫くということと同義だ。資源の少ない帝国にそのような力があると思うか」
フォン・シェリング大将は何としても戦争を起こしたいという考えを持っている。帝国が勝利出来ると思っている。たとえミサイルを使って勝利したとしても、帝国は各国から非難を浴びる。そんな国と友好関係を持とうという国などあるものか。そして、帝国が一度でもミサイルを使えば、新トルコ共和国もその使用を躊躇わないだろう。
そればかりか、新トルコ共和国と友好条約を結んでいるだろうアジア連邦や北アメリカ合衆国が黙っていない。アジア連邦の軍事力は強い。ミサイルを一発でも使えば、ミサイル戦争となるだろう。そうなった場合、帝国に勝利は無い。
ヴァロワ卿がフォン・シェリング大将に向かって、それを説く。ヘルダーリン卿も戦争での勝利に確証が持てないことを力説した。しかしそれらの話にフォン・シェリング卿は耳を傾けることはなかった。
将官達も三分の一はヴァロワ卿に味方して反戦の意を示しているが、残りの三分の二はフォン・シェリング卿を支持していた。言うなれば、フォン・シェリング卿が彼等を買収していた。会議で多数決となれば反戦派が圧倒的に不利となる。そのため、軍務省の会議には宰相である私が常に出席し、主戦派の意見を退けていた。宰相の権限で、主戦派の意見を遠ざけた。権力の濫用だとフォン・シェリング一派は抗議したが、そうすることでしか、フォン・シェリング卿を頂点とする主戦派を抑えることが出来なかった。
「入るぞ」
突然、会議室の扉が開いた。その声に驚いて全員が立ち上がった。
皇帝がこの会議室にやって来た。この会議に皇帝が参加することはない。いつも私が会議のことを報告していた。皇帝はそれを黙って聞いていただけだった。
「フェルディナントから報告は受けていたが、会議は随分紛糾しているようだな」
皇帝が一歩また一歩此方に歩み寄る。座を勧めると、皇帝は其処に腰を下ろした。
「フリデリックからの報告も受けている。新トルコ共和国の地は帝国に利をもたらす、とな。フェルディナントは経済的・外向的な見地からそれを反対している」
「陛下。新トルコ共和国はおそらくアジア連邦や北アメリカ合衆国とも同盟を結んでおります。新トルコ共和国は外交の巧みな国です。政府要人達が北アメリカ合衆国とアジア連邦に頻繁に出向いている情報も得ています。そして何よりも新トルコ共和国には資源があります。軍事力の強いアジア連邦と北アメリカ合衆国と手を結び、潤沢な資源を背景とすれば、我が国の勝算は限りなく低く、たとえ勝利したとしても甚大な損害を被ってしまいます」
「お前の考えはよく解っている。フェルディナント」
皇帝は此方を見てそう言った。戦争反対の立場をこの場で表明してくれれば、当分の間は主戦派の意見を遠ざけることが出来るだろう。今日此処に皇帝がやって来たのは悪いことでもないかもしれないと思った。この時までは。
「だが、フリデリックの話も納得のいく節があるのだ」
「陛下……?」
何を――、言うのか。
皇帝から眼が放せなかった。主戦派のフォン・シェリング大将の肩を持つのか。