新世界
第5章 逡巡ありて
私を次期皇位継承者とすることは、まず皇帝の口から各省の長官達へと伝えられた。国民への通達はもう少し準備を整えてからということになったが、長官達へと伝えられたその報せは忽ち宮殿内へと広がり、国をも超えていった。マスコミには暫くこの件に関しては触れないように命令が下ったから、嘗て皇女マリとの結婚が決まった時のように殊更に騒ぎ立てられることはなかったが、宰相室には連日、各国から真偽を問う電話が入った。
皇女マリが行方不明となり見つからない今、皇位継承権は皇帝の弟に移るものと誰もが考えていたのだから、この騒ぎは当然のことだった。国内メディアに報道規制はかけたものの、国外では連日こぞってこのことが報道された。帝国の王朝が変わる――確かにそれは大きなニュースだった。宰相が帝国皇帝となったら、帝国は変わるのかと言論人達が熱心に議論していた。そうした報道を見ると、自分のことがまるで他人事のように思えてしまう。そんな暢気に構える私と違い、諸外国はすぐ対応に走った。宰相級の会談が度重なった。その都度、皇位継承について問われた。来るべき時が来たらお話しします――とだけ答えておいた。
宮殿内では守旧派と進歩派の対立がますます激しくなっていった。私が進歩派に与しているから、次期皇位継承権を私が得たことで、そうした者達の声が強まっていった。しかし彼等のなかにも、私が皇位を継承することに疑問の声を上げる者が居た。民主化を本格的に進めるのならば、皇位継承すべきでない――そうした意見は宰相室にも寄せられた。
私自身もそれは正論だと思う。しかし正論ばかりが通用する訳でもなかった。現皇帝は皇族の存続ありきの民主化以外は一切認めない。したがって、現皇帝の間は、新トルコ共和国のように民主化を推進するのは無理だろう。この国を変えるためには私が皇位を継承するしかない。
一方、守旧派達はそれぞれ集まって今後の対策を話し合っているようだった。あからさまに私に意見を言ってくる者は居ないが、月に一度開催される長官級の会議で、彼等は冷ややかな態度を向けてきた。
そして軍務省を――とくにフォン・シェリング大将を中心に、領土拡大を求める声が高まってきた。約300年続いてきた王朝が変わるというのなら、王朝が変わるに相応しい功績が必要だ――彼は軍務省での会議の場で、そう発言した。この国際情勢のなかで他国侵略を行うべきではないと、陸軍部長官のヴァロワ卿と海軍部長官のヘルダーリン卿が異議を唱えたが、フォン・シェリング大将はじめ、クライビッヒ中将等守旧派の一派は他国侵略に賛同した。
「以前からも言っているように、新トルコ共和国の領土を手に入れれば、底無しの資源が手に入りましょう。宰相、否、次期皇帝陛下、いつまでも逃げ腰では帝国の発展は望めませんぞ」
フォン・シェリング大将は嫌みをこめた口調で言った。ヴァロワ卿が言い返す前に、先に口を差し挟む。
「卿等は各国の状況を把握していないのか。新トルコ共和国に侵略した場合、アジア連邦を敵に回すことになる。この二つの国の兵力を合わせると、帝国といえども容易に勝利することは出来ない」
「アジア連邦が敵に回るとはまだ決まった訳ではないことでしょう。あの国は民族意識の強い国、たとえ戦争となっても新トルコ共和国にも我が国にも味方せず、高みの見物を決め込むに決まっている」
「私は新トルコ共和国とアジア連邦との同盟は、既に締結されていると考えている。そればかりではない。新トルコ共和国は北アメリカ合衆国とも同盟を結んでいるに違いない。民主化への移行の際、一切の外圧が無かったことがその証拠だ。この三ヶ国の同盟が成立していると考えると、兵力は帝国を凌ぐことになる。そして戦時の資源を鑑みても、帝国に勝算は無い」
「宰相。その仮定はあまりに弱腰ではありませんかな。慎重を期すのは結構だが、帝国はこの世界の頂点に立つ存在であることをお忘れなきよう」
「勝算無き戦いは甚大な被害を及ぼし、果ては帝国の足下を掬うことになる。フォン・シェリング大将、今は領土拡大の時期ではない。各国と同盟を結び、高い関税を下げて貿易を活発にさせることが、国力の増強に繋がる」
「それでは帝国は周辺国に飲み込まれてしまう。広大な領土を保持し続けるためには、多国間との協調ではなく、国力を対外に知らしめるのが一番効果的なこと。帝国政府が弱腰となれば、内からの反乱も起きよう」
「武力での統治は長続きしない。これまでが良い例だ。帝国を存続させるためには、元来の皇帝領と被支配領域との間の社会保障政策や経済政策における格差の緩和が重要となる」
「ロートリンゲン宰相。それでは各省から手ぬるいと後ろ指を指されても仕方の無いこと。平和主義は結構だが、国家はそのような生ぬるいものでは成立しないことを心得ていただきたい」
「ではフォン・シェリング大将。帝国が侵略戦争を嗾け、不運にも負けた時、貴卿は責任を取れるか」
「何ですと?」
「戦争は、少なくとも数万の兵の命を犠牲にする。それらの命に対して、卿は責任を取れるか」
「戦争は国家全体の使命。そこでの生き死にも国民の責務であろう。……歴代にわたり武勲を馳せたロートリンゲン家の子息とも思えぬ質問だが」
「侵略戦争は国民の責務ではない。侵略戦争とは、人命を賭けずして国家を繁栄させる術を取らなかった国家首脳部の怠惰の結果だ」
「話にならぬ。宰相、貴方はもう少し世間を知ることだ。机上の学問ばかり有能でもこの国を治めることは出来ぬ!」
フォン・シェリング大将が立ち上がる。憤慨した様子で扉へと向かう。その後を追うようにクライビッヒ中将が続く。
そうして、会議は中断を余儀なくされた。ヴァロワ卿が会議の解散を告げると、将校達は一礼して会議室を去っていく。軍務省と外務省だけは、何度会議を設けても意見が纏まらない。上層部の人間が、新トルコ共和国への侵略を訴えてくる。同じように侵略戦争に肯定的だった内務省が、今週漸くその意見を変えることとなったから、安堵していたところだったが、軍務省と外務省はまだ時間がかかりそうだった。
会議室にはヴァロワ卿とヘルダーリン卿と私が残った。ヴァロワ卿は平行線だな――とひとつ息を吐いて言った。
「彼等が手を拱いているばかりかどうかも怪しい。こうして会議が紛糾している間に、戦争に向けての準備を始めている可能性も否定出来ないな」
「個人的にはもう始めているでしょう。フォン・シェリング大将にしてみれば、頭角を現す好機でもありますから……。しかし、個人的な資金の範囲内で出来ることは限られていますから、現段階においてはそれほど心配することはないでしょう。それよりも、軍務省内の予算を見張って下さい。財務省には軍務省内に個別に予算が流れないように、手を打ってあります」
解った、とヴァロワ卿は頷いた。フォン・シェリング大将の最近の動向は見張らせている。個人的な資産を使って軍備を始めていることは間違いない。個人が所有出来る武器数以上を保持しているとして摘発することも出来ない訳ではないが、今それに踏み切れば、守旧派との全面的な対決となってしまう。争いは出来るだけ避けたい。