新世界
「ああ。俺は一年早く卒業して、国家公務員の上級試験を受けた。そして軍務省に配属されたという訳だ。だから、実戦経験も無く幹部席に居る。その証拠に俺には軍での階級は無い」
「そうだったのか……」
「しかし、そういう経歴だからいつまでも軍務省に配属されている訳でもない。外務省に異動となることもあるだろう。まあ当分は軍務省配属だろうが」
帝国では、軍人は必ず士官学校を卒業していなければならなかった。アジア連邦と随分違う。帝国では士官学校の上級コースを卒業していなければ、将官となることは出来ない。また、帝国の士官学校はコースが上級コースと一般コースとに分けられていて、高校を卒業した者が入学する。謂わば士官学校は大学のようなものだった。そして、上級コースのなかに一部特殊なクラスが含まれている。それが幼年コースと呼ばれるエリート養成機関だった。幼年コースはジュニアスクールを卒業してすぐに士官学校に入学する。高校に進まず、その幼年コースに入る者は年に十人も満たない。試験や体力審査が極めて厳しく、幼年コースから士官学校に入ることが出来た者は、将来の出世が約束されたと同じものだった。卒業と同時に大佐となることが出来る。
俺は父親に強制的に勧められて高校進学を諦めさせられ、幼年コースの試験を受けて主席で合格した。幼い頃から父に厳しい教育を受けてきたのだから、受かるのは当然といえば当然だった。家族全員が喜んでくれたが、俺は高校に通って普通の学生生活を送りたかった。大学にも行きたかった。
「ロイ。テレビを付けてくれるか?」
「解った」
テーブルの上にあったリモコンを取り上げて、スイッチをつける。キャスターがニュースを読み上げていた。
「聞き忘れていたが、好き嫌いはあるのか?」
「いや、無い」
「意外だ。我が儘放題に育ったにしては。好き嫌いは無いのか」
「教育係のミクラス夫人が五月蠅くてな。徹底的に好き嫌いを直された」
「……教育係まで居たのか……」
ニュースはアジア連邦の――国内のニュースを伝えていた。議会で法案がひとつ可決されたというニュースに、此処が帝国でないことを思い知らされるような気がした。
「これをテーブルに運んでくれ」
野菜と肉を炒めたものは食欲をそそる良い香りを放っていた。フェイに頼まれるまま小皿を出したり、料理を並べたりする。
「箸は使えるか?」
「ああ、それは大丈夫だ」
暫くすると全ての料理がテーブルに並んだ。フェイが器用なのか、それとも普通はこれぐらいの料理が出来なければならないのか、野菜と卵のスープに炒め物、海老のチリソースといったものがあっという間に出来上がった。
「口に合うかどうか解らんが、出前よりは増しだろう」
「ありがたい」
テーブルの席に腰掛けたところで、ニュースが国外のニュースに移った。テレビを付けたままでも良いか、と問うので頷き返す。新ローマ帝国、という言葉が耳に入って来て思わず手を止めた。
「気になるか?」
気にすまいとしてもやはり気にかかる。新聞を読んでも帝国の記事は嫌でも眼につく。
「新ローマ帝国皇室の第三皇女であり、次期皇帝のマリ皇女が行方不明という新たな情報が入りました。詳細がわかり次第、詳しくお伝えします」
マリが行方不明――?
馬鹿な。何故――。
「帝国の皇室は祟られてでもいるのかな。第一皇女と第二皇女が立て続けに亡くなって、今度は第三皇女が行方不明か。……ロイ?」
「……あ、ああ……。……フェイ、この情報を詳しく調べることは出来るか……?」
「明日には詳細が解るだろう。……ああ、そうか。第三皇女と宰相は婚約しているのだったな」
帝国で何があったのか――。
ルディと正式に婚約発表したという話はビザンツ王国で聞いた。それから間もない今、一体何があったのか。
「ロイ。変だぞ、お前。皇女の話で何故そんなに動揺する?」
「第三皇女は……マリは、俺の恋人だ」
皇女マリが失踪した。彼女の部屋のテーブルの上に、書き置きがあり、自分の意志で宮殿を出て行く旨のことが書かれてあった。このたびのことは自分一人の一存であり、誰も関与していない――、それはおそらく周囲の者を気遣ってのことだったのだろう。実際、誰も皇女マリの行き先を知らなかった。皇女にいつも仕えている侍女は厳しい尋問を受けたが、彼女も何も知らなかった。だが明らかなことは、皇女マリはロイの後を追ったのだということだった。
もともと皇帝もそれを懸念し、皇女の身辺を常に見張らせていた。ところが、皇女はその隙を見つけて、宮殿を出て行った。護衛官達は皇帝から叱責を受けることとなり、そしてすぐに皇女の捜索を命じた。
ロイの時と同じようにすぐに見つかると思われた。しかし、皇女は三日が過ぎ、一週間が過ぎても姿を現さなかった。事態を重く見た皇帝は、それまで皇女の失踪を極秘事項としていたが、国内外に報せ、捜査網を広げることとなった。ロイが追放された北の国境付近も捜索し、国境を接するビザンツ王国にも捜査協力を依頼した。だが、皇女マリの姿は見つからないままだった。
そのなかで直接皇女に関係することではないが、私にとっては朗報がもたらされた。ロイに関する情報を得ることが出来た。
ロイはビザンツ王国に入ったらしい。ロイのような男を目撃した、宿泊したという話をヴァロワ卿が教えてくれた。
「そうですか……。少し安心しました」
「それ以上の行方は解らないが、ハインリヒは今もビザンツ王国の何処かに居るのだろう。……尤も肝心のマリ様の行方が未だ掴めない。ハインリヒよりも目立ちそうなものだが……」
「周到にルートを考えていたのかもしれません」
ヴァロワ卿はそうとしか考えられんなと頷いた。もしかしたら、ロイが追放された時から、皇女は宮殿を出て行くことを心に決めていたのかもしれない。そのために、皇位を私に譲位するということも早々に取り決めたのかもしれない。
まさかそのようなことを考えもしなかった。迂闊だった。
もし皇女が今、ロイと共に居るというのなら、それはそれで安心出来る。だが果たして、それほど簡単にロイと会えるだろうか。私でさえまだロイの居場所が把握出来ないというのに、皇女に何か宛てがあるとも思えない。ロイと一切連絡は出来ない筈だ。そうなると、やはり皇女はロイと会えていないということになる。
「しかし……だ、宰相。マリ様は国外に出たと思うか?」
「いいえ。私はそうは思えないのです。陛下の御命令で各国に通達はしましたが……、マリ様はまだ国内にいらっしゃると思います」
「やはりそうか。どれほど策を練っても女性の足でそう遠くは行っていないと思っていた。それに国境には警備隊が居る。女性が国境付近に居たとしたら、彼等は必ず見つける筈だ」
「ロイの後を追いかけたとして、北へのルートはふたつ。そのどちらも警備は厳しいですから、国境にすら近付いていないのではないかと……」
「意外にこの近辺に身を潜めているか、それとも……」