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新世界

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「ラストオーダー時間は看板にも書いてあったでしょう」
 俺もそろそろ立ち去らなければならないな――そう思ったところへ、ガチャン、とガラスか何かが壊れるような音が聞こえて来た。止めて下さい、と店主が言う。男達は入口の棚に置いてあった洋燈や小箱を店内に向かって投げつけてきた。
 柄の悪い客なのだろう。店主は諦めた態で、渋々客に席を宛がった。ちらと見ると、酔っぱらった若い五人の男が椅子や机を蹴りながら、奥の席に着こうとしていた。男達はウォッカを注文し、騒ぎ始める。店内に残っていた客も一人二人と帰っていく。何となくまだ酒を口にしていると、背後のその男達は大声で笑い始めた。
「五月蠅い」
 背を向けたままそう告げると、男の一人が何か言ったかと此方に歩み寄って来た。
「五月蠅いと言っている」
「ああ? 外国人風情が五月蠅いだと?」
 もう一度言ってみろと言うので、五月蠅い、ともう一度言ってやった。すると男は笑って、此方の襟首を掴んだ。命知らずな奴だ――そう言いながら。
「乱暴は止めて下さい。これ以上、荒らすというなら警察を……」
 店主が男達を止めようとしたが逆効果だった。男達のうち二人が店主の前に立ちはだかる。俺の襟首を掴んだ男は、勢い突き飛ばす。がたんと背にカウンターが当たる。一瞬、息が詰まって眼を瞑った。その合間に、眼前に二人の男が立ちはだかる。彼等の手には鋭いナイフがあった。
「厄介ごとは勘弁してもらいたいのだがな……」
「口の減らない奴だな。何処の国から来た?」
 店主の方を見ると、男達を前にして、蒼白な顔で後ずさっている。男達も標的を俺と定めたようで、どうやらもう見て見ぬ振りは出来ないようだった。尤も彼等にしてみれば喧嘩を売ったのは俺の方なのかもしれないが――。
「私に刃向かうのなら、あと数十年腕を磨いてくることだ」
 眼前の二人を投げ飛ばし、店主の前に立ちはだかる男の襟首を掴む。後ろに放り投げると、男は無様にテーブルの角に頭をぶつけて呻いた。後ろに居た一人が此方に襲いかかってくる。拳を鳩尾にたたき込む。再び立ち上がってきた二人の男を蹴り飛ばす。椅子に体当たりして無様に倒れた途端に、腕が折れただの肋骨に皹が入っただのと悲鳴を上げる。最後まで五月蠅い男達だった。
 店主は驚いて此方を見つめた。
「事を荒立てて済まない。会計に合わせて、壊れたものは弁償する。これで足りる筈だから此処に置いていくぞ」
 ポケットから封筒を取り出してカウンターに置く。店主は待つように言ったが、これから警察を呼ばれたら此方も対応に困る。
 外は雪が降り始めていた。宿はまだ取っていない。空を見上げると暗闇に雲がかかっているようで、雪は降り続きそうだった。何処か宿を見つけた方が良さそうだ。


「待って下さい」
 店を去って十分ぐらい歩いたところで、背後から声をかけられた。先程の男達が懲りずに追ってきたのかと思ったら違った。店のカウンターの片隅で飲んでいた男だった。あの騒ぎで早々に避難したかと思っていたが、まだ店内に残っていたのだろうか。
「あの者達はこの辺の荒くれ者。そこそこの腕を持っていたが、貴殿はそれをいとも容易く倒した。相当な腕前だとお見受けする」
 再び歩き出すと、男は駆け寄って店主からだと封筒を差し出した。
「店主がこんな大金は受け取れないと。1000ターラーなど普通の人々が見たら驚く金額だ。それを貴殿が知らないとも思わないが……」
「受け取れないというのなら、ゴミ箱にでも捨てるように言っておいてくれ」
 立ち去ろうとすると、男は俺の腕を掴んだ。咎めるような視線を送ってから、また言った。
「あの店での様子から察しても帝国で何かあったとしか思えない。新ローマ帝国軍務省海軍部長官ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将」
「……貴様、何者だ」
 あの店でも何処でも、この国に入ってから俺は一度も名乗ったことが無かった。宿を取る時でも偽名を使った。それなのに何故、この男は俺のことを知っているのか。ビザンツ王国の関係者か。否、それにしては人種が違う。
「失礼した。私はフェイ・ロン。アジア連邦軍務省次官を務めている」
「アジア連邦だと……?」
 何故、このビザンツ王国に遙か東方アジア連邦の軍務次官が居る?
 アジア連邦の軍務長官の顔なら憶えている。国際会議で何度か見かけたことがある。アジア連邦は年功序列という考え方が根強く、若い者が上の地位に就くことは滅多に無いと聞いている。しかしそれにしては、このフェイ・ロンなる男は俺と同じぐらい若い。着任が最近のことなのか、国際会議でも見たことの無い顔だった。
「仕事でこの国に来ていたところだ。少し貴殿と話したいが、宜しいか?」
「私は話すことなど何も無い」
「何故、帝国軍の大将が伴も連れずこのような場所に?」
「その質問はそっくり其方に返そう」
「私の部下は今、別行動中だ。あの店は以前からよく立ち寄る店で店主とも親交がある。久々に立ち寄ったら、貴殿を見つけて驚いたところだ。両国の友好的な関係のためにも少し語り合わないか?」
「……私はもう帝国軍に所属していない」
 歩みを早めると、フェイ・ロンと名乗るこの男も同じように歩みを早める。一軒の宿屋を見つけて、其方に進む。
「貴殿程の人材を帝国が気軽に手放すとは思わないが」
「とにかく私は何も話すことは無い」
「流石に口が堅い。とりあえずこれはお返しする。店主から預かってきたものだからな」
「それは酒代に支払ったものだ。先程も言った通り、店主が要らぬというなら捨てろと伝えてくれ」


 フェイ・ロンを振り切って、宿屋に入り、空室を問う。こんな夜中に突然やって来た外国人を泊めることに渋られたが、料金を割り増しして払うことで、何とか部屋を確保することが出来た。粗末な宿屋だったが、ベッドとシャワーさえあれば文句は無い。
 それにしてもアジア連邦の者がこの国に来ているとは思いもしなかった。このビザンツ王国はどちらかといえば帝国との繋がりが深いから、アジア連邦とは馬が合わないと思っていたが……。
「俺には関係の無いことだ」
 考えを振り払うように頭を振って、シャワーを浴び、ベッドに横たわる。眠りたいのに、なかなか寝付けなかった。マリのことを思い出してしまう。




 逃亡中の二日間はまるで夢のようだった。身を隠すために、市街地のこぢんまりとした宿を選んで泊まった。マリと共に外泊することはそれが初めてだった。皇女という立場のため、マリは宮殿から出ることを滅多に許されない。また、一官吏に過ぎない俺が宮殿の皇族達の居住区に立ち入ることは禁じられていたから、マリとは宮殿の中、それも宮殿の一角にある庭でしか会えなかった。偶にルディがマリとの逢瀬を取りはからってくれたが、恋人と言えるような時間を築くにはあまりに時間が足りなかった。だから逃亡するまで、俺はマリと夜を共にしたこともなかった。
作品名:新世界 作家名:常磐