新世界
「マリ様のことは先程聞いたところだ。今から宮殿に行くつもりだが」
「皇帝陛下より此方の邸宅を捜索するよう仰せつかりました。宰相閣下、何卒お許しを」
「私の邸を? 何故だ?」
「閣下の邸にマリ様がいらっしゃるかもしれないと、陛下の御命令です」
「お前達は何故陛下がそのようなことを仰ったのか解っているのか」
「私共は陛下の御命令に従うまでのこと。閣下、室内を検分させて下さい」
つまり、彼等は何故皇帝が私の邸を調べろと言ったのか、まったく知らないままに此処に来ていることになる。それではまるで忠実に主君に従う犬と同じだ。
否、私自身も同じか――。
「解った。許可しよう。ただしこの邸の使用人達に暴挙を揮うような真似は止めてくれ」
「承知致しました」
扉を開け放つと、近衛兵達が邸に入り込む。彼等は各部屋の扉を開け、逐一中に入り、部屋のなかを見て回った。一階も二階も、地下室も隈無く探す。
それにしても、皇帝に命じられて皇女マリを捜索しているのは彼等だけだろうか。否、そんな筈はあるまい。極秘に捜索しているとしても、少なくともこの倍、もしくは三倍の人員を導入している筈だ。そしてヴァロワ卿はロイの不在を知っているから、皇女と同時期での失踪を不審に思っているだろう。
「閣下。軍務長官殿はどちらにいらっしゃいますか?」
「今は不在だ。何の用だ?」
「何処に行かれましたか?」
「30も過ぎた男の行き先など逐一、管理していない。ただ、朝になってもこの通り帰宅しておらぬから、当家のほうも探しているところだ」
フェルディナント様、とミクラス夫人が呼び掛ける。宮殿からの電話だと言った。宮殿に来るようにとの連絡に違いない。
「私は宮殿に行く。お前達は納得がいくまで邸を探すと良い」
電話は皇帝の秘書官からだった。皇帝がすぐに来るように呼んでいるという。こうなると私を呼びつける理由は、ロイのことに違いなかった。
ミクラス夫人に後を任せて、ケスラーの車で宮殿に向かおうとすると、近衛兵の一人がそれを咎めた。
「閣下は私が陛下の許までお送り致します」
私を見張るよう告げられているのだろう。ロイと連絡を取るとでも考えているのか。
「ならば君に頼もうか」
ロイが見つかったという報せはフリッツ達からも、また宮廷側からも届いていない。ロイにはこのまま逃げ切ってほしい。皇女誘拐は私がどう取りはからっても死罪だ。
「フェルディナント。マリに加えハインリヒの姿が見当たらないと聞く。ハインリヒは今何処に居る?」
「当家でも現在、手を尽くして探しております。ハインリヒが見つかりましたら、すぐに登宮させます」
「私はハインリヒなどどうでも良い! ハインリヒはマリと居るのだ。マリを誘拐しおったのだ!」
「畏れながら……、ハインリヒはそのような愚行に走ることはないと思います」
「では何故、二人が時期を同じくして姿を眩ませたのだ!? ハインリヒがマリを連れ出したに決まっておろう!?」
皇帝の怒りは頂点に達するばかりで、収まる気配も無かった。そして皇女マリの探索は現在、極秘裏に進められているとのことだった。軍務省のヴァロワ卿と二十数人の精鋭達が皇女マリとロイが居なくなったという事実を知っており、国内を探し回っているのだという。何故、ロイが皇女を連れ出したのか、そのことについてはヴァロワ卿にすら知らされていないのかもしれない。
ロイは逃げ切れるだろうか――。
「フェルディナント。お前は私に隠し事などしておらぬな」
「滅相も御座いません。陛下に忠誠を尽くす身なれば、今すぐにマリ様の捜索に加わるつもりです」
「お前は良い。宰相室に控えていろ。ハインリヒが見つかるまでの間だ」
行動に制限がかかるということか――。
これは仕方無いだろう。的確な判断だ。フリッツとパトリックに指示を出した後で良かった。
皇帝の執務室を退室しようとすると、不意に皇帝がフェルディナント、と名を呼んだ。振り返ると皇帝は此方に背を向けた状態で言った。
「此度の一件、カトリーヌは無理も無いことだと言った。私とてハインリヒやマリには済まないことをしたと思っている。だが私はこの帝国のためを思えばこそ、婚約を破棄させた。何故にこの私の苦悩が、ハインリヒには解らぬ……!?」
「……弟が戻って参りましたら、陛下のお気持ちは確とお伝えします。ご迷惑をおかけしまして申し訳御座いません」
初めて皇帝からそんな言葉を聞いた。
普段は弱みを表に出さない方だ。もしかしたら、今言ったことをずっと思い悩んでいたのかもしれない。
私には一人の近衛兵が付き添った。皇帝の執務室から宰相室までの短い距離でさえ、私の行動を見張るということらしい。宰相室に入っても、彼は部屋の片隅に立っていた。
「閣下。一体何があったのですか?」
その異様な光景に、オスヴァルトが近衛兵を見遣りながら問い掛ける。皇女マリとハインリヒが行方不明なのだと告げると、オスヴァルトは眼を見開いて何故二人が居なくなったのかを尋ねて来た。
「……二人が一緒なのか、それとも偶然同じ時期にいなくなったのか、それは解らない」
近衛兵のいる前では、そうとしか応えようが無かった。
「では閣下。このような場所に居るよりもハインリヒ様をお捜ししたほうが……」
「陛下に此処での待機を命じられたのだ」
オスヴァルトは流石に不審に思ったのだろう。近衛兵を見遣り、それから何か言いかけた。それを止めたのは、誰かがやって来たからだった。コンコンと扉を叩く音にオスヴァルトは返事をする。すると扉が開き、大柄で均整の取れた身体つきの男が現れた。軍務省のヴァロワ卿だった。
「宰相。聞きたいことがあるのだが宜しいか?」
「ええ。私が其方に伺おうと思ったのですが、陛下に此方での待機を命じられていまして……」
ヴァロワ卿は近衛兵を見て、退室するよう促した。近衛兵は戸惑った様子で、陛下の御命令ですと応える。
「陛下の御命令に背くのではない。私がお前の代わりに、宰相が此処に居ることを見張れば良いのだろう。少し席を外してくれ」
「しかし、長官……」
「それほど気にかかるなら、部屋の外で待っていろ。良いな」
若い近衛兵はヴァロワ卿の命令にも逆らえなかったのだろう。敬礼してから、彼は部屋の外に出て行った。それからヴァロワ卿は此方に歩み寄る。
「マリ様の失踪とハインリヒの失踪は関連しているのか?」
ヴァロワ卿はロイとも私とも親しく、また亡くなった父とも親しかった人物だった。私がこの夏に倒れた時にも見舞いに来てくれた。官吏のなかでも、ヴァロワ卿とは特に親しく付き合っていた。
「……これまでのことをお話します。オスヴァルトも聞いてほしい」
この部屋は防音措置が敷かれてあって、中での話は決して外に漏れることはない。それでも念をいれて彼等を奥の客室として使用している部屋に招き入れた。二人と向かい合って座ってから、話を切り出した。
「マリ様とハインリヒはおそらく行動を共にしています。原因はこの私にあることです」
「婚約に関することか? ハインリヒは反対だったのか?」
「マリ様とハインリヒは、一度は皇帝に結婚を認められた仲でした」