新世界
「情報は共有しようと常に言っているのに、何を隠しているのだ、お前は」
「だから話しそびれていただけだ。長い話になるぞ」
「構わん」
道理でムラト次官との面会を終えてから此方に来る時、ロイが寡黙だった筈だ。面会している最中からずっと考えていたのだろう。
「マルセイユで療養していた時に、些細な事から新トルコ王国の者と会ったんだ。彼と話を交わすうちに、新トルコ王国の内情が少し解ってな」
レオンとのことを話し始めると、ロイはそれに聞き入った。些細なこととは何だと問うロイに、裏道で暴漢に襲われかけていたところを援護したことを説明し、二日間に起こったことを全て話す。それを聞き終えると、ロイは納得した様子で頷いた。
「そのレオンという男、何者なのだろうな。先程のムラト次官との話が上手く繋がる」
「レオンが何者なのかは私も解らなかった。ただ、お前と互角の力を持っているということは軍部の人間なのかもしれない。尤もレオンというのも偽名かもしれんがな。だが、今日のムラト次官の話と合わせて鑑みるに、新トルコ王国は体制を移行させるというのは事実だ」
「軍部の人間か。諜報活動中だったのかもしれないよな。……まさかとは思うが、あの流言が耳に入っているのではないだろうな」
「私もそれが気になっていたのだ。ムラト大将は妙に此方の侵略を気に懸ける。流言を何処からか聞いたのかもしれないことは、否定出来ない。ロイ、この話は私と二人の間だけの話だと弁えておいてくれ。万一にも彼等の耳にこのことが入ったら、間違いなく一波乱起こる」
「解っている。誰にも話しはしないさ。俺にはもう少し早く教えてくれていたら良かったがな」
「済まない。先刻も言ったが、話しそびれていたことだ」
この日はゆっくり休み、翌日はエディルネの街を視察して回った。軽装で、一見して視察と解らないように、ロイと歩いた。エディルネは内陸にありながら水が豊富な土地で、作物が良く育つ。市は活気を呈しており、物価もさほど高くは無い。街から離れた場所まで視察に出掛けることは出来ないが、見た限りでは何の問題も無さそうだった。
その翌日、国際会議が開催された。円状に設置された席に各国の代表者が腰を下ろす。いずれの国も、政務総裁と軍の長官級の二人ずつ列席していた。次官級の出席は三ヶ国――新トルコ王国とアジア連邦、それにイスパニア王国――のみだった。新トルコ王国の席にはムラト次官の他にもう一人政務部の長官が座っている。アジア連邦も政務総裁の老年の男と軍の次官級、イスパニア王国は副宰相の中年の男と軍の長官級。イスパニア王国の宰相は半年前に脳溢血で倒れて、それ以来副宰相がその地位にあるというから、実質宰相ということだろう。
しかし、新トルコ王国とアジア連邦の軍の長官が揃って欠席していることに、違和感を覚えた。この二ヶ国は友好関係にある。帝国も新トルコ王国と友好条約を締結してはいるが、アジア連邦ほどではない。また、帝国はアジア連邦とは距離を置いている。アジア連邦は大陸の東端にある国で、帝国とは国境を接していない。国交が無い訳ではないが、儀礼的なものだった。
今、この世界の東側と南側には共和制を敷く国が多い。それに対して、西側諸国は君主政が中心であって、その代表格が新ローマ帝国だった。共和制の代表格は北アメリカ合衆国と並んでアジア連邦と言って良いだろう。そんな間柄から、友好関係を取り結べる筈もなかった。
それが、新トルコ王国が体制を移行させようとしている今、アジア連邦とより親密に結びついているとすれば、世界情勢に変化をもたらすことになる。新トルコ王国は小国でありながら、巧みな外交術で各国と友好関係を結んでいる。これらの繋がりは君主政を脅かすものだった。
会議は遅延もなく進行して、軍備に関する確認は恙なく終了し、翌日に環境会議を残すのみとなった。会議が終わると各国の代表が雑談を交わし合う。スウェーデン王国の老宰相と、新エジプト国の総裁に挨拶をし、差し障りのない話題を語り合った。ロイはスウェーデン王国の軍の長官と談笑していた。さりげなく新トルコ王国のムラト次官を見遣ると、彼は北アメリカ合衆国の国防長官と話をしている。アジア連邦の総裁と軍部長官は南アメリカ連合国の代表達と歓談していた。それぞれ近隣諸国の国々と語り合っているような構図で、際立って奇妙な光景でもない。新トルコ王国とアジア連邦の軍の長官同士が別所で会談をしているのではないかというのは、此方の勘繰りすぎだろうか。
「やれやれ。無事に終わったか」
飛行場から帰りの車のなかで、ロイはネクタイを解きながら言った。
二日目の会議も終わり、壊れた機体の修理もその日に終わって、エディルネから帝都まで今度は何事もなく到着した。飛行場には既に迎えが来ており、執事のフリッツ・ダナーが安堵した様子で待ち受けていた。御無事で何よりです――と彼が言ったのは、往路での機体の故障を案じてのことだった。この日は深夜だったこともあって、宮殿に寄らずに帰宅した。
新トルコ王国のことは気にかかったが、これ以上判断する材料もないので暫くは頭の片隅に置いておくことにした。
そうしていつしか季節は秋に移ろっていった。昼間の陽射しも穏やかになり、夏と比べようもないぐらい格段に過ごしやすい。この時期は外を歩くのも心地良い。風邪をお召しにならないように――と、ミクラス夫人が毎日のように注意を促した。夏に長期休暇を得て復職してからは、週に一度は必ず休みを取って身体を休めるように心掛けたためか、一日も欠勤することがなかった。
一方、帝国内はいつも通り穏やかだった。そんな日々の十月半ばのことだった。誰かが来訪してきて扉を叩いた。宰相室には私とオスヴァルト、それに秘書官が一人控えている。秘書官が返事をして扉を開けたところ、扉の前に立っていたのは第二皇女エリザベートだった。
秘書官は慌てて頭を下げ、オスヴァルトも私も椅子から立ち上がる。皇女がこの部屋を訪れるのは珍しいことだった。それも皇女マリではなく皇女エリザベートが。
「宰相殿。お仕事中に失礼致します。少々お話があるのですが、宜しいですか?」
皇女エリザベートは凛とした女性だった。政務に関しても興味があるようで質問をしたり、自分の意見をはっきりと述べたりする。皇帝の執務室で何度かそうしたやり取りを交わしたことがある。今回も何かそうした意見だろうか――そう思っていた。
「どうぞ。お呼びいただければ此方から参上しましたのに」
「私的な話ですので、私が此方に参上したほうが良いと思ったのです」
私的な話ということは、政務関係の話ではないのか。では一体何だろう――。皇女を見ると皇女はにこりと微笑みかける。私には何の心当たりも無かった。
皇女を奥にある客室へ案内し、座を勧める。こうしてお話するのは久しぶりですね――と皇女は穏やかな顔で言った。ちょうどそのとき、秘書官が茶を持って来てくれた。皇女は礼を述べ、そして秘書官が完全に立ち去ってから切り出した。
「実は妹の件で此方に参りました」