新世界
本部への連絡はカサル大佐が取ってくれたのだろう。俺は葬儀までの記憶が殆ど無い。憶えているのは、フェイとアンドリオティス長官が揃ってやって来たことだけだった。二人が何か言っていたが、何を言ったのかも憶えていない。
朧気に記憶があるのは葬儀の途中からのことで、いつのまにか俺は軍服から喪服に着替えていた。
葬儀には多数の参列者が居た。オスヴァルトをはじめ、海軍部のヘルダーリン卿や陸軍部のウールマン大将、トニトゥルス隊のカサル大佐、彼等以外にも陸軍部の将官達、帝国だけではなく、フェイやアンドリオティス長官の他、連邦軍や共和国軍の関係者も多数やって来て、二人の棺の前で祈りを捧げた。
同日、二人の棺はロートリンゲン家の墓所に埋葬された。
それらの記憶が全て断片的で、まるで自分が別の場所で、何かを媒体にその光景を見ているようだった。
全身の力が入らない。やらなければならないことは沢山列挙出来るのに、身体が動かない。
……それに、動いたところで、俺は結局何も出来ない。
二人の死は俺が招いたのと同じだ。ルディもヴァロワ卿も、俺がきちんと状況を理解していれば、免れたことだ。
あと四日早ければ、ルディは死なずに済んだ。俺がルディの置かれた状況を軽視して、そして詰まらない意地を張ったのが原因だ。
ルディを失ったのは俺の責任だ。
そしてヴァロワ卿のことも――。
俺が周囲を確認していれば、ヴァロワ卿は俺の身代わりになって撃たれることは無かった。利き腕を使えない状態にしたのは俺だ。万全の状態であれば、ヴァロワ卿はフォン・シェリング大将の銃弾に倒れることもなかった。
全て俺の責任だ――。
「ハインリヒ様。失礼致します。フェイ・ロン様がお見えです」
ミクラス夫人が扉を開け、フェイを招き入れる。フェイは徐に此方に歩み寄って来た。
「この三日間、殆ど飲まず喰わずの状態らしいな。ロイ。睡眠も取っていないと……」
フェイは俺の側までやって来る。明日には仕事に戻る――と言葉を紡ごうにも、口からは息だけが漏れ、その息と共に言葉を発する力も削げていく。脱力感と無力感が全身を犇めいていて、何も出来ない。
「……ミクラス夫人が心配していた。医師に相談しているところだと言っていたが……」
三日――、先刻、フェイはこの三日間と言っていた。もう三日が経つのか。
もう平生の生活に戻らなければ――と何度も思った。しかし立ち上がろうとしても、酷い脱力感に襲われて立ち上がれない。
自分があまりに無力であったことを思い知らされて――。そして、どうしなければならなかったのか省みるたび、自分を責めることしか出来ない。考えれば考えるほど、死ぬべきだったのは俺の方だったのだと思えてならない。
「ロイ、これはお前自身の問題だろう。声が出ないことも、気力を無くしていることも、お前が自分自身の力で奮い立たなければならないことだ」
不意に部屋の扉が叩かれる。ミクラス夫人が盆を手に入室する。夫人はフェイと俺の前に珈琲と菓子を置いた。
「ハインリヒ様。少しでも召し上がって下さいね」
俺に優しくそう言ってから、夫人は部屋を去っていく。ミクラス夫人もルディの死をまだ悲しんでいるだろうに、気丈に振る舞っていた。
ミクラス夫人は部屋に篭もったままの俺の許に何度もやって来た。何も話さない俺に話しかけ、今と同じように食事を摂ることを促して――。
ああ――。
俺はまた一人で甘えていたのだろうか。
「宰相とヴァロワ大将を一度に失って悲しむ気持も解る。……だがロイ、悲しんでばかりもいられないんだ。一日一日とこの帝国は変わりつつあるのだからな」
フェイは俺を見て、お前の力を借りたい――と言った。
「連日、皇帝への取り調べが行われているが、皇帝は全ての罪を宰相とヴァロワ大将に転嫁しようとしている」
皇帝が――。
今度は法廷の場で足掻くつもりなのか。
死んだ二人に全ての罪を着せて――。
「侵略を企図したのは皇太子に命じた宰相で、作戦実行したのはヴァロワ大将とフォン・シェリング大将だとな。それを聞いたアンドリオティス長官が酷い剣幕で怒ったらしいが……」
両手が震えた。
何処までも、何処までも――。
「ヴァロワ大将の居ない今、連合国軍と帝国を結びつける役割を果たせるのはお前だけだ。……それにお前には解っていることだから、俺が言うことでもないだろうが……、宰相もヴァロワ大将もお前に希望を託していた筈だ。だから……」
ヴァロワ卿は――。
俺に、頑張れと言った。確かに、そう言った。
「ロイ、本部で待っているぞ」
フェイは珈琲を飲んでから、立ち上がる。扉の方に向かって歩いて行く。
「……フェイ」
息を吸い込み、腹に力をいれて漸く出した声は掠れていた。それでもその微かな声はフェイに届いたようで、フェイは振り返った。
「明日には仕事に戻る」
そう告げると、フェイは微笑んで頷き、待っているともう一度言ってから、部屋を去っていった。
ルディとヴァロワ卿に罪を着せられてなるものか。あの二人は帝国のために一身を捧げたのだから――。称賛されこそすれ、汚名を着せられるいわれは無い。
それは俺に出来るたったひとつのことだ。ルディとヴァロワ卿の名誉を守ること――それが二人へのせめてもの償いだ――。
そして俺は、ルディに託されたこの家を守る役目もある――。
「……ミクラス夫人」
フェイが去った後、カップを下げに来たミクラス夫人に呼び掛ける。夫人は眼を見開いて、お声が出るようになったのですね――と言った。
「心配をかけた……」
「フェルディナント様に続きヴァロワ様まであのようなことになり、無理も無いことです……。でも少し安心致しました」
ミクラス夫人はその眼にうっすらと涙を浮かべた。
「お食事、少しでも召し上がっていただけますか……?」
「ああ。下で食べるから、準備を頼む」
この日の夜、ルディの部屋に足を踏み入れた。ルディが眠っていたベッドは綺麗に整えられていた。
机の上には何も無い。ルディは一日の終わりには必ず机の上を片付けていた。俺はいつもペンを出したまま、本も開いたままだったから、母からよく注意されていた。
此処に佇んでいると、様々なことが思い出される。
俺は子供の頃から、一日に何度もルディの部屋に赴いた。ルディの部屋のバルコニーからは外がよく見えるし、窓も俺の部屋より大きい。子供の頃はそれが羨ましくて、ルディのこの部屋でいつも遊んでいた。勉強もよく教わった。ルディが机に着く傍らに椅子を置いて――。
机の側にある、あの頃と変わらない椅子に腰掛けてみる。ルディが側に居るような気がした。
「ごめん……、ルディ」
きっと、今の俺の情けない姿を見たら、ルディは怒るだろう――そんな気がする。ルディだけではなく、ヴァロワ卿も。
二人が残した仕事がある。俺にはあの二人ほどの力量は無いが、出来る限りのことをしなくては――。
そして二人の汚名を晴らさなければ――。
心地良い風がさわさわと流れていく。
その風に乗って、花の香りが漂う。この一年、この二つの墓前から花が絶えたことは無い。