新世界
軍服の襟を正し、カサル大佐と共に広場に下りていく。ざわめく声が耳に入る。いよいよ戦争か、帝国は本当に勝てるのか――と囁く声が聞こえてくる。
それも私が彼等の前に立つ迄の間のことだった。ずらりと立ち並ぶ兵士達は一斉に静まりかえり、敬礼する。
「既に聞き知っている者も多いだろう。ザグレブ支部が陥落した。連合国軍はこのままこのザルツブルク支部を通り、帝都に侵攻するだろう」
ざわりと兵士達が互いに顔を見合わせる。ついに俺達も戦地に乗り込むのか――と言葉を交わし合う兵士達に、カサル大佐が静粛にと厳しく言い放つ
「連合国軍の兵力は我が国の兵力を凌ぐ勢いだ。白兵戦では兵士の数が物を言う。単純に比較しても、我が軍は既に相当の兵員を失っていて、連合国軍の半数といったところだ。私としてはこれ以上、無益な血を流したくない。そう考え、長官に降伏を申し出たところ、却下された。長官ならびに皇帝陛下に停戦の意志は無い」
此処まで話したところで動揺が走ってざわめきが一層強くなり、カサル大佐が再び静粛にと声を上げる。
無理も無いことだ。負けると解っている戦争で、前線に立たなければならないということは、上官に死ねと告げられたのと同義なのだから。
フォン・シェリング大将も他の将官達も、そして皇帝もそのことを解っていないのだろう。
「君達を集めたのは、今もなお戦場で戦っている者達を救出に向かってもらいたいからだ。このザルツブルク支部に集合するように伝えてほしい。怪我をしている者も此方に連れて来てくれ。物資は充分に持って来てある」
言ってしまえば簡単なことのようだが、既に統制を失い、隊ではなく個々で戦っている兵士達を再度集結させるのは容易なことではない。通信手段を使えば本部に漏れてしまうから、それも出来ない。可能な限り、最終的な段階まで本部に此方のことは知られたくない。
「よって、この場での除隊を特別に許可する。除隊希望者は速やかに申し出て、今着用している制服を脱ぎ武器を返還したうえで、非戦闘地域へ避難するように。それは決して恥じることではない。私自身、それが懸命な手段だと思っている」
こんなことがフォン・シェリング大将に知れたら、即刻撃ち殺されているだろうな――と思う。先程、カサル大佐とその部下達がこの支部の周辺を彷徨いていた男五人を捕らえた。フォン・シェリング大将からの命令を受けた者達に違いなく、当分の間、取調室に滞在してもらうことにした。
ざわめく兵士達を見遣り、話を再開させる。
「それでもなお、この帝国のために戦おうというのなら、決して命を粗末にしないでほしい。連合国軍に囲まれたら投降をするように――。連合国軍は非人道的な扱いはしない。武器を捨て投降の意志を示したら、命まで奪いはしない。連合国軍の指示に従ってくれ。そして戦後にこそ君達の力を借りたい」
しんと辺りが静まりかえる。敵と遭遇したら投降しろ――と告げる上官は私ぐらいのものだろう。……否、もしかしたらウールマン大将もそう言ったかもしれない。
「大将閣下はどうなさるのですか……?」
最前列に立っていた中佐の男が問い掛けてきた。まだ若い男だった。
「私もこのあと、戦地に向かう。これ以上の犠牲を出さぬよう、前線の兵士達に投降を呼び掛けるつもりだ」
「ですが大将閣下……。それでは閣下のお立場が……」
「無論、これは帝国への裏切り行為と見なされるだろう。私は責任を取る覚悟を決めている」
「大将閣下……」
「私からの話は以上だ。今より一時間の間に、各人、身の振り方を決めるように。一時間後、此処に残った者達を小部隊に編成し直し、出立する」
カサル大佐が解散を告げる。兵士達はまだこの場に留まっていた。一時間の間、上の司令室で大まかに部隊を編成しておくか――そう考えていたところ、カサル大佐が側に歩み寄って敬礼して言った。
「閣下。私は最後まで閣下とお伴します」
「裏切り者の烙印を押されるぞ」
「上層部の意のままに命を散らせるより、自分の意志で閣下にお伴します」
カサル大佐の決意は固いようだった。そればかりかトニトゥルス隊のティツィアーノ・トーニ中佐、ヴァルター・シュトライト少佐までが彼と同じことを表明しにやって来た。
そして一時間後、驚いたことに、除隊を申し出た者は皆無だった。驚く私に、全員が上層部のやり方に反対していたのですよ――とカサル大佐は言った。
こんなにも上層部への反感が強かったのなら、帝国内部で彼等の力を使い、戦争を止めることが出来たのかもしれないと、ふと思う。勿論、そのような事態になれば、彼等の生命が脅かされただろう。おそらく今以上に。それを考えると、やはりそれは不可能だったのだと思わざるを得ない。
負けながらにして、犠牲を減らす一番の策は投降しかない――。
自分自身に言い聞かせて、今一度部隊の編成表を見直す。除隊する者が居ないのだから、編成の必要も殆ど無かった。
「閣下」
全ての準備を整えたその時、カサル大佐が此方を見て笑みを浮かべて言った。
「この戦争が終結したら、閣下にはもう一度、長官に返り咲いて頂きたいものです。閣下こそ長官に相応しい方だと私は思います」
すると、側に居たトニトゥルス隊の隊員達が次々と彼の言葉に賛同する。トニトゥルス隊ばかりか、支部に集められた若い軍曹の一人が同感です、と此方を見てから言った。
「閣下が長官でいらしたら、この戦争は起こらなかったでしょう」
その言葉に賛同するように、全員が口々に賛同の意を表する。声は次第に大きくなっていく。
「ヴァロワ長官に敬礼」
カサル大佐の声が朗々と響き渡る。その声に応じて、全員が敬礼をする。私に向けて。
「ありがとう。束の間で良い。この私に力を貸してほしい」
敬礼を返し、この場の全員を見渡す。
そして出立となった。
帝国軍は総崩れで、統制が取れていない。指揮をすべき将官や佐官達のなかには、早々に帝都に逃げ帰った者も居る。取り残された部隊は連合国軍に投降している者も居るが、帝国のためにを標榜して命を賭けて戦っている者も居る。
「無駄死にをするな! 退け!」
前線に出て、連合国軍と刃を合わせながら、残存部隊を下がらせる。銃弾の雨が降り注ぎ、その間隙を縫って、剣が襲いかかる。それを薙ぎ払い、兵士達に一時撤退するよう声をかける。兵士達は此方の階級章を見れば納得して撤退を始める。
兵士達をザルツブルク支部に誘導するようには告げてある。そしてもし誘導の途中で連合国軍と遭遇したら、すぐに投降するようにとも言っておいた。
カサル大佐と私は戦場を駆けていた。流れ弾が当たりそうになる危ういことも何度かあった。それでも何とか残存兵を取りまとめて、三日後にはザルツブルク支部に集結させることが出来た。
「ヴァロワ大将閣下だって? 長官が此処に来たのか」
「もう長官じゃないんじゃなかったか?」
「本部のお偉いさんまでがこんなところに来たということは、もう帝国は負けるんだな」
支部で私の前に立ち並んだ兵士達は口々に語り合う。帝国は負ける――と誰もが話していた。
戦場を見れば勝敗は明らかだ。解っていないのは本部の将官達だけだ――。