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新世界

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 午後からの作業も朝の作業の続きだった。皆、てきぱきとやり遂げる。昼の作業を終えた者達はそれぞれの房へと戻っていく。それに対し、私はいつまで経っても終わることが出来なかった。刑吏官達が監視するなか、私はずっと作業を続けた。この日に課せられた作業を終えることが出来たのは、午後九時を過ぎてからのことだった。当然のように夕食も与えられず、私自身も慣れない作業に疲れ果て、房に戻るなりブランケットに包まって横たわった。


 酷い寒気に襲われて眼が覚めた。発熱したとすぐに解った。身体の震えが止まらない。だが、ブランケットは一枚しかない。何か代わりになるようなものを探しても、この独居房には何も無い。
 床に身を横たえていると下からじわじわと冷たさが感じられて、堪らず起き上がる。座ったままブランケットを被った。熱のせいで頭痛がする。左肩の傷まで疼く。
 今は何時だろうか――。此処には時計すら無いうえに、窓も無いから光も射さない。アラン達はまだ眠っているから、真夜中なのだろうか。
 寒い――。
 眠ることが出来ない。

 このまま死んでしまうのだろうか――。
 傍とそんなことを考えてしまう。この牢の状況を鑑みるに、体調を悪化させても薬を貰うことは出来ないだろう。作業を務めなければ、食事すら与えてもらえないのだから、こんなに劣悪な環境は無い。
 このアクィナス刑務所を指定したということは、皇帝はそのことも知っていたのだろう。誰から聞き知っていたのか――。
 私は此処まで劣悪な刑務所だとは知らなかった。ということは――。
 フォン・シェリング大将か。私は彼の罠に嵌ったということか。
 考えてみれば、このアクィナス刑務所があるテルニの町に、嘗てフォン・シェリング大将が指揮していた部署がある。彼なら、この刑務所のことをよく知っている筈だ。

 ああ、そうか。だから――。
 皇帝がアクィナス刑務所を指定した時、ハイゼンベルク卿が声を挙げたのだろう。司法省の彼もまたこの刑務所の実態を知っている筈だから。

 寒い――。
 頭痛に加えて咳が出始める。その音が五月蠅いのか、隣のアランが寝返りを打つ。少しでも音が響かないようにブランケットで口を押さえる。少し埃っぽくて、そのせいで酷く咳き込んだ。
「五月蠅い」
 何処からかそんな声が聞こえて来る。早く朝にならないだろうか――懸命に咳を堪えながら、朝を待った。


 朝のベルが鳴り響いたのは、どのぐらい経ってからだろうか――。
 皆がぞろぞろと起き始めているというのに、私はブランケットの中から抜け出せなかった。寒くてどうしようもない。
「ルディ。そろそろ起きておかないと看守がやって来るぞ」
 返事をしたくとも声が出ない。震えで歯ががたがたと音を鳴らしていた。
「ルディ?」
「点呼を行う。全員、牢の前に立て!」
 看守の声が響き渡る。立たなくてはならないのに、立ち上がれない。ルディ、とアランが促しているのが解った。解ったが、身体が言うことを利かない。
「5163番!何をしている!」
 未だ片隅に蹲ったままの私を見咎めて、看守が近付いて来る。牢の前までやって来て、立て、と言った。
 立てない。そう言いたくとも、声も出ない。
「反抗的な態度に出ると、刑期を延ばすぞ!」
 早く立て――と、看守が銃口を此方に向ける。
 此処で撃たれて終わりか。此処で体調を崩して苦しい状態を続けるぐらいなら――。
 いっそこのまま撃たれて死んだ方が楽かもしれない。

 蹲ったまま眼を閉じた。
 銃声と同時に私の命は絶えるだろう。
 もう良い。為すべきことはやったのだから――。

「待てよ。具合が悪いみたいだぞ」
「5150番! お前は静かにしろ! 5163番、早く立て!」
 アランと看守の声が聞こえる。
「具合が悪い奴は放っておけよ」
「そうだそうだ。時間の無駄だ」
「静かにしろ!」
 囚人達と看守の声が行き交う。程無くして、鍵を開ける音が聞こえた。足音が近付いて来る。被っていたブランケットが強引にはぎ取られる。
 寒い――。
「5163番、立て。この刑務所では作業を終えない限り、休息は与えない規則となっている」
「その状態じゃ立てないだろう。あんたが抱えてやらない限りな」
「5150番! 口を慎め!」
 看守に腕を掴まれた時、再び咳き込んだ。そういえば昨晩中、ずっと咳が聞こえていたぞ――と誰かが言う。俺も聞こえた、と誰かが同調する。
 あまりに酷く咳き込んだせいか、看守の手が放れた。鍵の音ががちゃんと聞こえる。看守が出て行ったのか。
 やがてぞろぞろと足音が遠退くのが解った。それから激しい頭痛に襲われて、私はいつしか意識を失っていたようだった。

「ルディ」
 呼び掛けられて気付いた時、隣の独居房にアランが戻っていた。大丈夫か、と私を見て問い掛ける。
「此処は作業をしないと食事も貰えない。具合が悪くても作業は免除されないから、自分で気を付けないと……」
 いつのまにか床に横たわっていた私を心配そうに見つめながら、アランは言った。
「独居房には食べ物も持ち込めない。パンくらい持ち帰ってやりたかったが、刑吏官の眼も厳しいからな。明日は身体を引きずってでも起きなくては駄目だぞ」
 どんなに不味くても食事を摂らないと身体が持たない――アランは諭すように告げる。
「アランの言う通りだ。這ってでも作業に行かないと、酷い目に遭う。具合が悪いといって作業に行かなくなった囚人が前にも居たが、看守によって銃殺されたこともあるんだ」
「ジル。初めて聞く話だぞ、それは」
「聞いて楽しい話でも無いだろう。俺だって思い出したくも無い。看守の奴等、俺達への見せしめだと言って殺しやがったんだからな」
「……死に……たい……」
 いっそのことそうして殺してほしい。どれだけ楽か――。
 絞り出すようにして何とか出た声で紡いだ言葉がそれだった。死にたい。殺してほしい。
 楽になりたい――。

「……捕虜を逃がして皇帝に進言したというから少しは骨のある奴かと思ったが、見損なった」
 アランが厳しい口調で言う。こんな奴に助言しても無駄だな――そう吐き捨てるように言って、私から眼を逸らした。
「生きたくても生きられない人間も居るっていうのに、自ら死を望むような人間は俺は好かん」
 アランの言葉は厳しくて、だが何かを思い出させるような言葉だった。


 レオンを共和国に送り届けたら、自分の身はどうなっても構わない。
 私はそう覚悟していた。覚悟していたことではないか。

 私は死を覚悟していた。
 処刑による死を。
 どのような刑を科せられても構わないと思っていた。だがきっと私は処刑となることにだけ覚悟を決めていたのだろう。
 覚悟が甘かったのか――。

『お前は死にたいのか、フェルディナント。そんな子供は要らない』

 父の言葉が蘇る。子供の頃、そうした言葉を何度か言われた。
 何歳の頃だったか――、風邪をこじらせて肺炎に罹り、絶対安静を告げられていた時期があった。酸素マスクを装着されていたため、部屋を出るどころか、ベッドから降りることすらも制限された。
作品名:新世界 作家名:常磐