果てなき空
ある夏の日。続くのは、どこまでも青い空だった。
一点の白もないその青は、迷惑極まりない熱を一行にもたらしている。そのおかげで、並んで歩く五人の男女は本来あるべき旅人というものよりも、道に迷った旅行者といった風に見えていた。世間知らずの若い者だと言って指を刺されて笑われそうな風体と、軽めの荷物は長旅を連想させない。
空調整備の整った交通機関というものがまったく発達していない国にいるのだから、この状態に文句をつけるわけにはいかない。それでもこの有様はひどいものだと誰もが思うだろう。
一行が目指すは、その国の首都。その道中の街に立ち寄るため、農道だとかあぜ道だとか言うような少々荒れた道を歩いている。だが、見渡す限りに広がっているのは畑でも田園でもなく、ただの草むらだった。きれいな緑で背の高い草は、風が吹くときれいかもしれない。
ひとつの国の中にいるとはいえその街によっての特色はさまざまで、少しだけ機械技術が入っている国もあれば、民家が五軒しかないような――村もあった。街から街への移動手段は徒歩しかなく、日によっては牛の引く荷車に乗ったこともあったが、そういったことのほうが珍しい。
「……うあー、あちー……」
照らす太陽は、ギラギラと言うのがふさわしいか。
汗で頬にべたつく、くすんだ金色の髪をはらいもしないで、先頭を歩く倭がイライラとした声で嘆いた。やる気を失いだらりと曲がる猫背は、先頭を歩く者として見ていて気分のいいものではない。
椿は後ろから、荷物を担いだその背中を睨みつけながら、倭のブーツの踵を蹴りつけた。
「っんだよ!」
「梨佐が頑張ってるんだから頑張れよ。男だろう」
つんのめって転びそうになった倭が、歩きながら器用に体勢を立て直す。椿はそれを見下したみたいに眺めながら、ふんぞり返って言ってやる。蹴られた当の本人の眉間にしわが増えるのがすぐにわかった。よたよたと、後ろ歩きに歩いている。
「てめっ……、いってえな! 誰でも暑いのは変わらねーっつの……!」
「みんな一緒なんだからまともにやれ。お前を見ていると暑苦しくなるんだよ、うっとおしいな」
椿は荷物を括りつけている大きめのキャリーを引きながら、後ろ向きに歩く倭を睨みつけた。肩より少し長い紺碧の髪はゴムを借りて縛っているので、その点は快適だった。汗でべたつく首まわりには、それがないだけでずいぶんとストレスが違ってくる。
「うるっさいですね……黙って歩いてくださいよ……」
椿の隣で薄いポンチョのフードを目深にかぶっているのは姫咲だ。元々体力がなく、日光に強くない体質のせいか表情に生気がない。真っ白な肌は紫外線のせいでほんのりと赤く、今はよく見えないが左右で色が違う瞳は、これでもかという不機嫌さを滲ませているようだった。
「まだまだ元気やなぁ……りぃ、疲れたら言いよ?」
「ありがと、緋桜……。椿、イライラしてんね」
「暑さに弱いタイプやってんな……」
椿の薄いストールを日よけに借りている梨佐が、緋桜の言葉に申し訳なさそうに苦笑する。辛そうな表情だ―――この中で、女の子は梨佐だけ。気遣って当然である。
彼女に続く緋桜も、いつもは不必要なほど露出している衣装を控えて、ピンク色の頭も覆う羽織を着ている。あまりにひどく照らしつける太陽の紫外線から身を守るためだ。多少の暑さは我慢しなければ、あとあと痛い目を見る羽目になる。
「頑張れ。もう、そう遠くはないはずだ」
椿、倭、姫咲、梨佐、緋桜。理由あって旅路を共にする仲間だ。理由はそれぞれにあるけれど、今はそれを語る場ではない。
「だぁーっ、もう、暑い!」
「黙って歩け!」
そう、それは夏の日のこと。倭の背中を蹴飛ばした椿は、青い空を見上げてため息をついた。
+ + + + +
日も暮れかけた食事時。夏のせいで日が長く、まだ空には青さが残っている。にじむ橙が沈む夕日を彩っていた。
一行も街中の家族たちに漏れず、野外ではあるが食卓を囲んでいる。少々街を外れた場所、五人はビニール製の敷物の上に円を成して座っている。それぞれの目の前には野菜炒め、白一色ではないご飯、汁物、キャベツ一色のサラダ。
椿は野菜炒めをほおばり、もぐもぐと口を動かしながら、小さな世界の仕組みについて考えていた。
どうしてこいつらはこんなにも気ままに生きられるんだろう。椿はそう重いながら、口の中のものを飲み込んで箸を置いた。
「……あのな」
原因は、先程から―――いや、食卓を囲んだ瞬間から繰り広げられている口論にあった。食事中くらい静かにしたらどうなんだ、という言葉もすぐにかき消される。なんとも元気のいいことだ。
「ばっきんも怒ったってぇや! 姫さんがまた、またおれの皿に得体の知れん紫入れよってんけど!」
椿がチラと視線をやると、正面の緋桜が皿とフォークを片手に息巻いて絡んでくる。寄せた眉間のしわは、その年代の男の中ではダントツで美人の部類に入る容貌が台無しになるほどだ。加えて口を大きく開けて吠える。言葉遣いの汚さもそれとのギャップがありすぎて―――今は慣れたが、もう少しはどうにかならないかと思う。
対する姫咲はしてやったり、と満面の腹黒い笑みを浮かべていた。鼻歌でも歌いだしそうな表情である。
「ナスですよ、ナス。いい加減に覚えたらどうなんです。好き嫌いはよくないですよ、ねえ椿くん?」
よくあることではあった。
毎日のように自炊をしながら旅をしている中で、誰の好物がなんだの、嫌いなのはなんだのといった論争が毎日のように巻き起こる。料理当番を引き受けている者にとっては、覚えていれば誰かの機嫌を取るにも損ねるにも効果的な技だ。
特に最近は、メインで調理を任されている緋桜と姫咲の間で、ナスとピーマンに関する議題がもっとも熱かった。当番がやってくるたびに相手の嫌いな食べ物を入れ、やられたら仕返し、仕返したらまたやられる、という悪循環を繰り返している。学習しないというわけではない。たぶん、おそらく、ただの遊びの一環なのだろうと椿は推察していた。
だが、嫌がらせで遊ぶな、そして他の者を巻き込むな―――そう言ってやりたいのは山々である。けれどそれを聞かないのは目に見えているから、なかなか止めることができずにいるのだった。
「姫さんこそ、ピーマン嫌いやないけ!なんでおれにばっかナス食わそうとすんねん!」
「ピーマンは違います。食べ物じゃないですあれは」
言い合いながら、腹を立てながら、どこか楽しそうなのが止められない理由でもあるかもしれない。
「そんなんナスのがヤバイやろ。明らかおかしい色しとるやん。料理した後に浮き出てくる、あのツブツブとか…どう考えても明らかーに食えへん物質やんけ」
―――でもやはり内容がくだらなさすぎて、止める気が起きないだけかもしれない。ああ、それだきっと。
「食べられますよ。僕、ちゃんと料理してるじゃないですか」
「ちゃうねんて! 料理自体したあかん言うてんの!」
食材を料理して何が悪い。好き嫌いを直せ、好き嫌いを。
「お前らさあ、いい加減にしろよ。せっかくうまいメシ食ってんだから、黙って食えって。ナスなんて椿にやっちまえ!」
一点の白もないその青は、迷惑極まりない熱を一行にもたらしている。そのおかげで、並んで歩く五人の男女は本来あるべき旅人というものよりも、道に迷った旅行者といった風に見えていた。世間知らずの若い者だと言って指を刺されて笑われそうな風体と、軽めの荷物は長旅を連想させない。
空調整備の整った交通機関というものがまったく発達していない国にいるのだから、この状態に文句をつけるわけにはいかない。それでもこの有様はひどいものだと誰もが思うだろう。
一行が目指すは、その国の首都。その道中の街に立ち寄るため、農道だとかあぜ道だとか言うような少々荒れた道を歩いている。だが、見渡す限りに広がっているのは畑でも田園でもなく、ただの草むらだった。きれいな緑で背の高い草は、風が吹くときれいかもしれない。
ひとつの国の中にいるとはいえその街によっての特色はさまざまで、少しだけ機械技術が入っている国もあれば、民家が五軒しかないような――村もあった。街から街への移動手段は徒歩しかなく、日によっては牛の引く荷車に乗ったこともあったが、そういったことのほうが珍しい。
「……うあー、あちー……」
照らす太陽は、ギラギラと言うのがふさわしいか。
汗で頬にべたつく、くすんだ金色の髪をはらいもしないで、先頭を歩く倭がイライラとした声で嘆いた。やる気を失いだらりと曲がる猫背は、先頭を歩く者として見ていて気分のいいものではない。
椿は後ろから、荷物を担いだその背中を睨みつけながら、倭のブーツの踵を蹴りつけた。
「っんだよ!」
「梨佐が頑張ってるんだから頑張れよ。男だろう」
つんのめって転びそうになった倭が、歩きながら器用に体勢を立て直す。椿はそれを見下したみたいに眺めながら、ふんぞり返って言ってやる。蹴られた当の本人の眉間にしわが増えるのがすぐにわかった。よたよたと、後ろ歩きに歩いている。
「てめっ……、いってえな! 誰でも暑いのは変わらねーっつの……!」
「みんな一緒なんだからまともにやれ。お前を見ていると暑苦しくなるんだよ、うっとおしいな」
椿は荷物を括りつけている大きめのキャリーを引きながら、後ろ向きに歩く倭を睨みつけた。肩より少し長い紺碧の髪はゴムを借りて縛っているので、その点は快適だった。汗でべたつく首まわりには、それがないだけでずいぶんとストレスが違ってくる。
「うるっさいですね……黙って歩いてくださいよ……」
椿の隣で薄いポンチョのフードを目深にかぶっているのは姫咲だ。元々体力がなく、日光に強くない体質のせいか表情に生気がない。真っ白な肌は紫外線のせいでほんのりと赤く、今はよく見えないが左右で色が違う瞳は、これでもかという不機嫌さを滲ませているようだった。
「まだまだ元気やなぁ……りぃ、疲れたら言いよ?」
「ありがと、緋桜……。椿、イライラしてんね」
「暑さに弱いタイプやってんな……」
椿の薄いストールを日よけに借りている梨佐が、緋桜の言葉に申し訳なさそうに苦笑する。辛そうな表情だ―――この中で、女の子は梨佐だけ。気遣って当然である。
彼女に続く緋桜も、いつもは不必要なほど露出している衣装を控えて、ピンク色の頭も覆う羽織を着ている。あまりにひどく照らしつける太陽の紫外線から身を守るためだ。多少の暑さは我慢しなければ、あとあと痛い目を見る羽目になる。
「頑張れ。もう、そう遠くはないはずだ」
椿、倭、姫咲、梨佐、緋桜。理由あって旅路を共にする仲間だ。理由はそれぞれにあるけれど、今はそれを語る場ではない。
「だぁーっ、もう、暑い!」
「黙って歩け!」
そう、それは夏の日のこと。倭の背中を蹴飛ばした椿は、青い空を見上げてため息をついた。
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日も暮れかけた食事時。夏のせいで日が長く、まだ空には青さが残っている。にじむ橙が沈む夕日を彩っていた。
一行も街中の家族たちに漏れず、野外ではあるが食卓を囲んでいる。少々街を外れた場所、五人はビニール製の敷物の上に円を成して座っている。それぞれの目の前には野菜炒め、白一色ではないご飯、汁物、キャベツ一色のサラダ。
椿は野菜炒めをほおばり、もぐもぐと口を動かしながら、小さな世界の仕組みについて考えていた。
どうしてこいつらはこんなにも気ままに生きられるんだろう。椿はそう重いながら、口の中のものを飲み込んで箸を置いた。
「……あのな」
原因は、先程から―――いや、食卓を囲んだ瞬間から繰り広げられている口論にあった。食事中くらい静かにしたらどうなんだ、という言葉もすぐにかき消される。なんとも元気のいいことだ。
「ばっきんも怒ったってぇや! 姫さんがまた、またおれの皿に得体の知れん紫入れよってんけど!」
椿がチラと視線をやると、正面の緋桜が皿とフォークを片手に息巻いて絡んでくる。寄せた眉間のしわは、その年代の男の中ではダントツで美人の部類に入る容貌が台無しになるほどだ。加えて口を大きく開けて吠える。言葉遣いの汚さもそれとのギャップがありすぎて―――今は慣れたが、もう少しはどうにかならないかと思う。
対する姫咲はしてやったり、と満面の腹黒い笑みを浮かべていた。鼻歌でも歌いだしそうな表情である。
「ナスですよ、ナス。いい加減に覚えたらどうなんです。好き嫌いはよくないですよ、ねえ椿くん?」
よくあることではあった。
毎日のように自炊をしながら旅をしている中で、誰の好物がなんだの、嫌いなのはなんだのといった論争が毎日のように巻き起こる。料理当番を引き受けている者にとっては、覚えていれば誰かの機嫌を取るにも損ねるにも効果的な技だ。
特に最近は、メインで調理を任されている緋桜と姫咲の間で、ナスとピーマンに関する議題がもっとも熱かった。当番がやってくるたびに相手の嫌いな食べ物を入れ、やられたら仕返し、仕返したらまたやられる、という悪循環を繰り返している。学習しないというわけではない。たぶん、おそらく、ただの遊びの一環なのだろうと椿は推察していた。
だが、嫌がらせで遊ぶな、そして他の者を巻き込むな―――そう言ってやりたいのは山々である。けれどそれを聞かないのは目に見えているから、なかなか止めることができずにいるのだった。
「姫さんこそ、ピーマン嫌いやないけ!なんでおれにばっかナス食わそうとすんねん!」
「ピーマンは違います。食べ物じゃないですあれは」
言い合いながら、腹を立てながら、どこか楽しそうなのが止められない理由でもあるかもしれない。
「そんなんナスのがヤバイやろ。明らかおかしい色しとるやん。料理した後に浮き出てくる、あのツブツブとか…どう考えても明らかーに食えへん物質やんけ」
―――でもやはり内容がくだらなさすぎて、止める気が起きないだけかもしれない。ああ、それだきっと。
「食べられますよ。僕、ちゃんと料理してるじゃないですか」
「ちゃうねんて! 料理自体したあかん言うてんの!」
食材を料理して何が悪い。好き嫌いを直せ、好き嫌いを。
「お前らさあ、いい加減にしろよ。せっかくうまいメシ食ってんだから、黙って食えって。ナスなんて椿にやっちまえ!」