エリュシオン~紅玉の狂想曲
月のない夜だった。
空からの光は、星の輝きしかない。深く黒い闇が、ずっと遠くまで続いている。その中で頼れるものは、自分が持つランタンの炎だけだった。儚げに温かく、色は心を穏やかにさせる。
カシャ、カシャリと歩みつつ、少年はひとり、木々の立ち並ぶ林にいた。太い幹や石が転がっているせいで、視線は自然と下方へ向かう。
そのとき、なにかが、足元で煌きを放った。
「…………?」
少年は足を止める。
前に差し出した橙色が、転がる石ころとは違う色を地に映していた。好奇心が少年を引き寄せる。彼はそれをかがんで手にとり灯火にかざした。親指と人差し指で摘んだまま、くるりと回す。
不思議だと、思った。
「……きれい」
紅の、ガラス玉。
静寂だった。宵闇の中、物音はひとつとして、ない。この時間、誰も少年の存在には気が付かないだろう。
けれど、そこにはもうひとりいた。
少年の背後で影がわらい、身を翻す。それは木々の間から少年を返り見てから、くすくすと声を漏らした。そうして、歩き出す。闇色の場所に。
深く呼吸をする。なにかを抑えるような、小さい声がもれた。
紡ぐ言葉は、遊戯の唄。
「紅い、雫は、きみのため。紅い涙は、きみのため。苦しみ、哀しむ、きみの声、どこに繋がる……闇の中」
唄うように朗らかに。呪うようにささやかに。その目に色は映らない。
ただ、遊びながら種を蒔いて行くだけ。育てはしない。ただの観察。
楽しげな声と進む足取りは、弾むように軽い。
「フフ、……たぁのしみ」
+ + + + +
事の発端は、今から一ヶ月ほど前。
和泉梨佐(いずみ りさ)、17歳。人生二度目の受験生となった年の初秋。それは暑さも残る日だった。
――その夜、梨佐は退屈な高校生の一日を終え、静かに眠りについていた。
ごく普通、何かと言えば地味な女子高生だ。取り得、特技と合わせても、特筆すべきものはない。
高校生活、楽しいことだってそんなに多くあるわけじゃあない。変わらない毎日がずっと続いていく。これからも。
そう思っていた。
梨佐が次に目を覚ましたとき、そこはおかしな場所だった。確かにベッドにいたはずなのにその柔らかさはなく、視界の開けた先には木の根が覗く岩壁があったのだ。どう考えても明らかに自分の部屋ではない。
そしてそこにいたのが、片崎倭(かたさき やまと)と鈴堂椿(りんどう つばき)だった。パジャマ姿の梨佐を見て、焦った顔をしていたハイティーンの2人組である。最初のうち、口を開けばふたりは互いを貶し合って会話にもならなかった。
数分後、ようやく梨佐の混乱に気付いた椿が、無理やり倭との会話を終わらせて、事情を説明してくれたのだった。
梨佐は、彼らが魔術を使い『召喚』を行なった結果、この場所に現われた、らしい。
ふたりは『エリシュの民』と呼ばれる魔術使いの種族だった。外見は梨佐のような『人間』と、何ら変わりはないけれど、魔力というおかしな力を持ち、魔術を使うことができる。
符術と剣技とを織り交ぜた攻撃法を使う、剣魔法陣士(けんまほうじんし)の倭。そして、6属性の魔術を使いこなす、魔術師の椿。
彼らの本来の目的は、旅路に付き添う『賢者(人語を解す動物のようだ)』を召喚することだった。が、何故か失敗して梨佐を喚(よ)んでしまったのだと言う。
そして椿は、彼の魔力がそれに満たないため、梨佐を元いた世界に戻すことができないと断言した。けれど、彼らの旅の目的である『賢者の石を手に入れること』が達成できれば、その石の力によって魔力を強めることが可能になる。
そうすれば梨佐を帰すこともできるはず、ということだった。曖昧な答え方に不信はあったものの、それしかないと言われれば、何も知らない梨佐は従うしかなかった。
そうして梨佐は突然連れて来られた、見知らぬ世界で見知らぬ野郎どもと、訳もわからぬ旅をすることになったのだった。
これからの話は、賢者の石に関する文献を探しに、果南(かなん)国の首都・春逢(しゅんほう)へ向かう途中のこと。
一行は、椿の旧友で『クレオメ』と呼ばれる種族の少年、月宮緋桜(つきみや ひおう)と、人間ながら癒しの魔術を使いこなす、癒士の蜜音姫咲(みつね きさき)を旅の仲間に加えたばかりだった。
+ + + + +
深い黒の空に、黄金色の三日月が輝く。深い夜の帳には、細やかな装飾が施されたように、星が煌いていた。工業のない世界では、溜息の出るほど夜景が美しい。静かで暗くとも、頭上に広がるものに毎日でも心を奪われた。
中秋の頃、暑さ寒さもほとんど感じない。一行は春逢へ続く長い道程を辿りつづけていた。
今日も今日とて、もう何度目かの野宿である。慣れたもので、寝袋や調理器具などの召喚にも抵抗がなくなってきた。椿がさらさらと描いた符――ただの紙切れにしか見えない――に、倭が剣を突き立てると勝手に色々と現われるのだ。ある意味すばらしい技術である。
「はい完了!!」
召喚したものを戻し終えた倭が嬉しそうに、輪の中へ戻ってきた。物だとかの小さな召喚は、さほど魔力を使わないらしく、疲労の色は一切ない。椿と梨佐の間に腰を下ろして、拾ってきたらしい薪を少しだけ橙の炎に焼べる。
それを中心にぐるりと囲んだ5人の円が、家族の団欒を思わせた。こうして話している時間が、梨佐は好きだったりする。
「倭くんがエリシュの民の首長になるために、賢者の石を探してるんでしたね」
焼べられた薪をつつきながら、姫咲が口を開いた。銀色の髪がサラサラと揺れる。
「そういうこと。父さんの……首長の指令をカンペキにこなして帰れば、魔術師じゃあないオレにも、首長になる権利が与えられるってわけ」
「それって、長い旅なんでしょう?」
「……まぁ、そうだろうな」
梨佐の正面にいる椿が会話に加わる。状況を一番理解しているのは椿だ。計画性もあり、頼りになるひとで、彼なくしてはこの旅は成り立たない。
倭は無鉄砲で、梨佐は話にならず、言ってみればお荷物さんだ。椿がいなければ緋桜は共に来てはいないし、姫咲を同行させるための説得だってできなかったはずである。
「資料を探しに行くところからだし、ヒントなんてほとんどねーんだぜ?」
首長というのは世襲制ではない。エリシュの民のなかでも選り抜きの魔術師が、代々引き継いでいる職だ。ひとつの条件として、全8属性の魔術が使える魔術師、というものがある。
しかし、倭のように魔術師ではない者、属性が満たない者にもチャンスはある。現首長から出された指令をこなし、その功績を認められれば、次期首長の候補に入ることができるのだ。首長になることは、倭にとって幼い頃からの夢らしい。
実のところ、梨佐は『首長』を、民をまとめる偉い人、と言うことくらいしか知らなかった。今更過ぎて聞くに聞けないのである。
「ま、せやなぁ。賢者の石なんて、ホンマにあんのかも、ようわからへんねやろ? めっちゃ大変やんか」
緋桜が言葉とは裏腹に、楽しそうに笑った。派手で露出の多い服装も、今はカーキ色の羽織で隠れている。動くたびに、大きな円形のピアスが揺れた。
空からの光は、星の輝きしかない。深く黒い闇が、ずっと遠くまで続いている。その中で頼れるものは、自分が持つランタンの炎だけだった。儚げに温かく、色は心を穏やかにさせる。
カシャ、カシャリと歩みつつ、少年はひとり、木々の立ち並ぶ林にいた。太い幹や石が転がっているせいで、視線は自然と下方へ向かう。
そのとき、なにかが、足元で煌きを放った。
「…………?」
少年は足を止める。
前に差し出した橙色が、転がる石ころとは違う色を地に映していた。好奇心が少年を引き寄せる。彼はそれをかがんで手にとり灯火にかざした。親指と人差し指で摘んだまま、くるりと回す。
不思議だと、思った。
「……きれい」
紅の、ガラス玉。
静寂だった。宵闇の中、物音はひとつとして、ない。この時間、誰も少年の存在には気が付かないだろう。
けれど、そこにはもうひとりいた。
少年の背後で影がわらい、身を翻す。それは木々の間から少年を返り見てから、くすくすと声を漏らした。そうして、歩き出す。闇色の場所に。
深く呼吸をする。なにかを抑えるような、小さい声がもれた。
紡ぐ言葉は、遊戯の唄。
「紅い、雫は、きみのため。紅い涙は、きみのため。苦しみ、哀しむ、きみの声、どこに繋がる……闇の中」
唄うように朗らかに。呪うようにささやかに。その目に色は映らない。
ただ、遊びながら種を蒔いて行くだけ。育てはしない。ただの観察。
楽しげな声と進む足取りは、弾むように軽い。
「フフ、……たぁのしみ」
+ + + + +
事の発端は、今から一ヶ月ほど前。
和泉梨佐(いずみ りさ)、17歳。人生二度目の受験生となった年の初秋。それは暑さも残る日だった。
――その夜、梨佐は退屈な高校生の一日を終え、静かに眠りについていた。
ごく普通、何かと言えば地味な女子高生だ。取り得、特技と合わせても、特筆すべきものはない。
高校生活、楽しいことだってそんなに多くあるわけじゃあない。変わらない毎日がずっと続いていく。これからも。
そう思っていた。
梨佐が次に目を覚ましたとき、そこはおかしな場所だった。確かにベッドにいたはずなのにその柔らかさはなく、視界の開けた先には木の根が覗く岩壁があったのだ。どう考えても明らかに自分の部屋ではない。
そしてそこにいたのが、片崎倭(かたさき やまと)と鈴堂椿(りんどう つばき)だった。パジャマ姿の梨佐を見て、焦った顔をしていたハイティーンの2人組である。最初のうち、口を開けばふたりは互いを貶し合って会話にもならなかった。
数分後、ようやく梨佐の混乱に気付いた椿が、無理やり倭との会話を終わらせて、事情を説明してくれたのだった。
梨佐は、彼らが魔術を使い『召喚』を行なった結果、この場所に現われた、らしい。
ふたりは『エリシュの民』と呼ばれる魔術使いの種族だった。外見は梨佐のような『人間』と、何ら変わりはないけれど、魔力というおかしな力を持ち、魔術を使うことができる。
符術と剣技とを織り交ぜた攻撃法を使う、剣魔法陣士(けんまほうじんし)の倭。そして、6属性の魔術を使いこなす、魔術師の椿。
彼らの本来の目的は、旅路に付き添う『賢者(人語を解す動物のようだ)』を召喚することだった。が、何故か失敗して梨佐を喚(よ)んでしまったのだと言う。
そして椿は、彼の魔力がそれに満たないため、梨佐を元いた世界に戻すことができないと断言した。けれど、彼らの旅の目的である『賢者の石を手に入れること』が達成できれば、その石の力によって魔力を強めることが可能になる。
そうすれば梨佐を帰すこともできるはず、ということだった。曖昧な答え方に不信はあったものの、それしかないと言われれば、何も知らない梨佐は従うしかなかった。
そうして梨佐は突然連れて来られた、見知らぬ世界で見知らぬ野郎どもと、訳もわからぬ旅をすることになったのだった。
これからの話は、賢者の石に関する文献を探しに、果南(かなん)国の首都・春逢(しゅんほう)へ向かう途中のこと。
一行は、椿の旧友で『クレオメ』と呼ばれる種族の少年、月宮緋桜(つきみや ひおう)と、人間ながら癒しの魔術を使いこなす、癒士の蜜音姫咲(みつね きさき)を旅の仲間に加えたばかりだった。
+ + + + +
深い黒の空に、黄金色の三日月が輝く。深い夜の帳には、細やかな装飾が施されたように、星が煌いていた。工業のない世界では、溜息の出るほど夜景が美しい。静かで暗くとも、頭上に広がるものに毎日でも心を奪われた。
中秋の頃、暑さ寒さもほとんど感じない。一行は春逢へ続く長い道程を辿りつづけていた。
今日も今日とて、もう何度目かの野宿である。慣れたもので、寝袋や調理器具などの召喚にも抵抗がなくなってきた。椿がさらさらと描いた符――ただの紙切れにしか見えない――に、倭が剣を突き立てると勝手に色々と現われるのだ。ある意味すばらしい技術である。
「はい完了!!」
召喚したものを戻し終えた倭が嬉しそうに、輪の中へ戻ってきた。物だとかの小さな召喚は、さほど魔力を使わないらしく、疲労の色は一切ない。椿と梨佐の間に腰を下ろして、拾ってきたらしい薪を少しだけ橙の炎に焼べる。
それを中心にぐるりと囲んだ5人の円が、家族の団欒を思わせた。こうして話している時間が、梨佐は好きだったりする。
「倭くんがエリシュの民の首長になるために、賢者の石を探してるんでしたね」
焼べられた薪をつつきながら、姫咲が口を開いた。銀色の髪がサラサラと揺れる。
「そういうこと。父さんの……首長の指令をカンペキにこなして帰れば、魔術師じゃあないオレにも、首長になる権利が与えられるってわけ」
「それって、長い旅なんでしょう?」
「……まぁ、そうだろうな」
梨佐の正面にいる椿が会話に加わる。状況を一番理解しているのは椿だ。計画性もあり、頼りになるひとで、彼なくしてはこの旅は成り立たない。
倭は無鉄砲で、梨佐は話にならず、言ってみればお荷物さんだ。椿がいなければ緋桜は共に来てはいないし、姫咲を同行させるための説得だってできなかったはずである。
「資料を探しに行くところからだし、ヒントなんてほとんどねーんだぜ?」
首長というのは世襲制ではない。エリシュの民のなかでも選り抜きの魔術師が、代々引き継いでいる職だ。ひとつの条件として、全8属性の魔術が使える魔術師、というものがある。
しかし、倭のように魔術師ではない者、属性が満たない者にもチャンスはある。現首長から出された指令をこなし、その功績を認められれば、次期首長の候補に入ることができるのだ。首長になることは、倭にとって幼い頃からの夢らしい。
実のところ、梨佐は『首長』を、民をまとめる偉い人、と言うことくらいしか知らなかった。今更過ぎて聞くに聞けないのである。
「ま、せやなぁ。賢者の石なんて、ホンマにあんのかも、ようわからへんねやろ? めっちゃ大変やんか」
緋桜が言葉とは裏腹に、楽しそうに笑った。派手で露出の多い服装も、今はカーキ色の羽織で隠れている。動くたびに、大きな円形のピアスが揺れた。
作品名:エリュシオン~紅玉の狂想曲 作家名:かずか