時夢色迷(上)
夢と時。
どちらも、欠けてはならないもの。
でも、少女の夢は消え失せたまま、少年の時は止まったまま動かない。
天使は、何も映さぬ瞳で彼等を見た。
+プロローグ+ 白ノ空間
「此処は、何処なの……?」
少女は呟く。
少女は、黒く長い髪を後ろでポニーテールにしており、腰あたりまで毛先がきている。黒い瞳は、少し吊り上った気の強そうな少女の目に合っていた。七分袖のTシャツから覗く腕は、日焼けをしていない健康な白い肌。
白い、白い街の中に少女はいた。
ビルも、家も、道路も、空も、見渡す限りの全ての物が、白白白…
「此処、『夢有(むゆう)』。別、空間」
その場に溶け込むような白の天使が、いつの間にかそこにいた。当たり前のよううに、白の地面に立っている長く白い髪は、腰よりもさらに下に伸びる。そして真っ白な、翼、肌、足の先まで隠れる丈のワンピース。全てが白の天使。
「夢有? 何ですか? ソレ」
少女の後ろから声が聞こえて、振り返ってみると、一人の少年が立っていた。少年は、健康的に日焼けのした肌に、ピョンピョンと毛先が跳ねている茶色い髪。低めの身長が、少年のあどけない顔によくあっている。空色のTシャツは、爽やかな感じがする。
「時間、夢、無い、空間」
天使は、静かに答える。
左目しか見えてない天使の濁った灰色の瞳には何も映ってないかのように、感情の欠片もその瞳には現れない。
「時間が無い空間……?」
先に呟いたのは、少女の方だった。怪訝そうに、眉根を寄せる。
「ソレ、本当ですか! 本当に時間が無いんですか!」
少年は一歩前に踏み出すと、天使に聞き返す。天使は、プログラムされたように頷いた。
「皆が、ボクと同じなんだ……」
少年は、少し嬉しそうに顔をほころばせて、小さく、小さく呟いた。
「ソレで、どうしてうち等が此処にいるの?」
少年を、自分の近くに引き寄せてから周りを見渡し、最後に視点を天使に合わせ、そう問いかける少女。
「運命、此処、空間、貴方達、色、付く」
単語しか話さない天使の言葉は、彼等に正確には届いてない。
「えっと……つまり、これがボク達の『運命』なんだっていう事ですか?」
少年が確認をとると、天使は小さく頷く。
天使は、「言う事はすべて言い終えた」と言わんばかりに空へ高く飛んでいき、空の白と同化して消えてしまった。
「って……うち等、置いていかれてるじゃない! こんな、何もない場所に!」
少年を離し、少女は大きな声おあげた。
周りを見渡す。何度見ても同じ。何の色も無い、白の世界。唯一、色があるのは目の前の少年だけ。
「……名前」
ぼそりと少女は、少年の方を向いて呟く。
「へ? 何ですか?」
周りの景色を、好奇心の塊の瞳で見ていた少年。くるりと、首だけを少女の方に向ける。
「貴方の名前を教えて」
少女の問いに、きちんと体ごと少女の方に向ける。
「陽幸(ひさち)です! よろしくお願いします! えっと……」
「杏香よ。十四歳になったとこ」
そう言うと、少年――陽幸に手を出し、握手を求める。
「きょうか……じゃぁ、あんちゃんですね!」
にっこりと微笑む陽幸と、ぽかんと口を開ける少女――杏香。
「あれ?『きょうか』って、あんずの杏に、香りじゃないんですか?」
きょとんと、首を傾げて聞く陽幸。
(首を傾げて聞いてくるところとか、小動物みたいね)
と、杏香は全く関係ない事を思った。
行くあてを無くした手は、また杏香の体の横へとかえってくる。
「合ってるわ。じゃぁ、陽幸は…そうね、ひさ君で良い?」
微笑むと、陽幸のくせ毛に指を絡ませて遊ぶ杏香。
「はい! えへへ……何か、嬉しいですね」
陽幸は、照れたように頬を掻く。今まで、あだ名というものが無かった陽幸にとって、杏香に付けてもらったあだ名は、新鮮なものだったから。
「そんなに喜んでもらえると、こっちも嬉しくなってくるわね」
「あんちゃん!」
くいくいと、杏香の袖を引っ張りながら陽幸が声をかける。
「どうしたの?」
「あっち、この空間の端っこですか?」
そう言うと、杏香の後ろの方向を指す。
「壁になってますけど……」
唇に人差し指を当てて、不思議そうに話す陽幸とは真逆で、杏香はバッと後ろを勢いよく見る。
「……みたいね。行きましょ」
その壁は、二人が立っているところから、約一メートルと半分というところだろうか。それなりの距離があるようだ。
「そういえば、ひさ君は何歳なの?」
壁まで歩く間、杏香が頭一つ分低い陽幸の事を見ながら聞く。相変わらず、陽幸はキョロキョロと周りを物珍しそうに見ていた。
「ボクは、十二歳ですよ? あんちゃんより、二つ下です」
周りを物色するのを一度止め、一歩前に出て後ろ向きに歩きながら、ふわりと笑って杏香の質問に答える。
「小学生?」
「むっ……中学一年です!」
すねたような陽幸の答えに、杏香はかなりびっくりする。
「え? 中学生!」
思わず、陽幸の頭の先に手を置いて自分と比べる。
杏香は、少しだけ上げ底の靴を履いているが、百六十七センチだ。杏香とは頭一つ分違うから、陽幸は百四十センチ位だろう。小学校六年生だとしても驚くが、全く持って年相応には見えない。
「あんちゃん……少し酷いです」
プクリと頬を膨らまして、あからさまに怒って見せる。
「いや……ごめんごめん。ちょっと、びっくりして……ね?」
顔の前で、手を合わせて謝る。その様子を見て、頬に溜めた空気を一気に吐き出した。
「ボクだって、まだまだ伸びるんです! 成長期が、ちょっとだけ遅れてるだけなんです!絶対に伸びます!」
片手をぐいっと空に伸ばして、「これくらい伸びる」と言っている。その様子が、可愛らしくて、ついつい杏香の顔もほころぶ。もう、天使に置いて行かれた事に怒っていた自分が馬鹿らしく思えて来る位に。
「伸びる。伸びる」
そう言いながら、陽幸の柔らかい髪の毛を撫でる。
「ですよね!」
ぱぁーと、一気に笑顔に変わる陽幸。喜怒哀楽がはっきりしていている陽幸。
(やっぱり子供みたいね)
と思ったが、それを言うとまた怒りだしそうなので、杏香は心の中で呟いた。
「それにしても……やっぱり不気味ね」
首を右左に振る。場所が変わっても同じように、形はあるが色のないものばかり。
「そうですね。……影すらありませんからね」
そう言うと、自分の前に手を出して影ができないことを証明する。
「それに……色を付けるって、ペンキでも置いてあるの?」
自分で言っておきながら、心の中では「そんな物は無い」とわかっている杏香。知っているわけでは無いが、そんな「気」がするのだろう。
「この街全部を塗るのは大変ですよ!」
本気にしたらしい陽幸は、慌てた様に杏香に駆け寄って見上げる。
「冗談よ」
そう、くすくすと笑いながら言うと、陽幸は胸を撫で下ろした。
「確かに、さっきのは冗談だけど、だとしたら……本当に何で色を付けるのかしら」
顎に手を当てて考え出す杏香。ああでもない。こうでもない。と、ブツブツと独り言を言っていく。その横顔を見ながら、陽幸も考えた。
「ねぇ、あんちゃん。今は、わからないことだらけですし、考えるのは後にしませんか?色々悩んでも始まりませんよ?」
「ふぇ……?」
どちらも、欠けてはならないもの。
でも、少女の夢は消え失せたまま、少年の時は止まったまま動かない。
天使は、何も映さぬ瞳で彼等を見た。
+プロローグ+ 白ノ空間
「此処は、何処なの……?」
少女は呟く。
少女は、黒く長い髪を後ろでポニーテールにしており、腰あたりまで毛先がきている。黒い瞳は、少し吊り上った気の強そうな少女の目に合っていた。七分袖のTシャツから覗く腕は、日焼けをしていない健康な白い肌。
白い、白い街の中に少女はいた。
ビルも、家も、道路も、空も、見渡す限りの全ての物が、白白白…
「此処、『夢有(むゆう)』。別、空間」
その場に溶け込むような白の天使が、いつの間にかそこにいた。当たり前のよううに、白の地面に立っている長く白い髪は、腰よりもさらに下に伸びる。そして真っ白な、翼、肌、足の先まで隠れる丈のワンピース。全てが白の天使。
「夢有? 何ですか? ソレ」
少女の後ろから声が聞こえて、振り返ってみると、一人の少年が立っていた。少年は、健康的に日焼けのした肌に、ピョンピョンと毛先が跳ねている茶色い髪。低めの身長が、少年のあどけない顔によくあっている。空色のTシャツは、爽やかな感じがする。
「時間、夢、無い、空間」
天使は、静かに答える。
左目しか見えてない天使の濁った灰色の瞳には何も映ってないかのように、感情の欠片もその瞳には現れない。
「時間が無い空間……?」
先に呟いたのは、少女の方だった。怪訝そうに、眉根を寄せる。
「ソレ、本当ですか! 本当に時間が無いんですか!」
少年は一歩前に踏み出すと、天使に聞き返す。天使は、プログラムされたように頷いた。
「皆が、ボクと同じなんだ……」
少年は、少し嬉しそうに顔をほころばせて、小さく、小さく呟いた。
「ソレで、どうしてうち等が此処にいるの?」
少年を、自分の近くに引き寄せてから周りを見渡し、最後に視点を天使に合わせ、そう問いかける少女。
「運命、此処、空間、貴方達、色、付く」
単語しか話さない天使の言葉は、彼等に正確には届いてない。
「えっと……つまり、これがボク達の『運命』なんだっていう事ですか?」
少年が確認をとると、天使は小さく頷く。
天使は、「言う事はすべて言い終えた」と言わんばかりに空へ高く飛んでいき、空の白と同化して消えてしまった。
「って……うち等、置いていかれてるじゃない! こんな、何もない場所に!」
少年を離し、少女は大きな声おあげた。
周りを見渡す。何度見ても同じ。何の色も無い、白の世界。唯一、色があるのは目の前の少年だけ。
「……名前」
ぼそりと少女は、少年の方を向いて呟く。
「へ? 何ですか?」
周りの景色を、好奇心の塊の瞳で見ていた少年。くるりと、首だけを少女の方に向ける。
「貴方の名前を教えて」
少女の問いに、きちんと体ごと少女の方に向ける。
「陽幸(ひさち)です! よろしくお願いします! えっと……」
「杏香よ。十四歳になったとこ」
そう言うと、少年――陽幸に手を出し、握手を求める。
「きょうか……じゃぁ、あんちゃんですね!」
にっこりと微笑む陽幸と、ぽかんと口を開ける少女――杏香。
「あれ?『きょうか』って、あんずの杏に、香りじゃないんですか?」
きょとんと、首を傾げて聞く陽幸。
(首を傾げて聞いてくるところとか、小動物みたいね)
と、杏香は全く関係ない事を思った。
行くあてを無くした手は、また杏香の体の横へとかえってくる。
「合ってるわ。じゃぁ、陽幸は…そうね、ひさ君で良い?」
微笑むと、陽幸のくせ毛に指を絡ませて遊ぶ杏香。
「はい! えへへ……何か、嬉しいですね」
陽幸は、照れたように頬を掻く。今まで、あだ名というものが無かった陽幸にとって、杏香に付けてもらったあだ名は、新鮮なものだったから。
「そんなに喜んでもらえると、こっちも嬉しくなってくるわね」
「あんちゃん!」
くいくいと、杏香の袖を引っ張りながら陽幸が声をかける。
「どうしたの?」
「あっち、この空間の端っこですか?」
そう言うと、杏香の後ろの方向を指す。
「壁になってますけど……」
唇に人差し指を当てて、不思議そうに話す陽幸とは真逆で、杏香はバッと後ろを勢いよく見る。
「……みたいね。行きましょ」
その壁は、二人が立っているところから、約一メートルと半分というところだろうか。それなりの距離があるようだ。
「そういえば、ひさ君は何歳なの?」
壁まで歩く間、杏香が頭一つ分低い陽幸の事を見ながら聞く。相変わらず、陽幸はキョロキョロと周りを物珍しそうに見ていた。
「ボクは、十二歳ですよ? あんちゃんより、二つ下です」
周りを物色するのを一度止め、一歩前に出て後ろ向きに歩きながら、ふわりと笑って杏香の質問に答える。
「小学生?」
「むっ……中学一年です!」
すねたような陽幸の答えに、杏香はかなりびっくりする。
「え? 中学生!」
思わず、陽幸の頭の先に手を置いて自分と比べる。
杏香は、少しだけ上げ底の靴を履いているが、百六十七センチだ。杏香とは頭一つ分違うから、陽幸は百四十センチ位だろう。小学校六年生だとしても驚くが、全く持って年相応には見えない。
「あんちゃん……少し酷いです」
プクリと頬を膨らまして、あからさまに怒って見せる。
「いや……ごめんごめん。ちょっと、びっくりして……ね?」
顔の前で、手を合わせて謝る。その様子を見て、頬に溜めた空気を一気に吐き出した。
「ボクだって、まだまだ伸びるんです! 成長期が、ちょっとだけ遅れてるだけなんです!絶対に伸びます!」
片手をぐいっと空に伸ばして、「これくらい伸びる」と言っている。その様子が、可愛らしくて、ついつい杏香の顔もほころぶ。もう、天使に置いて行かれた事に怒っていた自分が馬鹿らしく思えて来る位に。
「伸びる。伸びる」
そう言いながら、陽幸の柔らかい髪の毛を撫でる。
「ですよね!」
ぱぁーと、一気に笑顔に変わる陽幸。喜怒哀楽がはっきりしていている陽幸。
(やっぱり子供みたいね)
と思ったが、それを言うとまた怒りだしそうなので、杏香は心の中で呟いた。
「それにしても……やっぱり不気味ね」
首を右左に振る。場所が変わっても同じように、形はあるが色のないものばかり。
「そうですね。……影すらありませんからね」
そう言うと、自分の前に手を出して影ができないことを証明する。
「それに……色を付けるって、ペンキでも置いてあるの?」
自分で言っておきながら、心の中では「そんな物は無い」とわかっている杏香。知っているわけでは無いが、そんな「気」がするのだろう。
「この街全部を塗るのは大変ですよ!」
本気にしたらしい陽幸は、慌てた様に杏香に駆け寄って見上げる。
「冗談よ」
そう、くすくすと笑いながら言うと、陽幸は胸を撫で下ろした。
「確かに、さっきのは冗談だけど、だとしたら……本当に何で色を付けるのかしら」
顎に手を当てて考え出す杏香。ああでもない。こうでもない。と、ブツブツと独り言を言っていく。その横顔を見ながら、陽幸も考えた。
「ねぇ、あんちゃん。今は、わからないことだらけですし、考えるのは後にしませんか?色々悩んでも始まりませんよ?」
「ふぇ……?」