傀儡師紫苑(2)未完成の城
ゆっくりとクローゼットのドアが閉められるのと同時に愁斗の部屋に翔子が駆け込んで来た。
「ごめん、勝ってお邪魔します! いた、愁斗くん、ここにいたのね」
「どうしたのそんなに慌てて?」
先ほど麗慈と対峙していた愁斗はもういなかった。愁斗は笑顔で翔子を出迎えた。
落ち着き払っている愁斗だが、翔子はそれどころではなかった。
「大変なの、麗慈くんに会ったの!」
「そう、なんだ。大丈夫、何もされなかった?」
「ううん、ちょっと手を切られたけど平気。それよりも愁斗くん気をつけて、きっと愁斗くんのこと殺しに来るよ」
もう来た後だったが、愁斗そのことを翔子に黙っていることにした。
「大丈夫だよ、僕の心配はいいから」
「よくないよ、愁斗くんにもしものことがあったら……」
翔子は目に涙を溜めはじめた。そんな翔子の手を愁斗が取った。
「消毒とかしておこうか?」
「消毒なんて今はどうでもいいよ、それよりも私は愁斗くんのことが心配なの」
「でも、消毒はしなくてもおまじないはしておこう」
愁斗は翔子の手を持ち上げて、傷口に軽くキスをした。
「すぐに治るよ、きっと」
「ばかぁ」
涙を止めた翔子は顔を赤くした。こんなキザなことをしても愁斗の容姿を持ってすれば許されてしまう。
翔子は愁斗に微笑みかけられて、自分も微笑んでしまっていた。だが、愁斗の後ろにあったクローゼットに視線が行ってしまって少し表情を曇らせてしまった。彼女が表情を曇らせたのは本当に一瞬のことであったが、愁斗にそれを見られた。
「瀬名さん、クローゼットの中、見たよね?」
「ううん、見てないよ」
決して嘘をつこうとしたわけではなく、反射的に嘘をついてしまっていた。
「嘘をついてもわかるよ」
「あ、あの、だから……」
「服を脱がせたままだったよ、印を確認したんでしょ?」
翔子は小さくうなずいた。
「ごめん、見るつもりはなかったの……でもね、でも聞いて、私と同じ模様があるの、私もあれと同じなの?」
とても翔子は不安そうな顔をしていた。
真剣な顔をした愁斗が翔子の手を引いてクローゼットの前まで行った。
愁斗の手によってゆっくりと開けられるクローゼット。中にいた紫苑はまるで眠っているようだった。
「彼女の名前は紫苑――瀬名さんと同じ傀儡だ。でも、瀬名さんと紫苑は根本的に違うところがある」
愁斗は翔子の手を導いて紫苑の頬を触らせた。とても冷たい頬だ。翔子はそれを知っていたが、改めて声に出して呟いた。
「冷たい頬……感触はまるで人間のようだけど、この冷たさを感じると人間じゃないことがわかる」
「この紫苑には血も流れている。けれど、その血は氷のように冷たい。そして、何よりもこの身体は作り物に過ぎない、瀬名さんの身体は正真正銘、人間の身体だよ」
愁斗の言葉を聴いて翔子はそっと自分の胸に手を当てた。心臓の音とともに温かさが手を伝わって感じられた。
「私、実はこの人形を見た時、自分も人形の身体なんじゃないかって心配になったの」
「身体は瀬名さんのものだし、瀬名さんには紫苑の持っていない人間の?心?を持っている。だから……瀬名さんは……この紫苑とは違う」
愁斗は紫苑を見ながら涙を流した。これは誰に対して泣いているのだろうか? 翔子には紫苑に対して愁斗が泣いているように見えた。
「愁斗くん、この女の人、誰……なの?」
聞かない方がよかったかもしれない。でも、ここまで来たら聞かずにはいられなかった。
愁斗が答えるまでしばらく時間があった。その間、翔子は声を出さずに涙を流す愁斗の横顔を見つめていた。
「……今は言えない。でも、きっといつかは言うよ、全部」
全部という言葉にはこの紫苑以外のことも含まれていた。だが、愁斗が翔子に話さない全ての話は糸を手繰り寄せていくと、その糸は全てどこかで紫苑に繋がっている。
翔子は愁斗に何もかも話して欲しかった。愁斗のことを知りたかった。翔子は自分の見て来た愁斗しか知らない。
寂しい気持ちを感じながらも翔子はそれ以上聞かなかった。そして、彼女は泣き止まぬ愁斗の手に自分の手を重ねた。
「愁斗くんのこと好きだよ」
「ありがとう……だから、話したくないんだ。瀬名さんは今の僕を好きになってくれた……だから、瀬名さんの知らない僕を見せたくない」
「いいよ、今は見せてくれなくても。私だって例えば、家にいる時にだらしない格好してるの愁斗くんに見られたくないし……ごめん、あんまりおもしろくなかった?」
「ううん、瀬名さんのだらしない格好見てみたいな」
愁斗は微笑んだ。そして、翔子も微笑を返す。
「じゃあ、そのうち見せてあげるね」
『そのうち見せてあげる』だから愁斗にもそのうち見せて欲しかった。翔子は愁斗の全てを好きになりたかった。だから知るところからはじめたかった。
「瀬名さんのだらしない格好、楽しみにしてるね」
「楽しみにされても困るよぉ」
「でも、楽しみしてる」
「だから、そんなにいいものじゃないよ。髪の毛爆発してるし、たまになぜか起きたらパジャマ脱いでる時とかもあって、本当に恥ずかしいんだから」
二人がいい感じに話していると邪魔が入った。
「愁斗ク〜ン!」
ダイニングの方から亜季菜の声がした。
愁斗は軽いため息をついた。
「はぁ、起きちゃったのか」
「ほら、ため息なんかついてないで行こう」
翔子に背中を押せれて愁斗はダイニングに重い足取りで向かった。
「何ですか翔子さん?」
「飯!」
ソファーで寛ぐ亜季菜はすでにスーツに着替えて、超ミニスカから覗く長い足を見せ付けるように座っていた。
「僕に命令しないで出前取ればいいじゃないですか」
「だってぇ〜、愁斗クンお料理上手だしぃ〜、あたしって外食多いでしょ、だから家庭の味が恋しくなるのよねぇ〜」
「だったら、自分料理覚えたらどうですか?」
「そんな時間ないわよ」
翔子は二人の会話を聞いていて、ある物を撫子からもらったことを思い出した。そして、それを出す勢いに合わせて勢い任せで叫んだ。
「愁斗くんデート行こう」
愁斗の前に差し出されたチケット。それを見た愁斗はすぐに答えた。
「いいよ、それでいつ?」
「明日、明日テーマパークでデート。クリスマス・イヴだから、そのなんていうか、ロマンチックでしょ?」
「…………」
愁斗は黙り込んでしまった。明日と言えば、麗慈に決闘を申し込まれた日だ。そして、愁斗は『クリスマス』という単語を聞いて、あることを思い出してしまった。クリスマスは愁斗の母の命日でもあったのだ。
黙りこんだ愁斗の顔を翔子は不安そうに見つめていた。
「ダメかな……?」
「いや……」
翔子を危険な目に巻き込みたくない。だが、目の前にいる翔子を見ていると断りづらい。
あの場にちょうど居合わせた亜季菜は、この時ばかりは翔子の見方になってくれた。
「イヴにデートなんていいじゃない、行って来なさいよあたしが許可するわ」
「亜季菜さんが許可するとかしないとかの問題ではなくて――」
ふと愁斗が横を見ると翔子が泣きそうな顔をしていた。
「だって、だって、私たちデートって言えること一度もしたことないんだよ。それにこのチケット明日限り有効のディナー付き招待券なんだよ」
作品名:傀儡師紫苑(2)未完成の城 作家名:秋月あきら(秋月瑛)