傀儡師紫苑(2)未完成の城
妖糸が翔子が止まったことを愁斗の指先に伝えて来た。それを確認した愁斗は安心して走るのを止めて歩き出した。今すぐ翔子に会っても彼女の気がまだ静まっていないだろうと判断したからだ。翔子にもいろいろと考える時間が必要だろうと思い、それは自分にも必要だと愁斗は思った。
愁斗は夜空を見上げながらゆっくりと歩いた。彼の心にはもやもやしたものがあった。だが、それが何であるかわからなかった。
最近の自分は少し変だと愁斗は思う。それは星稜中学に転校して来てからだ。そう、具体的に言うと翔子と出逢った頃からだ。
愁斗は父――秋葉蘭魔とともに組織から逃げ出した後、いろいろな人々の心を観て来た。だが、観て来た感情の中でも人を想うという感情は翔子と出逢ってから愁斗の心に芽生えたものだった。
翔子は自宅の玄関でひざを抱えて座っていた。
愁斗は優しく声をかけた。
「瀬名さん」
ゆっくりと顔を上げた翔子はすでに泣き止んだ後のようだった。
「何で追いかけて来たの?」
追いかけて来ることをどこか期待していたのにも関わらず反発してしまった。
「どうしてって言われても、心配だったからとしか答えられないよ」
「わかってるよ、そんなの……」
愁斗は翔子の横にゆっくりと座った。
「こんなところにいると風邪引くよ」
「それもわかってる、だって家のカギ愁斗くんちに置いて来ちゃったんだもん」
「翔子ちゃんらしいね」
「それってばかにしてるの!?」
怒った翔子を見て愁斗は微笑んだ。
「少し元気になった?」
「ならない!」
翔子は顔を伏せてしまった。
星を眺めて愁斗が黙っていると、顔を伏せながら翔子は小さな声で話しはじめた。
「どうしてキスしたの?」
「だからね、寝ている時っていうのは誤解で……」
口ごもる愁斗を翔子はちらっと見た。
「どうしてそこで口ごもるの?」
翔子を傀儡として蘇らせたこと、それが正しい行いだったの愁斗にはまだ判断できていなかった。
他の傀儡と違って翔子は人間の感情がある。傀儡に感情を与えたのは初めてのことであり、唯一の成功例だった。もう一人の感情は未だ愁斗の力では戻すことができていなかった。
だが、一度死んだ人間をこの世に呼び戻すことは正しい行いだったのか?
同じ問いが愁斗の心を回り続ける。
あの時は感情に任せて翔子を躊躇うことなく蘇らせた。身体は翔子のものと使ったとはいえ傀儡であることには変わりない。
「僕は、瀬名さんを傀儡として蘇らせた……その時に僕の魔導力を分け与えるために口移しをしたんだ」
「……傀儡」
傀儡になる前と今の翔子は何も変わっていないのと同じように見える。だが、翔子の心臓には魔導の源が埋め込まれ、胸には契約を交わした印が刻まれている。
翔子は服を脱いだ時にいつも胸にある印が気になってしまうが、それ以外の時は自分が傀儡である実感はない。普通の人のように普通の生活を送っている。
「愁斗くん、傀儡って何なの? 私自分でもあまり実感が湧かないんだけど傀儡なんだよね?」
「ああ、瀬名さんは僕の傀儡だよ。傀儡は傀儡師の道具であり、武器だ。敵と戦い傀儡師の代わりに朽ち果てる運命なんだ……でも、瀬名さんは違う、瀬名さんには人間の感情がある、ただの道具なんかじゃない」
「私は人間だよ、瀬名翔子、十四歳のどこにでもいる中学生。自分でそう思ってるからそれでいいよ」
「瀬名さん……」
「キスのことは許してあげるね。でも、それはなかったことにして、これが……」
翔子の唇が愁斗の唇に軽く触れてすぐに離れた。
「こっちが二人の初キスってことにいようね」
「あ、うん」
「愁斗くんち帰ろう!」
翔子はドキドキした気持ちを抑えながら愁斗の手を掴んだ。
立ち上がった愁斗は彼にできる最高の微笑で翔子の顔を見つめた。
結局、翔子は愁斗宅で一晩を過ごすこととなったのだが、寝る場所がないということで亜季菜と一つのベッドで寝ることになってしまった。
「く、苦しい……」
朝、翔子が目を覚ますと彼女の身体は亜季菜の腕や脚によって拘束されていた。
翔子は自分に絡みついた亜季菜の身体を丁重に外した。そして、相手を起こさないように慎重にベッドから起きた。
「逃げる気!」
翔子の身体がビクっと震えて、心臓がぎゅっと鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
身体をカクカクさせながら翔子が振り返ると、亜季菜は寝返りを打ちながら安らかに眠っている。
「……寝言か」
安心した翔子は忍び足で移動してドアノブに手を掛けたその瞬間!
「逃がさないわよ!」
思わず翔子はドアノブから勢いよく手を離した。そして、再び後ろを振り向くと、やはり亜季菜は眠っていた。
「……また寝言か」
今度こそ部屋の外に出ようと翔子がした時、またも!
「翔子ちゃん!」
ビクッと震えながらも翔子が振り向くと、亜季菜が脚を組みながらベッドに座っていた。
「おはよう、翔子ちゃん」
「お、おはようございます」
「やっぱり翔子ちゃんはからかい甲斐があるわね」
「……寝言じゃなかったんですか?」
「そうよ」
亜季菜は翔子よりも先に起きていたのだ。これから先も翔子は亜季菜にからかわれ続けるに違いない。
これ以上からかわれないうちに翔子は部屋を出ようとしたのだが、亜季菜の攻撃は止まらなかった。
「そうだ、寝言を言うのは止めた方がいいわね」
「……私、寝言なんて言ってましたか?」
「愁斗クン愁斗クン愁斗クンって連発してたわよ」
「本当ですか?」
慌てはじめた翔子を見て不敵な笑みを浮かべる亜季菜はさらっと呟いた。
「嘘よ」
翔子は無言で部屋を足早に退室した。
ダイニングに翔子が入ると、ダイニングキッチンからいい匂いがして来た。そこでは愁斗が朝食の準備をしていた。
「おはよう瀬名さん」
「うん、おはよう」
「亜季菜さんと一緒でよく眠れた?」
愁斗の質問に翔子は首を横に振って答えた。あの亜季菜が簡単に寝かせてくれるはずがなかった。逃げようにも逃がしてくれなかったのだ。
翔子の表情を見て全てを見通した愁斗はうなずいた。
「ごめん、後で僕から亜季菜さんちゃんと言っておくから」
「ありがとう」
「もうすぐ朝食できるからそっちで座って待ってて」
「うん」
ぼーっとしながら翔子がくつろいでいるとテーブルの上に朝食が運ばれて来た。
「あ、私も何か手伝う」
「いや、もう全部運び終わっちゃったよ」
「あぁ……ごめん」
テーブルの上にはトーストやサラダが置かれていたが二人分しかないようだ。亜季菜の分がないのだろうか?
「愁斗くん、亜季菜さんは食べないの?」
「あのひと、朝食は食べないひとだから。それに生活が不規則だから、頼まれない限りはあのひとの分の食事は作らない」
「もしかして、毎日愁斗くん自分で食事作ってるの?」
「まあね、誰も作ってくれるひといないから、必然的にね」
作ってくれるひと、という言葉に翔子は反応して、自分が作ってあげたいと思ったが、翔子は料理ができなかった。
朝食をとり終えて翔子が皿などをキッチンに運ぼうとすると、愁斗が立ち上がって自分の皿と翔子の皿をまとめてトレイに乗せた。
「僕がまとめて運んでいくから」
「じゃあ、洗い物する」
作品名:傀儡師紫苑(2)未完成の城 作家名:秋月あきら(秋月瑛)