傀儡師紫苑(2)未完成の城
彪彦の腕が〈闇〉に掴まれ、彪彦の身体が空間の裂け目に向かって凄い勢いで引きずられた。
空間の裂け目の中に引きずり込まれる瞬間、彪彦の鉤爪が裂け目を喰らった。鉤爪は空間にできた傷までも喰らったのだ。
空間の傷が消えると〈闇〉はもう出て来ることができなかった。
この世界に残った微かな〈闇〉を鉤爪に喰わせて、彪彦はひと息ついた。
「麗慈はどのくらい真理に近づいているのか? 知らずして〈闇〉を扱っているようにも思えますがね」
彪彦は城を眺めた。
「おや?」
城が先ほどよりも遠くなっている。城が動いたのか、彪彦が動いたのか?
この世界が大きくなっているのだ。この世界は成長している。
彪彦は全速力で地面を駆けた。悠長にしていたらいつまで経っても城に辿り着けなくなる。
風のように走る彪彦は人間の身体能力を超越した走りを見せている。足は全く動いていないように見えるのにも関わらず、その移動速度は時速八〇キロメートルを超えている。城はすぐに近づいて来た。
城は建設中のようにも見えるが、建設機材などは全くなくて壊れているようにも見える。
城の中に足を踏み入れた彪彦は思わず笑ってしまった。
「何ですかこれは!?」
城は中身がなかった。空っぽの城。城は周りの外壁しかなく、天井からは空が見えた。
外壁が音を立てて崩れはじめた。いや、空間が崩れはじめた。
次の瞬間、彪彦はもとの世界にいた。
「さっぱりわかりませんね」
彪彦のいる場所は開園が明後日に迫ったテーマパークの敷地内だった。
ネバーランドのアトラクションを満喫して、ご満悦な野々宮沙織は次のアトラクションを指差した。
「次はあれ乗ろうよぉ」
「ジェットコースターね。僕さ、実はちょっと苦手なんだよね」
苦笑いを浮かべている雪夜の腕を強引に引っ張って、沙織は乗り場に走って行く。
ジェットコースター乗り場には人がいなかった。無人でジェットコースターは動いている。
二人が待っているとジェットコースターが走って来た。やはり誰も乗っていない。この世界にあるアトラクションは人がいなくても動き続けているのだ。
二人が乗り込むとジェットコースターが走りはじめた。
加速していくジェットコースター。その先には二回転ループが待っている。それもループを回っている最中にジェットコースター自体も横に回転するというものだ。
「きゃーっ! おもしろ〜い!」
「…………」
はしゃぐ沙織に対して雪夜の表情は優れない。
ジェットコースターは上へ下へを繰り返して、そろそろ乗り場が見えて来た。
「雪夜くん大丈夫ぅ?」
「……まあまあ平気」
ジェットコースターが止まると同時に雪夜の気分の悪さは悪化した。
「……気持ち悪い」
「わあ、顔真っ青だよぉ!」
「乗り物酔いしやすい体質でさ」
沙織の肩を借りながら雪夜はジェットコースターを降りて、そのまま近場にあったベンチまで行った。
ベンチに座りながら雪夜がうつむいていると沙織が声をあげた。
「麗慈センパイ!?」
沙織の声に反応して雪夜は顔をあげた。
「やあ、麗慈、何か用?」
「この中で組織の奴に遭っちまった」
二人が話しているのを横で見ながら、沙織は驚かずにいられなかった。
「うっそ、二人とも知り合いなの? どうして麗慈センパイがここにいるの?」
驚く沙織に麗慈は外面の優しい笑みを浮かべて答えた。
「久しぶり沙織ちゃん」
沙織はまさかここで麗慈に出会うと思ってもみなかったし、雪夜も沙織と麗慈が知り合いだったとは思ってもみなかった。
「沙織さんと麗慈って知り合いなの?」
「沙織と麗慈センパイは同じ学校の同じ部活だったんだよぉ。麗慈センパイがうちの学校転校して来て、一週間もしないうちに突然また転校しちゃったの。部活の打ち上げも来ないでいきなり転校でビックリしちゃったよぉ」
「俺さ、みんなに挨拶とかして転校すんの恥ずかしかったからさ、黙って転校しちゃんだよなぁ。あの時はホントごめんごめん」
これは嘘である。沙織が転校という言葉を使ったのでそれに合わせたに過ぎない。
星稜中学の学校祭である星稜祭の演劇部による公演の後、翔子を人質に取った麗慈は愁斗との決戦で敗北し、姿を暗ませてしまったのだ。転校というのは組織の隠ぺい工作であり、そのようになっていたことを麗慈は沙織の言葉で今知った。
麗慈は沙織の顔をちらっと見てから雪夜に話しかけた。
「少し込み入った話があるんだけどさ」
と言って今度は沙織の方を向いて言った。
「二人っきりで話したいことあるから、沙織ちゃんはここで少し待っててくんない?」
「うん、いいよ」
雪夜は立ち上がり、麗慈とともに沙織の姿が見えるが声が聞こえない程度の場所に移動した。
麗慈は少し怒っているようだった。
「何で組織のヤロウがここにいんだよ」
「あの人が麗慈の言っていた組織の人だったんだでもさ、ボクは君から組織に追われてるとしか聞いてないし、組織がどんな組織なのかも知らなかった。ボクは君のプライベートには基本的に関わっていない。だから、あの人が組織の人間だなんて判断ができないと思うけど?」
雪夜は麗慈から『組織に追われてるから匿って欲しい』としか聞いておらず、組織のついての知識は全くなかった。今日、彪彦からスカウトされた時に魔導に関する組織らしいことを知ったくらいだ。
「判断がどうこうなんつーのは関係ねえよ、何でいたのかを聞いてんだよ俺は!」
「ボクのことをスカウトに来たから、逃げるのに戸惑って仕方ないから一時的にここに封じ込めさせてもらっただっけだよ」
麗慈の表情が変わった。彪彦と戦っていた時と同じ表情だ。
「ククク……おもしろくなって来た。だが、組織がおまえの能力に興味を持ったってことは俺の身も危ないな」
「だったら、早く逃げれば?」
「ククッ、そうもいかない。俺は紫苑って奴と決着をつけるためにあいつの近くで身を潜めてたんだ。組織から逃げるのはあいつと決着をつけた後だ」
「そんなライバルみたいのがいるんだ。あっちの世界で戦うのが不都合なら、この世界を使ってもいいよ」
「ククク……最初からそのつもりだ」
「まあ、がんばって」
雪夜は麗慈のやることに興味がないというわけでもないが、どちらかと言ったらどうでもいいのだ。麗慈に協力はするが、ほとんど傍観しているに過ぎない。
麗慈の表情がもとに戻った。
「ところで、何であいつがこの世界にいるんだよ?」
親指で麗慈は空をぼーっと見ている沙織を指した。
「沙織さんはボクの世界のお姫様に迎えようと思ったんだ」
「あいつに惚れたのかよ?」
「さあ? ひとを好きになるって感情がボクにはわからない。でも、彼女の何かに惹かれた」
「そういうの惚れたっていうんじゃねえか? まあ、俺もそういう感情を持ち合わせてねえからわかんねえけどな」
組織の中で問題児として扱われて来た麗慈は、持っている感情の多くが欠落しているか壊れていて、組織の手に負えないことが多く、牢獄の中に長い間、閉じ込められていたのだ。
麗慈の手が煌き、空間を切った。
「じゃ、俺はいったんあっちの世界に戻るな」
「そう、じゃあね」
作品名:傀儡師紫苑(2)未完成の城 作家名:秋月あきら(秋月瑛)