一夜の邂逅
僕の言い方はややぶっきらぼうになってしまったかもしれない。黒田さんの目が僅かに細められ、ちらりと神田さんの方を見た。神田さんはしばし考え込むように目をさまよわせた。
「あなた方、組織犯罪対策部なんですよね。彼と暴力団に何か関係が?」
神田さんはやっと僕を見てしばし迷っているようだったが、一つうなずいた。
「今回、広域指名手配犯に指定されました。」
「え?…まだ十八歳なのに?普通、未成年が広域指名手配犯になることなんてないのでは?」
「容疑は強盗殺人、殺人教唆、麻薬取締法違反…数え上げればキリがありません。彼はこの街で最も凶悪な犯罪集団のボスをこの年齢でやっています。今回は特例中の特例です。」
僕は内心の驚きを胸の内に必死に押しとどめながら、ほとんど叫ぶように声を絞り出した。
「だって、あいつはそんな奴じゃなかった!絶対そんなことする奴じゃ…。」
「確かに昔だったらそうだったかもしれない。だけどね、今の彼はそんな奴じゃないよ。」
そう言って神田さんは胸ポケットから一枚の写真を取り出した。僕に見せてくる。
「これは…!」
僕は絶句した。ドロドロになった顔、絶望するような光を湛えた瞳、唇を焼失して口の端を醜く釣り上げた男の写真。紛れもなく、今の有馬のものだ。
「な…なんですか、これは」
「今の有馬君だよ。」
そう言って神田さんは小さく笑った。その笑みを見て僕は背筋が寒くなるのを感じた。
「残念ながら、今の彼は君が思っているような彼とは違う。」
僕は小さくため息をついた。
「僕はこんな人は知りません。お答えできることはもうないと思います。」
「そうか、それは残念だ。」
神田さんはまた微笑を浮かべると、小さく一礼した。
「なにかあったら、その名刺に書かれた番号に電話してください。捜査協力にお願いします。」
そう言って黒田さんも頭を下げた。僕はドアをゆっくりと閉め、二人が去るのを確認してから居間に戻った。
「聞いたのか、警察から」
ココアをお替りした有馬が僕の方を向いて言った。僕は背筋の寒さを感じたままうなずいた。
「どういうことなんだよ?」
「何が?」
「お前が犯罪集団のボスってどういうことなんだよ。」
有馬は小さくため息を漏らした。その時に気づいた。彼の喉はもう締め付けられてきちんと声が出せないんだ。だからこんなしわがれた声になっているんだ。
「俺が藤田の店を飛び出してホームレスになったとこまでは話したよな。」
僕は小さくうなずいた。
「ある時、それまでにない激しい襲撃を高校生から受けたんだ。」
悲惨だったよ、全てが。やつら、ハンマーとかバールまで持ち出しやがって、俺を襲撃してきた。見た目は真面目そうな高校生なのに、鬱憤が溜まってたんだろうな。だが、だからと言って俺は死にたくなかった。必死で防戦したよ。そして、近くに転がっていた石を投げつけたんだ。その一つが、一人の顔に当たった。そしたら顔を覆って呻き、そのままよろめいた。チャンスだと思って更にもう一発投げたら、そいつは川に落ちた。他のやつらは慌てて逃げてったよ。川に落ちた仲間も助けずにな。で、俺も逃げたわけだ。どう考えてもサツにしょっぴかれたら、負けるのは俺だしな。
逃げ回ってるときに俺を気に入ったやつがいてな、そいつが俺を自分のグループに入れてくれたんだ。まあ、その地域を支配してるヤクザなんだがな。俺は生き延びるためにそいつの傘下で働いたさ。汚いことも色々やった。麻薬取引、オンナの売買したり、借金取り立てのためにかなり荒っぽいこともやった。そうでないと気に入られないからな。そうやって俺は組長の信頼を勝ち取っていった。他の組員も、俺の容貌を恐れながらも実力を認めて、俺の命令に従うようになっていった。もうすでに、俺は組長の右腕だったしな。
まあ、ある日別な組との抗争で組長が死んで、俺が新組長になったのも当然の成り行きだった。異形の怪物に率いられた組ってんで、周りの組からは恐れられたさ。もう何でもやったしな。最早ヤクザではなかった。ただの犯罪者集団だった。かなり裏では恐れられるほどの規模になり、ヤクザ崩れが大量に流れてきた。暴力団ってのはよそより犯罪に厳しい。そんなことしたらサツに潰されるのが分かってるからだ。だから、危険な人物は排斥する。そういうやつを俺のところではどんどん受け入れた。彼らには居場所がなかったからな。俺と同じように、世の中に絶望したやつが多かった。
打算でこの世は動いている。だから金を欲した。
「おい、今度身売りされてきたやつ、『夜蝶』に売ることになってたろう?どうしてまだ商談が成立しないんだ?」
「あん?テメー今更何言ってやがる?金貸しといて返せねーだと?じゃあ、臓器売ってでも返しやがれ!」
「金出せ、金!金庫に入ってんだろ?出さねえと撃つぞ!」
こんな感じだ。お前には想像ができないだろ?
僕は悲しくなった。僕の知っていた有馬からは想像もできないことをしている。でも、もっと悲しかったのは、それを有馬自身が全く楽しんでいないことだ。有馬の瞳に浮かぶ悲しみの色がそれを何よりも雄弁に語っていた。
「有馬、ひょっとして有馬はそこから逃げたの?」
「なんだと?」
有馬が驚いたように僕を見た。僕は意を決して有馬を見た。
「有馬がそんな風に思ってるように見えた。だって有馬は、そういう人だ!」
「お前…お前に俺の何が分かるんだ…?」
有馬がぞっとするほど恐ろしい声で僕を睨んだ。だけど、僕は怯まなかった。だって、目の前の有馬が今にも崩れ落ちそうに見えたから。とても苦しんでるように見えた。
「有馬…」
僕はばっと駆け寄って、有馬の口に自分の口を重ねた。有馬の目の上の皮膚がひきつるように動く。僕は有馬から口を離さなかった。有馬が僕をすぐに突き飛ばした。
「何をするんだ、舞!」
「やっと、舞って呼んでくれたね、有馬。」
僕は小さくほほ笑んだ。有馬は僕のことを見て、ハッとした。
「舞…ひょっとして」
「僕は有馬のことが好き。うん、不器用だから全然口には出せなかったけど。」
僕の中の大蛇のとぐろがほどけていくのを感じた。一旦勇気を出して行動すると、素直に振る舞うことができるようになっていた。
「…馬鹿か」
有馬はそう嘲笑するように言うと、ゆっくりと頭を巡らせて僕を見た。
「こんな醜い俺を慰めようってか?言っとくが、俺自身は女を買ってない。人なんて金で動く人形だ。俺は人を信じることをやめた。いつ暗殺されるかわからないのに、女なんぞ信じられるか。」
僕はそれを聞いて、安堵と寂しさがない交ぜになったような感情に襲われた。僕は有馬を見てしっかりと言った。
「僕は有馬のことが好きだよ、たとえ顔が変わっても。」
そう言ってもう一度僕は有馬の座る席の前に立った。
くだらない、そう言って僕は全てを避けていた。だけど、有馬を見ていたら、そんな気持ちは消し飛んだ。くだらない?僕の苦しみは、有馬の苦しみに比べたら、本当に微々たるものだ。有馬の苦しみに寄り添いたい、そんな気持ちにまた襲われた。
「続き話すぞ。」
ぼそっと有馬が口を開いた。