恐怖夜話 饒舌なタクシー
「おばけ話?」
「やだなあ、お客さん、そんな話聞いてどうするの?こんなに蒸し暑い夜に、おっかない話なんかしていたら、本物のおばけが飛んで来て、車の屋根に張り付いちゃうよ。そりゃ、あたしも運ちゃんになって三十年になるからねぇ。薄気味の悪い客を乗せたり、悲惨な事故に遭ったりしたことあるけど、やっぱり、この商売、なにが一番恐ろしいかって、そりゃあ絶対に酔っ払いだもの、うん。住所は不詳になっちゃうわ、やたらからんでくるわ、おえーっなんて床にうずくまれた日なんざ、もう悲惨すぎて……、おっと、こりゃお客さんのことじゃありませんよ。お客さんの状態は、こっちまでウキウキしてくるほろ酔い加減、あたしが言ってんのはデロデロのへべれけってやつだから。ははははは」
「…でもね、お客さん、笑いごとじゃなくって、あたしもたった一度だけ、おばけって言い切れるもんを見たことありますよ。いや、本当ですって。嘘なんかこれっぽっちもないんだから。あたしゃ、実を言うと、三年続けて同じ日の同じ時刻に、同じ客を拾ったことがるんですって。そう、今から八年前になるかなあ」
「そうそう、初めてその客を乗せたのは十二月七日の真夜中。時刻は午前一時ぐらいだったかなあ。なんでその日を覚えているかっていうと、あたしの出来の悪い息子が離婚した日と同じでねえ。女房が出かける間際に『あの鬼嫁が出てってちょうど一年たった、そろそろ新しい相手を探してやらないと』なんて、ほざきやがる。まあ、嫁と姑は何から何かまでだめだわ。こっちが仲裁にはいったら最後、おまえが一番悪いって感じで、両側から十字砲火だもんなあ?あ、お客さんのところはもしかして同居?大丈夫なの?…えっ、おばけ?ああ、いつの間にか話が思いっ切り脇道に入っちゃったわ、ははは。えーと、なんだっけ、そうそう、そんな訳だから、あたしもその日が何日だったのか覚えていたんですって」
「乗せたのは、そりゃもう見事な銀髪のじいさんでねえ。髪の毛全部がきれいに白くてふさふさしてて、思わず触ってみたくなるような感じの。杉並の住宅街で客を下ろして、都内へ引き返そうとした時だったなあ。細い路地の暗がりで、まだ冬のはじめでそんなに寒くないっていうのに、トレンチコートの襟を立てたじいさんがヌボーって手を上げてて。ありゃあ不気味だったなあ。…えっ?乗車拒否?ははは、いやだなあ、お客さん。あたしには絶対に無理だねえ。一応これからも、この商売で食べていくつもりだから。まあ、変わった客はいくらでもいるんだし、ちょっと位不気味だろうが関係なしってね。でもね、そのじいさんたら、どうにも思い詰めたような悲しい顔つきをしているし、行き先を聞いてみたら、八王子の山の中にある、大きな墓地までだって言うし、正直言って、この時ばかりは通り過ぎた方がよかったって、後悔しながら料金のスイッチ押しましたよ」
「真夜中に墓地ですよ?墓地。普通の人間だったら、まずは夜中に一番用事のなさそうな場所でしょ?しかもね、そのじいさんったら、こっちが何を話しかけても、全然反応してくれないの。ひざの上にはキヨスクで売っているような四角くて大きな紙袋をまるで孫みたいに大事そうに抱えているし。走っている間、じっと考え込んで、身動き一つしなかったなあ」
「夜の墓地って本当に真っ暗なんですよ、もう。ヘッドライトで見えるのは、車の幅ぎりぎりの舗装路だけだし、カーブなんかでライトが墓石にあたると、なんか不透明な化け物がそこいら中で踊っているように見えて、おっかないったらありゃしない。で、そんな墓石の間の道をびくびくしながら走ってたら、突然そのじいさんが言ったんだわ、ここで停めてくれって」
「まあ、目印も何にもないところで車を止めさせて、墓石の間に消えてゆく姿を見た時は、本命馬券に近い確率で、あのじいさんが化けもんだって思ったね。降りる時、小一時間ばかりそのまま待っててくれって言われたけど、一万近い料金、自腹覚悟で帰ろうかと思ったもの。でもね、あたしゃ、ちゃあんと待ってたからね。もしもじいさんが人間だったら大変だもんなあ、置いて帰って何かあったら、スポーツ新聞なんかに、『極悪タクシー運転手、深夜の墓地にお年寄りを置き去り』、なんてって書かれちゃうかもしれないじゃない?だから、墓石の裏に隠れていそうな化け物連中が、あたしと車に近づいてみようなんて気を起こさないように、ラジオの音を大きくして、ルームランプをつけて、ヒーター効かせてじっーとしてたね。でね、一時間位たったかなあ。突然、窓をコンコンって。運転席の脇に立ったじいさんがこっちを覗き込んでるの。あたしゃびっくりして、多分、シートの上で三十センチ位は飛び上がったね」
「はあ?おばけがちっとも出てこない?ああ、初めて乗せた時は出なかったの。ははは。その時は、車をぶっ飛ばしてじいさんを拾った場所まで戻っておしまい。幽霊を見たのは次の年だったんだから。そんなにあせらないで、最後まで聞いて下さいって」
「まあ、その時も、前の年と同じことの繰り返しでねえ。出かける時に、また女房の奴が『馬鹿息子の離婚からちょうど二年だ、もう本気でいい人を探さなきゃ』って、うんたらかんたら。そんなこと聞いてたら、ああ、あの墓場行きのじいさん拾ったのも、一年前の今日だったなあ、なんて思い出しちゃってねえ。あたしゃ、ちょうど同じような時間にたまたま近くを通りかかったもんだから、回り道になるけど、何気なくその道沿いを走ってみたの。そしたら、そこにいたんだわ、あのじいさんが。去年と同じ格好で、ヌボーって」
「行き先は、また同じ墓地」
「その時は、もうヘナヘナって力が抜けてったなあ。乗車拒否するのはあたしのポリシーじゃないし。もう開き直って、墓場だろうが地獄だろうが、どこへでもいってやるって感じでぶっ飛ばして走りましたわ。でもね、いよいよ墓地が近づいてくると、怖いもの見たさっていうのかなあ、じいさんが墓場の中でいったい何やっているのか気になりだしちゃってねえ。まあ、悪い好奇心だわ。あたしゃ人より何倍も怖がりなのに、その時は、見てみたいっていう好奇心の方が勝っちゃってねえ。じいさんがタクシーから降りて真っ暗闇に消えていった後、あたしゃ、覚悟を決めて跡をつけていったんだわ」
「外に出ると真ん丸い月の上に黒い雲がゆっくりと流れててねえ、スーっと並んだ墓石が浮かび上がったり、消えたりして。落ち葉を踏むとでっかい音があっちこっちに響くし、あたしゃ、寝静まった化け物連中に、こっちへおいでおいでって手招きしている気になったね。でね、そんな風におっかなびっくりしながら、しばらくじいさんが歩いていた方へ進んでいったの。そうしたら、どうにも場違いな音が聞こえてきてねえ」
「いえいえ、それが全然不気味な音じゃないの。あたしだって、はじめはこりゃあ幻聴か、化け物のいたずらかって思ったんだから。でも、歩いていると、その音というかメロディがだんだんはっきりしてきてねえ。え?曲名?それがね、なんと、『ムーンリバー』だったんだわ」
「やだなあ、お客さん、そんな話聞いてどうするの?こんなに蒸し暑い夜に、おっかない話なんかしていたら、本物のおばけが飛んで来て、車の屋根に張り付いちゃうよ。そりゃ、あたしも運ちゃんになって三十年になるからねぇ。薄気味の悪い客を乗せたり、悲惨な事故に遭ったりしたことあるけど、やっぱり、この商売、なにが一番恐ろしいかって、そりゃあ絶対に酔っ払いだもの、うん。住所は不詳になっちゃうわ、やたらからんでくるわ、おえーっなんて床にうずくまれた日なんざ、もう悲惨すぎて……、おっと、こりゃお客さんのことじゃありませんよ。お客さんの状態は、こっちまでウキウキしてくるほろ酔い加減、あたしが言ってんのはデロデロのへべれけってやつだから。ははははは」
「…でもね、お客さん、笑いごとじゃなくって、あたしもたった一度だけ、おばけって言い切れるもんを見たことありますよ。いや、本当ですって。嘘なんかこれっぽっちもないんだから。あたしゃ、実を言うと、三年続けて同じ日の同じ時刻に、同じ客を拾ったことがるんですって。そう、今から八年前になるかなあ」
「そうそう、初めてその客を乗せたのは十二月七日の真夜中。時刻は午前一時ぐらいだったかなあ。なんでその日を覚えているかっていうと、あたしの出来の悪い息子が離婚した日と同じでねえ。女房が出かける間際に『あの鬼嫁が出てってちょうど一年たった、そろそろ新しい相手を探してやらないと』なんて、ほざきやがる。まあ、嫁と姑は何から何かまでだめだわ。こっちが仲裁にはいったら最後、おまえが一番悪いって感じで、両側から十字砲火だもんなあ?あ、お客さんのところはもしかして同居?大丈夫なの?…えっ、おばけ?ああ、いつの間にか話が思いっ切り脇道に入っちゃったわ、ははは。えーと、なんだっけ、そうそう、そんな訳だから、あたしもその日が何日だったのか覚えていたんですって」
「乗せたのは、そりゃもう見事な銀髪のじいさんでねえ。髪の毛全部がきれいに白くてふさふさしてて、思わず触ってみたくなるような感じの。杉並の住宅街で客を下ろして、都内へ引き返そうとした時だったなあ。細い路地の暗がりで、まだ冬のはじめでそんなに寒くないっていうのに、トレンチコートの襟を立てたじいさんがヌボーって手を上げてて。ありゃあ不気味だったなあ。…えっ?乗車拒否?ははは、いやだなあ、お客さん。あたしには絶対に無理だねえ。一応これからも、この商売で食べていくつもりだから。まあ、変わった客はいくらでもいるんだし、ちょっと位不気味だろうが関係なしってね。でもね、そのじいさんたら、どうにも思い詰めたような悲しい顔つきをしているし、行き先を聞いてみたら、八王子の山の中にある、大きな墓地までだって言うし、正直言って、この時ばかりは通り過ぎた方がよかったって、後悔しながら料金のスイッチ押しましたよ」
「真夜中に墓地ですよ?墓地。普通の人間だったら、まずは夜中に一番用事のなさそうな場所でしょ?しかもね、そのじいさんったら、こっちが何を話しかけても、全然反応してくれないの。ひざの上にはキヨスクで売っているような四角くて大きな紙袋をまるで孫みたいに大事そうに抱えているし。走っている間、じっと考え込んで、身動き一つしなかったなあ」
「夜の墓地って本当に真っ暗なんですよ、もう。ヘッドライトで見えるのは、車の幅ぎりぎりの舗装路だけだし、カーブなんかでライトが墓石にあたると、なんか不透明な化け物がそこいら中で踊っているように見えて、おっかないったらありゃしない。で、そんな墓石の間の道をびくびくしながら走ってたら、突然そのじいさんが言ったんだわ、ここで停めてくれって」
「まあ、目印も何にもないところで車を止めさせて、墓石の間に消えてゆく姿を見た時は、本命馬券に近い確率で、あのじいさんが化けもんだって思ったね。降りる時、小一時間ばかりそのまま待っててくれって言われたけど、一万近い料金、自腹覚悟で帰ろうかと思ったもの。でもね、あたしゃ、ちゃあんと待ってたからね。もしもじいさんが人間だったら大変だもんなあ、置いて帰って何かあったら、スポーツ新聞なんかに、『極悪タクシー運転手、深夜の墓地にお年寄りを置き去り』、なんてって書かれちゃうかもしれないじゃない?だから、墓石の裏に隠れていそうな化け物連中が、あたしと車に近づいてみようなんて気を起こさないように、ラジオの音を大きくして、ルームランプをつけて、ヒーター効かせてじっーとしてたね。でね、一時間位たったかなあ。突然、窓をコンコンって。運転席の脇に立ったじいさんがこっちを覗き込んでるの。あたしゃびっくりして、多分、シートの上で三十センチ位は飛び上がったね」
「はあ?おばけがちっとも出てこない?ああ、初めて乗せた時は出なかったの。ははは。その時は、車をぶっ飛ばしてじいさんを拾った場所まで戻っておしまい。幽霊を見たのは次の年だったんだから。そんなにあせらないで、最後まで聞いて下さいって」
「まあ、その時も、前の年と同じことの繰り返しでねえ。出かける時に、また女房の奴が『馬鹿息子の離婚からちょうど二年だ、もう本気でいい人を探さなきゃ』って、うんたらかんたら。そんなこと聞いてたら、ああ、あの墓場行きのじいさん拾ったのも、一年前の今日だったなあ、なんて思い出しちゃってねえ。あたしゃ、ちょうど同じような時間にたまたま近くを通りかかったもんだから、回り道になるけど、何気なくその道沿いを走ってみたの。そしたら、そこにいたんだわ、あのじいさんが。去年と同じ格好で、ヌボーって」
「行き先は、また同じ墓地」
「その時は、もうヘナヘナって力が抜けてったなあ。乗車拒否するのはあたしのポリシーじゃないし。もう開き直って、墓場だろうが地獄だろうが、どこへでもいってやるって感じでぶっ飛ばして走りましたわ。でもね、いよいよ墓地が近づいてくると、怖いもの見たさっていうのかなあ、じいさんが墓場の中でいったい何やっているのか気になりだしちゃってねえ。まあ、悪い好奇心だわ。あたしゃ人より何倍も怖がりなのに、その時は、見てみたいっていう好奇心の方が勝っちゃってねえ。じいさんがタクシーから降りて真っ暗闇に消えていった後、あたしゃ、覚悟を決めて跡をつけていったんだわ」
「外に出ると真ん丸い月の上に黒い雲がゆっくりと流れててねえ、スーっと並んだ墓石が浮かび上がったり、消えたりして。落ち葉を踏むとでっかい音があっちこっちに響くし、あたしゃ、寝静まった化け物連中に、こっちへおいでおいでって手招きしている気になったね。でね、そんな風におっかなびっくりしながら、しばらくじいさんが歩いていた方へ進んでいったの。そうしたら、どうにも場違いな音が聞こえてきてねえ」
「いえいえ、それが全然不気味な音じゃないの。あたしだって、はじめはこりゃあ幻聴か、化け物のいたずらかって思ったんだから。でも、歩いていると、その音というかメロディがだんだんはっきりしてきてねえ。え?曲名?それがね、なんと、『ムーンリバー』だったんだわ」
作品名:恐怖夜話 饒舌なタクシー 作家名:和嶋ヒロネ