星に願いを
男は故郷へ帰ってきた。男がこの街を発ってから3年の月日が流れていた。しかし、故郷の姿はあの日のままであった。これが男の望んだこと。彼女の居るこの街をあの日のままでいさせること。それが叶ったことを嬉しく思いながら彼女の家へと急ぐ。
戦争で数々の武功を挙げ数々の勲章を貰い、多額の報奨金を貰った。これで一生暮らせることだろう。彼女に立派になった自分の姿を見せたい。その姿を褒めてもらいたい。そして、ずっと一緒になろう。ずっと彼女と一緒に居よう。
「ただいま!」
彼女の家のドアを開ける。昼間だというのに部屋は薄暗かった。そしてすっぱい嫌な臭いがする。少女の姿は見えない。
「……うに………、…………ように」
うわごとのように同じフレーズを繰り返すしゃがれ声が聞こえる。
「そっちか」
声のする方へ男は向かう。
老婆のような小柄の女が安楽椅子に揺られていた。
「彼が……生きて……えって……ように……」
男はその女に見覚えが無い。女は髪が真っ白で顔を含めて身体中傷跡だらけである。自分一人では歩くことはおろか立ち上がることも出来ないだろう。それほどに痩せ細っていた。長いこと身体を洗って居ないのだろうか皮膚はボロボロになっていて、ところどころ膿を含む大きな出き物が出来ている。女の身体全体から酷い臭いを発している。
少女はどこへ行ったのか? 他に聞ける相手も居ないので、この老婆に居所を聞いてみようと思った。
話かけようとしたその時、女の首に見覚えの有る首飾りを見付ける。それは昔、男が河原で拾ったキレイな石を磨き上げ、糸を通して少女にプレゼントしたものである。こんなもの、飢えた物盗りですら盗らないだろう。自分の想い人以外が身に付けているはずがない。
これはどうしたことか、と混乱していると、
「ああ……、ああ………、……り、お帰り……」
女は蚊の鳴くような声で言う。この醜い生き物があの少女だったというのか? そう思える面影は一つも無いのに、この女が自分の想い人であると直感する。女は無理矢理に立ち上がろうとして転ぶ。倒れ込んだまま放尿したのだろうか、俯せになった女の下から水が溢れ、床を臭い液体が汚していく。
訳が分からなくて頭を巡らす。女を見た時の違和感。そう、この女のこの位置の傷を知っている。どの傷も覚えがある。数えきれない程の傷なのに、どれも分かる。これは自分自身が負った傷であると。
「……り、お帰り……」
床に突っ伏したまま吹き出物だらけの顔を向けて、目一杯に笑おうと努力している。それでも笑顔が作れない。その顔で男を見上げながら、帰りの喜びを伝えようとしている。
間違い無い。これは自分の想い人である。
女の変わり果てた姿に男は激昂して叫ぶ!
「誰がこんなことをッ!!」
「彼女自身だ」
地の底から、もしくは今、太陽の光に隠れてしまっている天上の星々から響くような声が男の問いに答える。冒頭に少女の願いを聞き届けた者がことのあらましを説明する。見る見る男の顔が青くなっていく。そして男は部屋の隅で嘔吐した。
女を守ろうと、故郷を守ろうと、立派に戦った自分を褒めてもらおうと、目一杯に戦った。死なないのを良いことに無茶な戦いもした。それが想い人を苦しめ、このようにしてしまったという話。それだけの話。
「ちくしょうっ!ちくしょうっ! 俺はなんのためにッ!なんのためにッ!」
それだけの話が男を引き裂いた。石造りの壁をドガドガと殴る。男の拳は壊れない。血が出てはすぐ止まる。その代りに女の拳がひしゃげる。ひしゃげた拳に目もくれず女はうわごとのように繰り返す。
「……り……おかえり………」
と、こちらを見る。女はやっと微笑みを作ることが出来た。
その様子を見た男は狂ったように叫ぶ。
「うわぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
家を飛び出した。
戦争が無ければ、こんなことにならなかった。
二人ずっと笑っていることも出来た。
「許さない……
ふがいないこの国を……」
やがて一つの国が滅んだ
それは一つの歴史でしか無かった
今も、彼を想って眠る意味も無くした少女が星に願いを捧げている。
男の行方は誰も知らない。