本 能
うなじの綺麗な女にはそそられる。
自分の反対側のドアのそばに、外を向いて立っているその女のうなじは、時代劇に出てくる花魁を思い出させた。
くっきりふたつの山を描くように綺麗な曲線。
白い肌と今どき珍しい漆黒の髪。
その髪を少し高い位置で綺麗にまとめ上げている。
顔は見えないけれど、うなじから肩、肩から腰のラインへと目を這わせると、薄いベージュのブラウスから、微かに透けて見える細く括れたウエストも、自分の中の性を掻き立てる。
しばらく顔を出すこともなかった獣の欲情が、静かに鼓動を早めていくのが分かる。
今もしこの時、周囲に誰もいなかったら……。
間違いなく自分は背後から被さるように彼女を抱きしめていただろう。
しかしこの人出。
朝の通勤電車ほど嫌なものはない。
まるで息を殺すようにして、自分の降りる駅をじっと待つのだから。
こんな状況下で、そんなことが出来るほど理性のない人間ではないし……。
ああ、それにしても昨夜、あんなに飲み過ぎたりしなければ、こんな電車に乗る必要もなかったのに……。
飲み過ぎてついついあの店で眠ってしまったらしい。
誰か起こしてくれても良さそうなものを。
まあ今日が休みなのを知ってのことなんだろうけど。
それにしてもあのうなじ、そそられる。
自分の中の血流が、一ヶ所だけを目がけて流れを変えて行くのを感じる。
うん? 違う。何か変だ。
つと顔を振って、自分のそばのドアの方へと視線を動かした。
折しも電車はトンネルの中へ入った所で、暗い背景の中、ガラスを鏡にして、1人の女が映っている。
額に零れた乱れ髪、双眸の下には少しくすんだ隈のようなものが見える。
瞳に生気はなく、疲労だけが漂っている女。
――そうだった。
さっきまで異様に満ちてきていたあの欲情が、まるで潮が引くように遠ざかって行く。
それは当然のことであり、少し淋しいことでもあった。
今はもう、血流が集まる場所がないのだから。
大切なあの部分を手術で取ってしまったのだから。
そんな身体なのに沸き起こったあの感情。
身体は人工的に変えても、本能までは変えられないということだろうか?
ああ、疲れた。
考えるのはもっと疲れる。
今度は素敵な男性を見かけた時、
「ああ、この人に抱かれてみたい!」と、きっとそう思ってみせる。
でないと女になった意味がないじゃないの。あはは…。
これからもこの歌舞伎町で生きていくんだから…女として私は。