NIGHT PHANTASM
17.レストインピース(2/5)
「銃声……?」
それは、異質な音だった。
安息を約束された祈りの家に響いた、血なまぐさい音。陽光を避けるカーテンに守られた部屋で、ティエは疑問とともに扉の方向へと振り向く。
立っていた。
亡霊と称され、怪物に追われて、それでも日常に舞い戻ってきた双子の片割れが。
「マスター、見えますか」
「ルイーゼ?」
「この暗い闇の終わりが。聞こえますか? 姿なき怪物の足音が」
「え……?」
満ちる殺気。自分に向けられたものだとは限らないが、今となっては捨てたはずのもの――何故、今になって。
確認するが、ルイーゼは倭刀を持っていない。ただ、いつものワンピースを着て、光のない目でティエの後方をじっと見つめていた。
様子がおかしいのは明らかだった。だが、そうだとして何ができるというのか。ルイーゼが歩みだし、こつり、こつりと硬い床に音を響かせた。
ある程度の距離を置き、ぴたりと止まる。
その時、示し合わせていたかのように入り口の扉が開いた。姿を見せたのは、撃ち合いに勝った存在――――
「ご機嫌いかが? マスター」
――――アンナだった。両手に何かを持つこともなく、落ち着いた様子でぱたりと扉を閉める。二人の異様な雰囲気に、完全にティエは押されていた。
下がることもできず、進むこともできず。そんなティエを見て、アンナがいたずら好きな猫のように意地悪に笑う。だが、目だけが笑っていない。
甘い声に、毒が混じっていた。
「マスター、聞いて。私、わかったの」
笑顔のまま、いじらしく言うアンナ。解けない問題を自力で解いてみせた、そしてそれを親や教師に自慢したい、そんな純粋さを持って。
「何? アンナ」
二人が異常状態にあることがわかったとて、ティエはそれだけで大きく動じはしない。銃声も、手入れのあと試し撃ちをしただけかもしれない。
神経質なジルベールが騒ぎ出さないのも、きっと寝ているからだ。書物に埋もれて、気持ちよく夢の世界を泳いでいるに違いない。
アンナのブーツは、ほとんど音を発さない。気配だけが、ティエにぐっと近づいた。後を追い、ルイーゼも静かに接近する。見る限り、得物はなかった。
ならば。
それならば、この殺気は一体なんなのか。どこから生まれ、どこに集束しているというのか。
「わかったの。聞いて欲しい。耳を貸して、マスター」
それに応じてしまったのが、間違いだった。
かわいい夢が、音を立てて砕け散った瞬間だった。
「死んで」
耳元で、やさしく落とされたささやき。
「……アン、ナ……?」
一瞬の事。
アンナがティエの体を引き寄せ、その後人間という器からは想像できないほどの力で、逃げられないように固め締め上げた。
そして、風が部屋を一度だけ吹き抜ける。風を起こした主は、隠していた牙を主につきたてる。重い衝撃は、焼けるような鋭い痛みに変わった。
続いて来る、激しい吐き気。前に傾いた体を支えてくれた双子の片割れは、憎悪と怨恨に憑かれた表情でティエをじっと見つめている。背筋が、凍った。
「許さない」
前方からの、アンナが発する呪詛。
「絶対に、許さない」
後方からの、ルイーゼが発するどす黒い恨みの渦。
そのまま、ルイーゼは手に握るナイフを深く、刃が見えなくなるほどにティエの背へ埋めた。毒を塗りこんだそれは、ティエの五感さえも奪っていく。
人間ならばショックで即死するほどの猛毒だったが、吸血鬼はすぐには倒れない。だが、それでいい。
苦しめばいい。
もっと、生きたままでいる苦痛に喘ぐといい。
眠らせはしない。簡単に、死なせはしない。そう思いながら、ルイーゼは低い声で言った。
「お前が、私とアンナの全てを奪ったんだ……殺してやる、殺してやる……」
――あの夜。
お前が、全てを奪った。父を、母を殺した。幸せを奪った。そして、誰よりも愛していた――私とアンナを知る、最後の一人。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴