NIGHT PHANTASM
02.Jesus Is Calling(4/4)
ここで、終わらせたかった。
全てを、ここで終わらせてしまいたかった。そしてそれが罪となるのなら、世界の果てまででも逃げたかった。
「……狙えと、言ったのに」
響いた銃声は、エントランスだけではなく館全体に反響してすぐには消えなかった。ただ必死に標的からそらしたリボルバーは、あらぬ方向を向き、弾は小さな窓を割った。
ジルベールの全身から力が抜け、両手で構えていたリボルバーが重い音を立てて床に落ちる。その体勢のまま、撃ち手はしばらく動けなかった。
見開いた目。警鐘が残滓となって心臓に衝撃を与え、呼吸の乱れが表面に浮き上がる。息を切らす人間のそばで、亡霊は残念そうに、指す手を下ろした。
「お前は、死を何だと思ってるんだ……」
低く重く呟いた声は、震えている。体も同様に、そして表情は畏怖を抱いているのか歪みを生じさせている。
「何で、お前達はそれだけ罪を重ねて平気でいられるんだッ!? 人を殺す重みを理解してるのか!?」
「……すの」
「え?」
「もう一人の私が、手を汚すの。そう思えば……人を殺めることなんて、易くなる」
亡霊というよりは、人形のようだった。アンナは表情一つ変えぬまま、抑揚のない声で答えをつむいでみせる。
いわば、二人は殺し屋である。殺し屋に過去も未来もありはしない。今を生きる、ただそれだけなのだ。過ぎたことも先のことも、すべて無意味な事柄であり、記憶など必要ない。
最初は抵抗を感じても、いつしか何も感じなくなる。殺さなければ殺されるギリギリのデッドラインで、悠長に今以外のことを考えている余裕などない。
「もう一人の、自分……?」
アンナが何を言ったのか、ジルベールには理解できなかった。双子だからそう言っているのだろうか。片割れが殺しているのであって、自分ではないと。
となれば、あまりにもむちゃくちゃな理論だ。自分が人を殺すという感触さえ、彼女達は感じることができないのか? それとも、二重――もしくは、多重人格とでも言うのだろうか。答えは出ない。
「そう、もう一人の私。ルイーゼが、いえ……アンナが、人を無慈悲に殺すのよ」
「……無理がある」
驚きを隠し切れないジルベールを横目に、アンナはわざとらしく困ったような表情を浮かべてみせた。どうしたものか、と言いたげな口元が言葉を探す。
わかるように説明するのは、難しい。吸血鬼であるマスターと人間であるジルベールが、理解しあえているのが心底不思議だとこんな時重ね重ね思う。
強引に会話を切り上げても構わないが、ジルベールは追ってくるだろう。頑固でこだわりのある彼女は疑問が浮かぶとそれが解けるまでてこでも動かない。
マスターであるティエの親友でなければ、無理矢理口を塞いでも構わないのだが。
少し考えたのちに、アンナは別の視点から物事を説いてみせた。
「私が私でいること。それを、忘れればいい」
「そんな、簡単に割り切れるものなのか?」
「簡単よ、慣れればね」
もう十分だ。
そう判断したアンナは、ジルベールを無視して階段を上るべく歩き出した。
折り返しに着いたところで、相手がこちらを見ていることに気付く。どうやら、まだ一言欲しいらしい。苛立つような仕草で、腰のベルトに固定してあるナイフをわざと音が立つように触れてみせた。さすがに抜いてしまうと、マスターに怒られてしまう。
見下ろす形で、最後の言葉を告げる。
「忘れるのよ、日常という幸せの味を。忘れるだけでいい」
返事はなかった。
廊下を一人歩きながら、『アンナの人格』を着たルイーゼは考えていた。
聞かれるまであまり考えていなかった、いや、無意識にその話題を避けていたのかもしれない。何故、平気で人が殺せるのかと。
もし、日常という幸せを直視してしまった時には、抵抗しない女子どもですらも、死んで当然と言われるどんな悪人も、きっと自分と妹は殺せないだろう。
だが、そんな問題はささいなことだ。
マスターに手によって生まれた、その事実より以前のことを忘れ亡霊として生きればなんだって殺せる。
自分の思いも、罪なき人間も、苦しみにあえぐ名も知らない誰かの心も。
割れてなくなったガラス窓から、夜の冷気が体に容赦なく吹きつけてくる。どうやら風が吹き始めたらしい。今夜は、いつも以上に警戒を強めて眠ることになりそうだ。
薬を手渡され、眠りにつくまでの時間が少しでも短くあることをアンナ――いや、ルイーゼは言葉なく願った。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴