NIGHT PHANTASM
01.屋敷の住人(1/6)
全てが、静寂に包まれている。
呼吸の音、いや、生きているという実感そのものさえ飲み込んでしまう深く澄んだ闇が、いつの夜も変わらずその館に満ちていた。
割れたガラス窓から、冷えた空気と月光が内部に漏れてくる。
とうの昔に死んでしまった館に棲んでいるのは、世捨ての生者、生きながらに死んでいると称される者、そして亡霊。
館のエントランスを、響く足音もなく歩く人影があった。
十代後半ほどの、少女だろうか。もう少し上という可能性もあるが、はっきりしない。凛として歩くその足取りに合わせて、オリーブグレーの長い髪が揺れている。
彼女の目の前、広くとられた階段には深い赤をした絨毯が伏せていたが、それはこの館が生きている時に敷かれたものだ。
手入れもされていない今は、黴くさく毛羽立った、廃墟の美しさを際立たせる素材の一つにしかなりえなかった。もはや日常では一銭の価値もない。
階段を一段一段、規則正しく上っていく。
数段上がった先は折り返しになっており、壁にはステンドグラスを模したのであろうひときわ大きなガラスが窓となり外の景色を透かしている。
外に広がるそれは、森だった。館は山中の小高い場所にあるため、木が外の景色を塞ぐというよりは森を、そしてその先に広がるふもとの街を見下ろす形になる。
「……」
少女は景色を一瞥したが、無表情のまま折り返しの階段を左に進んだ。手すりは手入れされているらしく、目立つ埃は見られなかったが別段触れる必要もないらしい。
それだけ、この闇と屋敷の造りに慣れている証拠である。初めて訪れた人間であれば、ろくに灯りもない漆黒の闇だ。階段の存在にも気付かず、足をとられてしまうだろう。慣れた様子で上るなど問題外である。
目を閉じても、開けても不変の黒が広がるほど。
昼間であれば、まだいい。ステンドグラスの形に切り取られはめこまれたガラス窓から、暖かい日常の光を全身で浴びることができるからだ。
廊下を進む。
ときおり左右に存在する扉を無視し、まっすぐに、一番奥にある大扉のもとへ。
さきほどのエントランス以上に、光の差し込まない場所だった。小さな窓から入る月光など、あってないようなものである。
足を進めると、清楚な印象を与える黒のジャンパースカートの裾がなびく。インナーには白い長袖のドレスシャツを着ており、胸元では黒を基調にしたストライプのリボンが可愛らしい印象を演出していた。
こんな姿格好をして歩く少女の本質に、おそらく誰も気がつかないだろう。
右手に握る長い包みの中が手入れの行き届いた倭刀であることも、それが人を殺すためだけにある道具であることも、そして、少女がどれだけの数の人間を殺めてきたのかを。
弱い月明かりに照らされて進む少女の全ては、無垢であった。
「……」
立ち止まる仕草は、機械のように無駄がない。空いている左手で大扉をゆっくりとノックし、発した声は穢れを何も知らない少女を演じるに向いた響きのいいものだった。
「マスター」
短い言葉。
扉の向こうから返事はない。ただ、重力をねじまげるような濃い気配だけが返ってきた。少女の表情は、いまだにぴくりとも動かない。
闇に慣れた視覚。人間らしさを忘れた動き、そして反応。それは少女を模した、ガイノイドを思わせた。
「失礼します」
発した途端に闇に潰れた弱い声とともに、そっと、彼女は扉を開いた。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴