合歓
不安げに私の表情を覗き込んだ後、緊張した面持ちで彼女が云った。私は、胸の中に急に広がったその不安を口にした。そうする事で、それが現実のものと為らない気がした。
――合歓と一緒に、君が消えて仕舞いそうな気がしてね・・・。
彼女は呆気に取られた様な表情をした後で、フフッと笑って云った。
――私は消えたりなんかしないわ。それに・・・もしも消えたとしても、あなたが探しに来てくれるのでしょう?
そこには、眼を細めて幸福そうに笑う彼女の姿が在った。胸の中に広がっていた不安は、どこか遠くに行った様だった。
――そうだね。きっと・・・そうするよ。
妻は踞んで、私が放った合歓の花を拾い、もう一度頭に飾った。
――似合うかしら?
先程と同じ様に、彼女が私に聞いた。
私はそれに
――ああ・・・綺麗だよ。
と、もう一度応えた。
・・・眼を開けると、妻が私を見つめていた。
「どうかなさいました?」
歌う様な声で、彼女が云った。
包帯が僅かに動き、その下で彼女が笑っているのが分かった。
「いや、どうもしないよ」
私は穏やかに笑い、そう応えた。
窓際に置かれたベッドの上で、妻は青空を眺める。
・・・・・・はて、これは夢の方だろうか、うつつの方だろうか。私は今、そのどちらの世界を生きているのか。今、私の前にいる妻は、一体どちらの方の妻なのか。包帯の下の彼女のその貌は腐り果てているのだろうか、それとも滑らかで柔らかい、見目麗しい肌の儘なのだろうか・・・。そう考えながら、私は妻の横貌を、朦朧とする視界の中で見つめていた。
「見て、鱗雲よ」
はっきりとしない私の頭に、妻の声が幾重にもワンワンと木霊する。私は彼女が教えてくれた鱗雲を見ない儘に、
「ああ、そうだね」
と応えた。
それきり妻は何も喋らず、窓の外の青空を眺めている様だった。
私の眼は、既に自分では焦点を定める事が出来なく為っており、のたくたと、真白な病室の壁やベッドの足、窓の外の鱗雲を次から次へと移ろう。私は何を見ればいいのか、何を見るべきなのか、何を見るのが希ましいのか。私は一体、何を見たいのか・・・・・・。当て処もなく彷徨った私の眼は、最後に包帯を巻いた妻の横貌へと辿り着いた。
漣の様に穏やかな倦怠感が全身を支配し、私の意識を遥か彼方へと連れ去ろうとしている。
ああ、最早眼を開けている事すら叶わない・・・・・・。
眼を開けた時に、妻の貌が元に戻っていればと僅かながらに期待しながら、私は再びに眼を閉じる事にした。
(了)