「お話(仮)」
第8話
――ねぇ、シヴァちゃん? 奇蹟って信じる?
アタシは……こうも目の前で不思議なコトが起きたら、さすがに信じるっきゃないわね。
紅い獣のボス、ノアの術で二十年前の世界に飛ばされたアタシは、裏切り者として追われる身のスキュラと、そんな彼女を擁護するためにゴルゴンゾーラ家のお屋敷から来た二人組、ビアンカお嬢様と家庭教師アンバーに出会ったの。
『蒼炎の書』を記した本人、アンバーなら元の世界へ戻る方法が分かるかも。そう踏んだアタシは二人と宿までご一緒させてもらったんだけれど、その夜、ビアンカちゃんが盗賊にさらわれて。
ふふ、そうね。この続きはまた今度、ゆっくりお話しましょうか。
シヴァちゃん、早く会いたいわ。アナタは今、どこで何をしているのかしらね?
――クリス。また、お前に助けられた。
私は愚かだ。全てを終わらせたくて、ノアに無謀な奇襲をかけた。
だが、奴は脅威だ。敵うはずもなく返り討ちに遭い、私は古井戸の底に幽閉された。
それだけではない。母の形見を狙うキャシーの罠に落ち、一度は死すらも覚悟した。
だが、そんな時……どこからともなく、クリス、お前の声が聞こえた。
“諦めるな”と。絶望の淵にあった私に、お前はそう言った。
そして気付いた時、私は醜い獣の姿となり果て、ノアの手中から逃げ出していた。
知らなかった。何もかもを絶ち切ってしまいたかったはずなのに、ようやく一人に戻った今……、こんなにも夜が静かで、恐ろしいものだったとは……。
○
滴り落ちた水が、絨毯の影を赤黒く濡らす。
「ふ――ん。シヴァが、クロウと一緒に……逃、げ、た」
キャンドルの明かりに照らされたノアの顔は、ひどく無表情だった。
「申し訳ございません、ノア様! すぐにmeが連れ戻して参りますわ!」
「んー、イイよ別にさ。 ところで、そんなにびしょ濡れで寒くない?」
薄闇の中、ノアの目が光った。
「ノアさ、ま…………っ!?」
刹那、キャシーの手元から噴き出した煙幕が、一瞬にして彼女の全身を包み込む。
部屋を舞う深紅の蝶。その薄い羽を指で掴むと、ノアはゆっくりそれを蝋燭の傍へ近付けた。
「ハハッ、キレーだね。キャシー、花火みたい」
炎を纏った蝶が躍る。
燃え尽きて、煤となって落ちるまで、ノアはずっと彼女を見詰めていた。