「お話(仮)」
第7話
――――。
優しくて、そして仄かに甘い香り――。
クリスは目を開けた。
夜空の真ん中に浮かぶ下弦の月。
ゆっくり上体を起こすと、周囲には一面の花の丘が広がっていた。
「ここは……? 一体、何が……?」
状況を整理すべく、これまでの経緯に思いを巡らせた。
覚えているのは、エンデュミオンの王城へ行き、そこで“紅い獣”のノアと邂逅した事。そして……。
「!」
瞬間、低く鳴り響いた鐘の音と共に、背後に影差す冷たい殺気。
すぐさまクリスは気配の方を振り返る――と、その瞳に映ったのは意外な人物だった。
「スキュラ……?」
時計台を背にたたずむ細身の美女。その高く結った巻き髪や妖艶な表情は、かつて港町の洋館で出会った幻術師スキュラに他ならなかった。
「お主、何者だ? 我が名を知っておるという事は……」
直後、彼女は手にかけていた曲刀を鞘ごと引き抜き、クリスの喉元に突き付けた。
「どうした、これしきの事で。王の奴め、腑抜けた刺客をよこしおって」
「刺客? ちょっと待って。忘れちゃったの? アタシ達、前にジュノーの町で……」
「あぁ、そういう事か」
全てを理解した様子で武器を収めてから、一呼吸置いてスキュラは続ける。
「とんだ勘違いをして申し訳ない。して、船は何処に用意してある?」
「船?」
「ジュノーへ渡る船だ。お主、ゴルゴンゾーラの使いの者であろう? 『牙』に与する代わりに我が身を擁護する契約であったな」
その時、北の空に突如現れた数個の斑点。
「あれは……カリブディスの王室戦闘機か。死にたくなければ何処かへ身を隠すのだな」
「王室、戦闘……えぇっ!?」
驚くクリスを余所に、それらは丘の上空を旋回しながら光の雨をまいた。
「ひとまず散るぞ。チェバの宿で落ち合おう」
それだけ言い残し、クリスの答えを待たずにスキュラは草むらの中へと走り去っていった。
「ちょっ、待って! ……って、どっちも待ってくれそうにないわね」
耳をつんざく轟音を上げ、容赦なく砲撃が襲い掛かる。
退避――するしかない。降り注ぐ火の粉の中、クリスは素早く地を蹴った。