「お話(仮)」
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クリスの背後で、城が真っ赤に輝いた。
光はたちまち辺りを呑み込み、降る雪をほのかな紅に染めた。
「な、何が……?」
そんな彼の腕の中で、シヴァの右手から手袋が滑り落ちた。
白い肌に刻み込まれた、鮮やかな紅い魚。
「あ! 獣の印が……消えてく!?」
満天の星空の下、グレーシャは驚いた顔で右手に視線をやった。
気がついた時、彼女は荒野の真ん中に寝転がっていた。
「そっか。クリスの奴、やってくれたんだね」
呪いは解かれた。手の甲にあった蛇の輪郭はみる間に薄れ、ついには完全に消え去った。
「本当に、すごいよクリスは。なぁ、あんたもそう思わな……」
そう言いかけて彼女が振り向いた時、つい先程までそこにあった男の影は、まるで煙の如くどこかへ消えていた。
ルビアは白く細長い煙を吐いた。
「どうするの? これから。私にはお店があるからいいけど、平和な世界じゃ、『牙』は失業同然ね」
道にうっすら積もり始めた雪。だが、そこに彼ら三人の足跡はない。
「僕なら大丈夫。色々、面白いオモチャも見つけたし」
「ヨウは何とかなりそうね。で、フウマ、あんたはどうするつもり?」
「……先の事なら、既に考えてある」
脇差しを見詰めてフウマは呟く。夜の明かりを受けて輝く鞘に、その瞳の濃紺が映える。
「ボディーガードのボディーガードだなんて、全く、あんたらしいわね」
同じ色をした瞳。
「ぼ、坊ちゃんっ!」
「コウミ姉ちゃん! やったね!」
勉強机の椅子から跳ね上がるなり、二人は手をつないで歓喜した。
「クリスさん、とっても素敵でしたぁっ」
「やっぱり、クリスお兄ちゃんは僕のヒーローだ!!」
眩い光の中、クリスはシヴァを見詰めた。
「違うわよ、オリバー」
まるで眠っているかのようなシヴァの顔。
「昔、ビアンカちゃんに読んでもらわなかったの? 本物のヒーローっていうのはね」
『紅真珠』が放つ光に、クリスの頬が赤く染まる。
「物語の最後で、こんな風にして……」
そのまま目を閉じて、クリスはゆっくりと唇をシヴァの口元に重ねた。
――お姫様を起こしてあげなきゃね。
舞い落ちた粉雪が、シヴァの手の上でそっと溶けてなくなった。
○―○―○
「もう、何やってんだい、クリス!」
「ゴメンなさいね、グレーシャちゃん。ホントに、おかしくないかしら?」
細身の黒いジャケットで身を固め、急ぎ足にクリスはグレーシャを追った。
短く切られたキャメル色の髪が風に躍る。
「当然! 何たって、このグレーシャ様のコーディネートなんだからね」
「頼りになるわ。ルビアから聞いたわよ。今度、お店がオープンするんですって?」
「まぁね。って、そんな事より……ホラ、急がないと遅れちまうよ」
真夏の晴れた空、太陽は真南の位置にあった。
「じゃ、あたいはここまで。あとは上手くやりなよ、色男!」
町の中心部からほど離れた通りにある、あの酒場。
「あぁ、クリス君……とかいったね。ずいぶん長いこと来てなかったじゃないか」
気さくなマスターが彼に声をかけた。
「ふふ、相変わらず儲かってなさそうね」
クリスは静まり返った店内を見渡した後、ゆっくりと一番奥の席へ向かって歩き出した。
あの時と同じ――ひとりの女が、こちらに背を向けて座っている。
「……遅いぞ。クリス」
女は振り向かずに言った。肩上まで伸びた髪の奥で、微かに口元がほころぶ。
途端にクリスは満面の笑顔で、後ろから思いきり彼女を抱きしめた。
「大好きよ、シヴァちゃん」
〜END〜