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「山」 にまつわる小品集 その参

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「お花畑」という名の山荘は客室が3つあるだけの小さな宿舎だった。
 大きなテーブルと10脚ばかりの椅子が置かれた食堂は、サロンも兼ねている。

 星川剛は大阪にある零細の自動車部品製造工場に勤めていたがリストラに遭い、好きな山での仕事はないかと探した末に見つけたのが、山荘の管理人兼、お花畑の保護・管理だった。
 妻の清美にはなかなか言い出せなかったのだが、案ずるよりも産むが易し。
 シーズン中のみ、山での生活が実現したのである。
 清美は、工場勤めの剛の厳しい勤務実態を案じていた。
 いつも寝不足で、注意力散漫になりかけ怒りっぽくなっていた剛。
 子供はいない。大自然の中でのびのびと暮らせるのならばと、ふたつ返事で喜んでやってきた。

 仕事は決して楽なものではなく、客に気も遣う。
というか、場所的に素通りされてしまうので、客は付かなかった。
 稜線上には2つの大きな山荘があり、360度の展望と山に映えるモルゲンロート(朝焼け)の美しさにはかなわない。
 ここにはただ、お花畑があるだけなのである。

 そこで清美は考えた。
 お花畑に捨てられたキャンディの包み紙やティッシュを拾ったり、花枯れを摘むのであれば、チョウの姿に似せてみようと。
 それが大当たりし、今では連日満員御礼。


「おばちゃん、蝶の妖精はどこにおるんですか?」
「チョウの妖精? そんなんがおるんですか」
「だっておいら、蝶の妖精に誘われて・・・」
「ちょっと、こっちこっち」

 おばちゃんの手招きに導かれて一樹と良平の目の前に現れたのは、食堂の隅の壁に掛けられている埃をかぶった一枚の実物大の絵。
 絵の下の説明文には「ゼフィルス」と書かれている。ルリシジミの姿でからだは人間。まさしくお花畑で見た、蝶の妖精だった。
 こうしてお客たちはいつも、不思議な気分に囚われて黙ってしまう。
 清美がチョウに扮した姿を写真にして送り、知り合いに描いてもらった絵である。


 今日も客が立った後、清美は念入りに化粧をしてしわを隠し、アイシャドーを濃く塗って黒いヘアーのかつらを頭に着け・・・

ふん! と気合を一発、
「ほんなら客、ひろてくるわ」
と甘いほんわりとした裏声を出して、闘志を秘めて出かけていく。

「ああ、無理すんなや」
 ほんまようやるわ、というつぶやきを胸にしまって剛は清美に手を合わせて送り出すのだった。

 炎立つ清美、48歳。
 がんばれ!


                      2011.9.17